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北村早樹子のたのしい喫茶店 第27回「東京駅 アロマ珈琲八重洲店」

 文・写真◎北村早樹子


 小柄で華奢で、とても端正な顔立ちで、ジャニーズにいてもおかしくないくらいかっこいい容姿のその男性は、自分のことをドラキュラの末裔だと名乗ってきた。彼は雑誌の『BURST』を地で行く感じの方で、全身タトゥーだらけで、ドラキュラらしくなれるよう、歯を改造して不自然に尖った八重歯を作っていた。
 どういった経緯で出会ったのだったか。確かわたしはまだ大阪に住んでいて、セカンドアルバムを発表したときに、彼はわたしのことを知ってくれたらしく、熱烈な感想メールをいただいたのが始まりだった気がする。そして東京でライブをしたときに見にきてくれてご挨拶し、自分のプロジェクトに関わって欲しいと言って、お仕事のような形で、一度アトリエに来て欲しいと呼ばれて、東京にライブをしに来て夜行バスで大阪に帰る前に、東京駅の地下街から直結の大きなビルの地下フロアにある彼のアトリエにお邪魔した。
 彼は自分はアーティストだと言っていて、アトリエには所狭しと作りかけの謎のオブジェのようなものが大量にあった。彼は、「僕の世界には黒と白とオレンジしか存在しない」と言い、アトリエ内部の他の色合いの、例えば電話のランプとか、家電の蓄電ランプとかも改造して色を変えていて、アトリエ内は黒と白とオレンジしか存在していなかった。
 白黒の水玉のロンパースを着た「マコちゃん」という赤ちゃんのキャラクターをプロデュースしているらしく、その人形やグッズがたくさん置いてあった。このマコちゃんがかなり出世作のようで、グリコだったか森永だったかの企業とコラボしたお菓子が流通していると言っていたが、わたしは後にも先にもお店でマコちゃんを見かけることはなかった。
 有名かどうかはさておいて、とりあえずこんな、東京駅の真ん前に、家賃100万はするだろう広さのアトリエを構えることが出来ているのだから、相当お稼ぎなんだろうなあと思った。アーティストだから、太いタニマチ的な方がいて成り立っているのかもしれない。当時わたしはまだ22歳くらいの、大阪でぼんやり暮らしている主婦だったため(当時は結婚していた)東京の人がどんな風にお金を稼いで生きているのか、想像がつかなかった。彼は浮世離れしまくっているのは間違いなさそうだけど、とりあえずお金持ってはるんなら、そのプロジェクトとやらに関わってもいいかな、と思ってアトリエで話を聞いた。
 彼は自分の数奇な人生を映画化するというプロジェクトを立てていて、その音楽をわたしに作って欲しい、みたいなそんな話だった気がする。ああ、映画の劇伴のお仕事ね、と、一見普通に思える仕事内容だが、実はこの映画というのが、普通じゃなかった。
 映画とはいうが、映像はないらしかった(え?)。観客は、真っ暗な暗転した部屋に入れられて、目を閉じて、爆音でわたしの作った音楽を聴き、それぞれ頭の中で映画のシーンを想像する、それが僕の映画なんです、みたいなことを言っておられた。それを人は映画とは呼ばず、音楽と呼ぶんではないだろうか? と思ったが、彼のマシンガントークは謎の説得力があって、なんか、理解したような気になってしまい、その仕事をお受けすることになった。
 変わった人だったなあ。まず、40歳と言っていたけれど、どう見ても20代にしか見えないし。でも身体改造礼賛な人だから、もしかしたら整形とかもしてるのかもな。あの顔面は整いすぎているしな。帰りに渡された、彼が一冊丸ごと特集されているらしい雑誌『ガロ』をパラパラ読む。彼の今までに手がけた仕事のあらましや、彼がドラキュラの末裔たる所以などがびっしり特集されているこの謎の『ガロ』。当時のわたしは本当にあの漫画雑誌『ガロ』のいつかの号なんだろうと思ってしまっていたけれど、今考えると、あれはただ、彼が勝手に自主制作した自分同人誌だったんだろうと思う。彼はレアな号なんだと力説していたが、そもそも市場に出回っていない号だっただけだ。
 大阪に帰って、数週間したある日、突然、家にピアノが届いた。かなり立派な、ヤマハのクラビノーバだった。わたしが家にカシオのしょぼいキーボードしかないと言ったら、立派な電子ピアノを買って送りつけてきたのだ。わたしもびっくりしたが、一緒に住んでいた旦那さんがいちばんびっくりしていた。大丈夫なやつなん? と聞かれたが、詳しく喋ると大丈夫なわけないやろ、と言われそうで、あまり詳細は話さなかった記憶だ。ちなみにわたしは後にも先にも、これ以上大きなプレゼントをもらったことはない。
 ピアノが送られてきて、こんなものをいただいたのだから、それなりにしっかり仕事しないとなあと思ってはいた。彼からはほぼ毎日メールが来ていて、映画のイメージをしつこくしつこく説かれていた。そして月に一回は東京のアトリエに来て、一緒に曲制作をしてほしい、と言われた。ちなみに、アトリエにはわたしが弾くためだけに用意されたピアノが、何台も、何種類も置いてあった。
 交通費は貰えたので、当時わたしは大阪で新婚だったにも関わらず、月に一回、二泊三日のペースで東京に来ていた。ライブがなくても、彼と音楽制作するためだけに上京していた。アトリエは完全密室で、彼とわたししかいない環境である。普通なら警戒するだろう。この男、わたしにスケベするんではないか、とか。
 しかし、彼は年齢こそおっさんではあるけれど、めちゃくちゃ男前でキラッキラの容姿なので、女には全く不自由してなさそうだったし、こんな男前の人が、わたしみたいな地味なブサイクを相手にするわけがないやろう、とわたしはある意味ですごく安心していた。そして彼は本当に、最後までわたしに指一本触れることはなかった。本当に、純粋に、わたしの作る音楽が好きなのだと、何度も何度も力説してくれていた。
 アトリエには基本、彼ひとりだけしかいないのだが、ときどき謎のじいやがいた。年齢で言うと、たぶん60歳は超えているであろう。なんだかうだつの上がらない感じだけど、真面目ではある感じのじいさんが、彼の秘書なのか、スタッフなのか、通いで来ているようだった。年齢的には彼の親世代だったけど、血縁関係は全くなさそうだった。と言うのも、じいやは顔もスタイルもどこにも彼の遺伝子を感じられない、本当に普通のおじいさんだったからだ。彼ほどの華やかなアーティストなら、もっと美人秘書とかイケメンスタッフを携えていてもおかしくないのに。正直、仕事もあまり出来なさそうで、よく彼はおじいさんのミスに声を荒げていた。なんでまた、わざわざこんなおじいさんを雇っているのか。最後までよくわからなかった。
 彼の生活もまた謎で、彼は超絶ショートスリーパーで殆ど寝なかった。なので制作する二泊三日はほぼアトリエに泊まり込みで、徹夜で何十時間もずっと曲制作をしていた。ここはこういうイメージ、こういう音、で、ここから盛り上がって、そうそう連打する感じ、みたいな具体的な意見をずっと出してくれるので、ある意味作りやすかった。彼の中で大体の音は鳴っているようなので、それをわたしが汲み取って、譜面に起こして行くだけのような作業だった。
 ちょっと休みましょう、となると、彼はわたしを東京駅前の個室ビデオ試写室に連れて行った。来たか、とうとうスケベされるんか、と身構えたが、当然別々の個室に入り、ただ寝るだけの5時間パックだった。生まれて初めてビデオ試写室に入ったが、一応女でも泊まれて、漫画喫茶よりは広くてちゃんと寝転べて、わりと快適だった記憶だ。箱ティッシュも使い放題なので便利便利。ビデオ試写室でシャワーを浴びて、ちょっとだけ仮眠して、またアトリエに戻り、作曲作業をした。わたしは基本、曲作りはひとりぼっちでやる人間なので、こんなに誰かと一緒に共同作業するのは初めてだった。でも、彼の中に明確なイメージがあるので、そしてわたしの中にはこのプロジェクトにおいてはこだわりが特にないので、徹夜がしんどいことを除くと、さしてストレスもなく、作曲作業は進んでいった。
 そんな制作を3ヶ月ほど続けて、やっとのことで曲が完成した。ピアノ一本のインストにして40分越えの超大作になった。これを弾くためにわたしはしばらくずっと軽い腱鞘炎になっていた。自分の曲では絶対やらない、鍵盤を高速連打する箇所があったからだ。もう、どんな曲だったかすっかり忘れてしまったし、楽譜はどこかに残っているはずだが、今でもちゃんと1曲弾ききるのは無理だろうと思う。
 曲が出来上がってからは、わたしも上京することもなくなり、彼からの音信も途絶えた。しかしそれから1年もしないうちに、わたしは自分の意志で東京にアパートを借りて上京することになって、その際はわたしの初めてのワンマンライブを企画してくれたりもして、色々お世話になった。そうそう、銀座のギャラリーで行われた、彼の個展の中でライブをしたこともあった。会場に行ってみると、檻の中にピアノが置いてあり、わたしは生まれて初めて、檻の中でライブをした。動物園の檻の中のチンパンジーにでもなったような気分だったが、最前列で見ていた彼は一曲目から大号泣しておられた。
 彼はその後、事情があって東京駅のアトリエは引き払い、作品づくりもやめてしまったぽくて、今はゴールデン街で飲み屋をやっているらしい。でも彼は「僕の身体そのものが作品」と言っていたので、アーティストには変わりないんだろうな〜とは思う。

 ここ、東京駅の八重洲地下街の中にある、アロマコーヒー八重洲店に来ると、彼のことを思い出す。アロマコーヒーのモーニングセットはトーストにサービスで小倉あんをつけてくれる。あんこはそこまで好きじゃないけど、久しぶりにあんトーストを食べたら美味しかった。トーストはかなり分厚くて、ドリンク+100円でついてくるモーニングにしてはお得すぎる。しかも12時までモーニングをやってくれているのも良心的。

 他にもサンドイッチ類もとても充実していて、わたしはツナサンドが好きなのだけど、ツナも野菜もたっぷりのサンドイッチがバスケットに入ってやってきて、デザートに小さいコーヒーゼリーをつけてくれるのもうれしいサービス。

 コーヒーを飲みながら、本当にあのアトリエの目と鼻の先にあるにも関わらず、当時は来なかったのが不思議だなあと思ったが、そうだった、当時は東京駅の改札まで彼が迎えに来てくれて、そのままアトリエに直行で、帰りも改札まで見送りに来てくれていたので、自由時間が全くなかったのだった。
 あのアトリエは今どうなってるんだろうと、行ってみたが、今は全く違うオフィスが入っていた。ふと、あの数ヶ月は、本当にあったんだろうかと不安になった。本当は全て幻かわたしの夢で、ドラキュラの末裔の彼なんていなくて、アトリエなんて存在していなかったのかもしれない。当時はすごくうるさく聞こえていた、ビル入口のモスキート音は、今はもう聞こえなかった。わたしも歳をとったなと思った。


今回のお店「アロマ珈琲八重洲店」

■住所:東京都中央区八重洲2―1 八重洲地下1番通り
■電話:03―3275―3531
■営業時間:月〜金 6時半から21時半 土 7時から21時 日 7時半から21時
■定休日:なし

■北村早樹子のたのしい喫茶店バックナンバー

北村早樹子

1985年大阪府生まれ。
高校生の頃より歌をつくって歌いはじめ、2006年にファーストアルバム『聴心器』をリリース。
以降、『おもかげ』『明るみ』『ガール・ウォーズ』『わたしのライオン』の5枚のオリジナルアルバムと、2015年にはヒット曲なんて一曲もないくせに『グレイテスト・ヒッツ』なるベストアルバムを堂々とリリース。
白石晃士監督『殺人ワークショップ』や木村文洋監督『へばの』『息衝く』など映画の主題歌を作ったり、杉作J太郎監督の10年がかりの映画『チョコレートデリンジャー』の劇伴音楽をつとめたりもする。
また課外活動として、雑誌にエッセイや小説などを寄稿する執筆活動をしたり、劇団SWANNYや劇団サンプルのお芝居に役者として参加したりもする。
うっかり何かの間違いでフジテレビ系『アウト×デラックス』に出演したり、現在はキンチョー社のトイレの消臭剤クリーンフローのテレビCMにちょこっと出演したりしている。
2017年3月、超特殊装丁の小説『裸の村』(円盤/リクロ舎)を飯田華子さんと共著で刊行。
2019年11月公開の平山秀幸監督の映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(笑福亭鶴瓶主演)に出演。
2019年より、女優・タレントとしてはレトル http://letre.co.jp/ に所属。

■北村早樹子日記

北村さんのストレンジな日常を知ることができるブログ日記。当然、北村さんが訪れた喫茶店の事も書いてありますよ。

■北村早樹子最新情報

2023年8月29日火曜日
北村早樹子ワンマン第12回

■場所:阿佐ヶ谷よるのひるね
■時間:19時半開場19時45分開演
■料金:2000円+1ドリンクご注文(完全予約制)
ご予約の方は、katumelon@yahoo.co.jp まで、お名前、連絡先、枚数をご連絡ください。


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