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シュヴァリエ・ド・サン・ジョルジュの剣術について

ジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュは優れたヴァイオリン奏者と作曲家だけじゃなくて、剣の腕も上手な剣士であるということはもう既にご存じの方が多くいらっしゃるでしょうと思っておりますが、彼がどれほど剣士として上手いかをもう一度再確認したくこの記事を書き上げた次第でございます。

この英語の記事から引用したように:

英語の引用:He progressed well, and within a few years, had become a champion fencer and accomplished horseman. His arms were described as being faster than lightning. Joseph fought many duels and matches in France, as well as in England.

翻訳:彼は順調に進歩し、数年以内にチャンピオンの剣士となり、優れた騎手になりました。

彼の腕は稲妻よりも速いと描写されました。

ジョセフはイングランドだけでなくフランスでも多くの決闘や試合を戦った。

上記の記事からでも分かる通りに、シュヴァリエ・ド・サン・ジョルジュの剣士としての腕は確かで、剣を突いたり振ったりしてる時は雷の速さのように表現している目撃者がいらっしゃったようですね。

この記事からでもそういうことが確認できました:

英語の引用:In late June, Philippe, dubbed "The Red Duke" in London, finally realized that his “mission” there was a ruse used by the king to get him out of France. At first he consoled himself by attending horse races, trussing girls and swilling champagne with his friend, Prinny.[57] At that point, perhaps, to save his pride, Philippe clung to a vague promise made by King Louis to make him Regent of the Southern Netherlands. But when the harebrained attempt to impose him on the Belgians who wanted a Republic, failed miserably,[58] Saint-Georges, disillusioned by Philippe’s self-serving behavior, instead of returning to London, headed North, back to France.

"On Thursday, July 8, 1790, in Lille’s municipal ballroom, the famous Saint-Georges was the principal antagonist in a brilliant fencing tournament. Though ill, he fought with that grace which is his trademark. Lightning is no faster than his arms and in spite of running a fever, he demonstrated astonishing vigor."[59] Two days later looking worse but in need of funds, he offered another assault, this one for the officers of the garrison. But his illness proved so serious that it sent him to bed for six long weeks.[60]

日本語翻訳:6月下旬、ロンドンで「赤い公爵」と呼ばれたフィリップは、ロンドンでの自分の「使命」が、自分をフランスから追い出すために国王によって使われた策略であることについに気づいた。最初は友人のプリニーと競馬に参加したり、女の子たちと付き合ったり、シャンパンを飲んだりして自分を慰めていた[57]。その時点で、おそらくフィリップは自分のプライドを保つために、自分を南ネーデルラントの摂政にするというルイ国王のあいまいな約束にしがみつきました。しかし、共和制を望んでいたベルギー人にフィリップを押しつけようとする無謀な試みが惨めに失敗したとき[58]、サン=ジョルジュはフィリップの利己的な行動に幻滅し、ロンドンには戻らずに北へ向かい、フランスへ戻った。

「1790年7月8日木曜日、リール市の舞踏室で、有名なサン・ジョルジュが華麗なフェンシングトーナメントの主な敵対者となった。

病気にもかかわらず、彼は彼のトレードマークである優雅さで戦った。彼の腕は稲妻よりも速く、そして熱を出していたにも関わらず、彼は驚くべき活力を示した。」

[59] 2日後、容態は悪化したが資金が必要だったので、彼は別の襲撃を申し出たが、これは守備隊の将校に対するものであった。しかし彼の病気は非常に深刻であることが判明し、6週間もの長い間寝込んでいた [60] 。

引用終了。

これだけ読めば、なんかサン・ジョルジュさんって、もしFGOの英霊として登場していたら、シュヴァリエ・デオンとも互角以上の勝負が出来ちゃいそうですね?


Fate: Grand Orderのシュヴァリエ・デオン

なので、もしシュヴァリエ・ド・サン・ジョルジュのがアニメとか漫画やラノベやゲームの中でキャラクターとして登場していたら、彼の剣術の凄さが真っ先に表現されることになるのがワクワクしちゃいますね。

西洋剣術であるフェンシングの達人である彼は、剣士としても優れた才能を持っているので、ローファンタジー版のフランスにしろ異世界転生させるにしろ、色んな場面でキャラクターとして活躍させられるのが面白いですね。

そういえば、既にとあるラノベ作品にて、サン・ジョルジュさんにインスパイアされているキャラクターが登場しました。


転生貴族 鑑定スキルで成り上がる

そうです、『転生貴族 鑑定スキルで成り上がる』というラノベに登場しているリーツ・ミューセスという褐色男性ですね。

リーツもサン・ジョルジュさんと同じで、剣術がとっても上手なマイノリティー系の人間です!

そして、彼も元々は差別されていた人間なので、シュヴァリエ・ド・サン・ジョルジュと似たような境遇とも言えますよね。

ですが、シュヴァリエ・ド・サン・ジョルジュはリーツ君と違って、【白人ハーフ】でもあるので、彼が受けた差別はそこまで酷くはなく、むしろとても軽いものだったとも言えますね。なにせ、あの有名なマリー・アントワネット王妃ともお知り合いな間柄なんでしたから。

結論

ジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュは当時のフランスにおいて、シュヴァリエ・デオンと並ぶほどの凄腕の剣士であるということはもう疑いようのない事実なんですね。
なので、これからも創作において、彼をキャラクターとして扱う色んな場面が楽しみです。
例えば、革命期フランスが舞台のローファンタジーRPGとか美少女ゲームとか。
あるいは、異世界転生した数々のすごいフランス人の歴史的偉人が活躍しているラノベや漫画における一人のキャラクターとして登場しているとか。

漫画作品にて、サン・ジョルジュさんの【稲妻のような速さの剣の突きと振り方】の描写、すごく楽しみであります!😊

では、ここまでにしておきますので、皆様もお元気にお過ごし下さいね!😃



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