記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

母の聖戦(2023年)【今日は帰ってきてから映画感想を書くから】

今日は忠告しておく。重い話だ。
ホロコーストネタより重い。
ホロコーストなんて、しょせんは過去の話である。
これが現在進行形の話だと、うめく。
リアルな悪夢だ。

メキシコでは、
麻薬カルテルが猖獗し、
一般市民が殺害される事件が多発。
警察や軍も手を出せない修羅の国となっているという。

そんな話を聞いたのが20年ほど前。
それ以前から兆候はあったのだが。
21世紀初頭のあたりから、とみに酷くなった。

カルテル(ギャング組織)は、
少しでも金を持っていそうな市民の子どもとかを誘拐し、
金を要求してくる。営利誘拐だ。

世界的に営利誘拐は割に合わないと言われているが、
無法の国ではそうでもない。

そして金が入らないとなると、帰ってこない。

あるところに母親がいた。
ある日、娘が帰ってこない。
・・・・

******

この話はアクション映画ではない。
社会派である。
「考えよ。考えてくれよ」というメッセージが込められている。
重い。
救われない話である。
アメリカンエンタメみたいな良くも悪くも、
人の感情に響く映画ではない。

現実は救われない重苦しさに満ちているのだ。
それでも映画はまだよい。

この母親のモデルとなった女性は、
カルテルの報復で暗殺されてしまった。
母の日に。

映画ではそこまでやらない。

****

界隈でこの話の記事を探すと、
「どうしようもないメキシコの治安の悪さに考えさせられた」
とかいう記事が多いんだけど。

なんか、モヤっとする。
モヤらせる映画の作風なので、モヤるのが正しい反応なんだけど。

今日はネタバレを恐れず書いていこうと思う。

****

途中で、国家憲兵隊の中尉が、
母親に協力してくれる。

↑ 国家憲兵隊。これはスペイン憲兵隊の記事だけど。まあラテン諸国での上級警察だ。アメリカのFBIに相当する。


中尉のやり方は、暴力だ。

国家権力はその気になれば、ギャング以上の暴力集団になれる。
言うまでもなく。

中尉はそのやり方で、
母親からの情報に基づいて作戦を実施。
怪しい人物を拷問して、
アジトを突きとめ、
被疑者どもを用済みとあらば、その場で臨陣格殺する。
悪党どもに情けは無用だ。

悪とは悪のやり方で戦うのだ。

と思いきや、
さすがに中尉は更迭されて唐突にいなくなってしまう。
メキシコだからね。民主社会だからね。
名も知れないアジアの国とかじゃない。

が、しかしカルテルのあまりの残虐さに、
視聴者はもはや中尉のファシズムに期待してしまう。

犯罪者がトイレの中にいたら、トイレの中でぶちのめします。

某独裁者の若いころ。

中尉がいなくなって、あ、あかん、と思った視聴者は多い。

案の定、
カルテルのボスはなんとか逮捕されるのだが、
刑務所の中でもうそぶくのである。

俺を家族と引き離すとは。
神がお前を罰するぞ。
お前の家族たちに気をつけろ。

ボス、開き直るの図

憤り以上に、奇妙さで首がねじれる。

母親にはもう、家族はいないのである。

というか、このギャングのボスには家族がたくさんいる。
小さな男の子の赤ちゃんと、若い美人の妻と、ばあちゃん。

母親は一線を越えない。

しかし、かつて一線を越えた連中は確実にいた。

世界最強イタリア犯罪結社シシリーマフィアの語源は、
我が娘よ(マ・フィア)である。
娘の報復に血の制裁を始めたことが、あのマフィアの起源なのである。
まあ実話かどうかわからない。
神話である。

そしてメキシカンギャングの世界も、
組織同士のつぶし合いが、
ついに最終局面に達しつつある。

天下統一まであと一歩という、その組織は、
カルテルに家族を殺された者たちで構成されているという。
まあ実話かどうかわからない。
神話である。

暴力の神話である。

暴力が社会で飽和すると、
新しい暴力が大義を得て、
巨大な暴力によって強制的に平和になる。

思えば、日本の武家社会もそういう社会であった。

*****

なぜメキシコが修羅の国で、
日本が治安の良い国なのか?


なぜ他人事なのか?

日本には「暴力の神話」があるのである。

日本はかつて、
「復讐は正義」という法律があったくらいだ。
お正月ドラマとして定番のアレである。

↑ やはり日本人は勘違いされてる・・・
悪意をもって曲解されるよりはマシだけど・・・


アレは、あまりにもいかがわしかったので、
「いやいや、これはアウトだろ。死刑」
となってしまったが、大衆は礼賛している。

元首相が暗殺された時も、
暗殺者の方にシンパシーを感じてしまうくらい。
(最近の話だけじゃないぞ。伊藤博文の時だって)

あえて言おう。
日本人はテロリズムに親和性があるのだ。

といって、それは無差別攻撃をするような、卑怯者ではなく、
(オウム真理教は嫌われていたわけで)

正々堂々と要人を、あるいは大義の成立する相手だけを狙う類のテロリズムだ。
そして自分も死ぬという、一人一殺スタイルだ。

そういったテロリストには、拍手喝采を惜しまないという怖い気分が日本人にはある。

もし犯人が死刑にならないのだったら、僕が殺します。

光市母子殺人事件の遺族

言ってはならないことを言ってしまったかもしらんが、
まあ、そうなんだ。
そういう国では、残虐カルテルは、生きていけないのではないか。

日本では暴力団もどこか穏やかである。
指を詰める、というのは怖さではなく、
優しさである。
それで水に流してやろうというのだから、だいぶ手加減している。

カルテルだったら、問答無用で家族を皆殺しにする。
でも日本だったら、復讐の連鎖がどこまでも止まらない。
極道以前に堅気がもうすでに恐ろしいのである。

だから、最初から落としどころを考える価値観が生まれた。

復讐はいけない。憎しみは何も生まない。
とかなんちゃらは、実は理想論ではなく、肉体的経験にもとづく。
やったことがあるのだ。
誰もがやりつくして、ほとほとウンザリした経験が実際にあるのだ。

皆殺しにされるか、皆殺しにするか。
そんな戦争を何回も繰り返していられない。
ジョンウィックじゃねーんだ。
限界がある。

一億国民が無敵の人に成り得るこの国では、
恐怖で相手を黙らせようとする作戦は、通用しないのかもしれない。

日本人は、本当は怖い。
800年前にここは修羅の国であり、その気風は今でも受け継がれている。

*****

↑ メキシコ麻薬戦争を扱った映画のひとつ。


だから「暴力の神話」が良いとは言わない。
普通に警察によって、カルテルが壊滅してほしいとは思う。
原因となる貧困も解決してほしいとは思う。

でも結末の救われなさに、
中尉のファシズムのヤバさは、忘れ去られた。

私たちは、人間性について、寛容を求められている。
人間性は、私たちが「かくあれ」と期待しているようなものではない。
残念ながら。

そのうえで、解決策を探していきたい。
世界は「神話」で満ちている。

****

最後に、映画の母親が、
誰かを家に出迎えて終わる。
母親の顔は、明るく輝く。

相手は描かれてないのだが、
まあ、これは楽観的に考えてもいいと思う。

母親の元を訪れたのは、希望なのだ。



#映画感想文 #実話 #メキシコ #メキシコ麻薬戦争  
#営利誘拐 #犯罪 #内戦 #ギャング #人権 #治安の悪さ   
#不安定 #暴力 #母娘 #母親 #犯罪組織 #警察組織  
#ファシズム #暴力の神話 #正当化 #重い #社会問題  
#考える #暴力の起源 #ネタバレ #文化 #暴力の文化  
#血の復讐 #血の掟 #文化の由来  

この記事が参加している募集

#映画感想文

68,430件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?