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デパートと流行を考える。駄々の落とし穴と親子の確認。

デパートに集まるのは人だけではない。
人の数だけ思い出も集まるものなのだ。

木ノ子とデパートにて

休日に実家に帰り久しぶりにデパートへ出掛けた。それは私が小さい時から存在するこの街のアイコンみたいな場所だった。

当時から玩具売場は3Fで、規模こそ少子化の影響からか小さくなっているが、現在も存在しているゲーム売場にてどこかのお母さんと小さな兄弟を見かけた。

最近はあまり見ないがどうやら駄々をこねているようだった。

私はその様子を、どこか懐かしく思いながら邪魔にならないように見ていた。

「買ってくれないなら帰る」

お兄ちゃんは、怒って売場から去って行った。
お母さんは、そんなお兄ちゃんとは逆方向へ去って行った。残された弟くんは様子を伺いながらどうしたらいいか分からない様子を見せていた。

うちとは逆だな。と思わず記憶が甦って来た。

現在の私の子供が10歳と8歳。私と弟が同じくらいの年齢の頃のこの話を私は面白く子供に聞かせる事が出来るだろうか。

小学校の2年か、3年生くらいの事である。

その日私は、心に決めていた。

「絶対にこのミニ四駆を買ってもらう」

当時、ミニ四駆は小学生の間でとんでもないアイテムだった。ブーム一言で片付けるのも難しいくらいで、大人も巻き込んだ商戦の対象の物だった。

持っているだけならまだしも、モーター、タイヤ、シャーシ、ボディーの軽量化に至るまでカスタムパーツなども豊富。電池まで色々種類があるようなものだった。

私達は、日々パーツカタログを見ながら友達と少しでも速くなる方法を探していた。

私は、男3人兄弟の長男でそこまで裕福ではない家庭で育った。ミニ四駆など持っていなかった。

どうしてもミニ四駆が欲しい私は、弟達も欲しがっている。友達も皆持っている。なんなら学校で大会があるからと、欲しくてありとあらゆる嘘を母についた。

私の母親はそういう物をねだる子供の話しなんて全く聞く耳をもたず、どんなデパートやスーパーであろうと駄々をこねれば置いて帰ると徹底していて、本当に歩いて勝手に帰ってしまうような人だった。

何度も置いていかれた記憶がある。
本当に帰るのだ。

弟は急に母がいなくなった不安から泣き出して、2人で家まで手を繋いで帰ったこともある。
今でもエスカレーターの前に来ると泣いてる弟を慰めながら自分も不安になり、涙が浮かんで来た事を思い出す。

今回のミニ四駆は、引くに引けない戦いだった。一歩も引き下がる気持ちはなく、戦う気がマンマンだった。

でもそれは、もしかしたら本当に欲しかったかどうかではなくて、何となく駄々をこねてその結果買って欲しかっただけなのかも知れない。

粘る私にいつも通り怒った母親は足早にお店を出て行った。これも思い出すのだが、いつも早足で追いかけていた記憶がある。決して歩くスピードを子供のペースに合わせないのである。

私は現在そういう思いを自分の子供にさせていないだろうか。たまに似たような事を指摘されて自分でゾッとする時がある。

もちろん、母がお店を出ていくのは私の想定内で、少し時間をかけて母親を歩かせてから全力で走り、追い付いて息を切らしながら、全力で演技すればさすがに伝わるだろうと思い、しばらくしてから追いかけた。

思っていた以上に母のスピードが速く、
当時流行りの緑のカーディガンと、これまた流行りのパーマの後ろ姿はずっと遠くにあった。
あの速さは、よっぽど怒っているなと少し恐怖を感じながら近づいていった。

「お母さん」と呼ぶ準備は出来ている。

自分でもズル賢いと思う私だが、その時は必死だった。イメージでは、大きな声で「はぁはぁ」ちょっと掠れ声でだ。何事も演出が肝心である事は10歳前後で理解していた。

全力で走り、やっと追い付き、流行りの緑のカーディガンを掴んで大声で引っ張った。

「お母さん‼️」

流行りのパーマの流行りの緑のカーディガンが振り向いた。

母じゃない。

そう、私の母ではない。

とんだ母違い

お母さんではないのに掴まれた女性と
お母さんではない人を掴んだ少年の対面

鮮烈なトラウマとなっていて現在でも思い出す。

なんのはなしですか

それ以来駄々をこねるのと、外で「お母さん」と呼んだ記憶がないはなし。

つまるところ流行には気をつけて行動しろという事だ。

そして私は、この話を面白く子供に話す事が出来る日が来るのだろうか。

そしてミニ四駆は、自分の家で自分のミニ四駆をカスタムしていた記憶がある。買ってもらったのか否かはさほど重要ではなかったのだろう。


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