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1番小さい声を聞け! 「殺人犯はそこにいる」から学んだこと

清水潔記者による、調査報道をまとめたノンフィクション、
「殺人犯はそこにいる」を読みました。

足利事件はご存知でしょうか。

1990年に栃木県足利市で起こった、
幼女誘拐殺人事件です。

翌1991年に犯人として菅家利和さんが逮捕・起訴され、
17年にも及ぶ服役期間を経て、

2009年にDNA再鑑定の末、菅家さんのDNAと犯人のものが不一致であることがわかり、
再審で完全無罪を勝ち取った、という事件です。

いわゆる冤罪事件です。

しかし、この事件は5人に及ぶ連続幼女誘拐殺人事件である可能性が高く、
真犯人は捕まっておらず、
5件とも未だ解決には至っていません。

著者の清水さんは、冤罪報道や菅家さんの釈放が目的ではなく、真犯人の逮捕が目的と書いていますので、
清水さんの闘いはまだ続いています。

「殺人犯はそこにいる」の出版から8年が経ちます。
真犯人が捕まっていない理由は、
警察が捜査に動かないからです。

なぜ動かないかと言うと、
真犯人が判明し、捕まってしまうと、
それまでの旧DNA鑑定で捕まえ、裁いてきたいくつもの事件が、
一気にひっくり返され、警察の威信に関わるからではないか、と言われています。

この本では警察や検察の捜査、対応の杜撰さや既得権益にしがみつく人たちの醜さも鮮明に描かれていますが、

清水さんはそれだけではなく、
冤罪を招いた理由や遺族の苦しみの原因として、
日本のメディアの報道体質を挙げています。

いわゆる報道被害というやつです。

清水さんのように自ら調査し、報道するのではなく、
「然るべき」当局、警察や政府の発表する、
それも現場に行っていない高官や幹部が発表する
文面を、「広報」しているだけ。

つまりは伝聞の伝聞、のような報道がまかり通っているということです。

権力側の言葉を鵜呑みにし、自ら調べることなくただ情報を右から左に流し、
大衆もそれを受け入れる。
そうして歪められた事実が、
時に被害者や関係者を苦しめる。

それってジャーナリズムって言うのだろうか…。

そんなことを考えてしまう、非常に大きな問題を提起してくれている一冊です。

権力側の意見を鵜呑みにせず、
市民の視点に立って調査し、報道する。

そんな清水さんの報道における信念は、

「1番小さな声を聞く」だそうです。

この点に僕は最も感銘を受けるとともに、
僕の日々の仕事や、これから進めていきたいことにおいても、
胸の中に常に置いておくべきものだと感じました。

政府ではなく納税者や有権者の声を。
経営者や企業ではなく労働者や消費者の声を。
行政ではなく利用者、困窮者の声を。
上司ではなくクライアントの声を。
(お客様は神様、とは違います)

そして僕の関わる教育の世界では、
文科省や教育委員会、校長や教頭ではなく、
共に働いている先生や、
共に学んでいる生徒の声を。

それらに常に耳を傾け、小さな、弱い声を拾っていく。

そしてそれを公にし、変えるべきものは変えていく。

小さい、弱い意見を、大きなところへ繋げる。
けっして小さい声vs大きい権力のような構図にしてはいけないと思います。

あくまで僕や、社会を変えようと動く人たちは、
小さく弱い意見を大きな権力と繋ぐハブであるべきだと思います。

弱い立場の人や大衆を焚きつけるような、
火に油を注ぐようなことはあってはならないと思います。

小さな声に耳を傾け、その心を拾い集め、
広く大きい場所へそれを繋げる。

それが僕の役割であり使命だと、勝手に思っております。

勝手な使命感を抱いたバカの力の集まりが、
世界を変えるのだと信じています。

失敗や徒労に終わり命が尽きれば、
ただのイタいやつで終わりますが、
僕は諦めません。
挑戦し続けます。


小野トロ


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