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所信表明をするのに必要だったのは、大江健三郎と看護師と大工だった。

死者の奢り・飼育
大江健三郎

私と大江健三郎の出会いの本である。
私の初めての大江健三郎は死者の奢りである。
大江健三郎の商業上のデビュー作。
私が決定的に大江健三郎を好きになった本。

そして、私が読書を通じて進みたい道を理解した本。

その後、私は万延元年のフットボールへと進んだ。

これは、読むと約束した本だった。

どうして読もうと考え、どうして約束したか分からないけれど。

自分の心に思うものがあったのだと思う。
時に本に呼ばれるという事は、ロマンチストに思われようが起こること。

自分のしたい事、本当に読みたい本。自分に起こっている流れが理解出来てきた。

私は、運がいい。

大江健三郎。この作品を読んだ心の興奮をどうにか言葉にしたいが難しい。

この短編集の一貫した主題が

「監禁されている状態、閉ざされたなかに生きる状態を考えること」

主題で繋がっているとは思えないほど、短編一本一本の話しの緻密さエネルギーが、時代を戻して訴えてくる。

私は、抽象的にしか伝える事が出来ないが、この本に対して体感的に死者と向き合って来た看護師の記事がある。読んでみると面白い。

最近作品自体がエネルギーを発しているものによく出会う。

自分で呼んでいるのだろう。

この時代、一昔前で括っていいのか分からないが、自分が時間を忘れて没頭出来る作者が多い事が理解出来てきた。

それはなぜか。

思想というものを、おそらく意図的に持たないように戦後教育されて育ってきた私は、この時代の人達のどこか共通して持っている確固たる自分の思想に憧憬を描いてる。

この作品の大江健三郎は、サルトルの「壁」などから概念を獲得してそれに倣ったとの表記を見つけた時、鳥肌が立った。

私は、サルトルの「壁」を読んだ方がいいと人に言われていたからだ。

そう。大工に。(大工の紹介は、記事最後)

まるで自分が読書で旅行している気分になる。

大江健三郎は、谷崎潤一郎賞の最年少受賞者。

大江健三郎の作品には、私もよく読む三島由紀夫のクーデター未遂を受けて書いた作品がある。

掘り下げれば、掘り下げる分だけ作家同士の繋がりが見つかってくる。

私は、死者の奢りを読んだ時にそこに村上春樹がいる。と思った。

もしかしたら、どこか文脈は人に受け継がれて繋がれていってるものではないだろうかと、考えるようになった。

この2年弱、いろいろな本を教えてもらって読んできたが、その経験は人がいう「文学」というものに繋がる。つまり文学の歴史を知りたい。

熱を帯びた文章が好きだ。

そして、それを私が感じるのは「文学」になるのかもしれない。

今まで何の気なしに読んでいた本に、今明確な目的が出来た。私は、文学と歴史の繋がりが知りたい。

そこに見え隠れする思想に想いを馳せるのが、とても好きだとわかった。

これは、出会った人達に薦められたり、教えてもらえなければ一生たどり着けない答えだった。

ほらね、私は運がいい。

お前、そんな事知りもしなくて、本を読んでるのかよと思うかい。

今さら、本格的にそういうの読むのって思うかい。

遅いよ。今さら勉強して何になるのって思うかい。

私は、そうは思わない。

40でそれに気付けた私は、運がいいんだ。

なんのはなしですか

私は、こう云う風に物事を考える。

これが私の思考。

つまり、50歳で文学女子を口説く目標はここから始まった。

振り向いてくれるかは謎だがね。

とにかく、この度この旅を、やめられなくなりましたことを誓い、足元には足袋を履き旅支度をし、旅立てば旅すがら未知なる出会いが度重なってくることをおもふばかりでございます。

こうなる。

とにかく、このタビこのタビを、やめられなくなりましたことを誓い、足元にはタビを履きタビ支度をし、タビ立てばタビすがら未知なる出会いがタビ重なってくることをおもふばかりでございます。

↑韻踏んでます。読書は、タビだから。

↓そしてこちらが大工さん。


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ほろ酔い文学

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