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写真にはドラマがある ~松本路子の撮影ノオト~

世界各地のアーティストの肖像を撮影する中で、忘れられないエピソード、写真のこと、自宅マンションのバルコニーから、60鉢のバラ・果樹の季節の便りなどを綴ってみたいと思います。本・映…
人やものとの出会いの物語りを、一緒に楽しんでもらえたら、嬉しいです。
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#撮影ノオト

こんにちは! 松本路子マガジンです

こんにちは! 松本路子マガジンです

マガジン始めました月間4〜7回の新作記事を目指しています。現在制作中のニキ・ド・サンファルの映画のこと、世界各地のアーティストたちとの出会いの物語を中心に、折々の写真やエッセイを掲載していきたいと思っています。内容はいろいろですが、まずは以下の興味ある8本の幹から枝葉を伸ばします。ご購読いただけたら嬉しいです!

Contents 記事の主な内容○ニキ・ド・サンファルとの出会いの物語&アート・フィ

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石岡瑛子さんの70年代を物語るポートレイト ~撮影ノオト

石岡瑛子さんの70年代を物語るポートレイト ~撮影ノオト

先週、あるテレビ番組の制作者から、番組内で石岡瑛子の写真を使用したいというオファーがあった。私が彼女を撮影したのは、1977年。パルコのポスターなどの、アート・ディレクションの仕事の最盛期ともいえる頃だ。

撮影場所は、石岡瑛子デザイン室と渋谷のパルコ館内で、ポスターやパネルと一緒に写真に収まっている。当時のポートレイトはあまり存在しないのか、以前にもNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」とい

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合田佐和子回顧展 & 撮影ノオト

合田佐和子回顧展 & 撮影ノオト

3月26日まで三鷹美術ギャラリーで開催されていた合田佐和子の回顧展「帰る途(みち)もつもりもない」に、会期終了まじかに駆け込みで出かけた。彼女の作品展は何度か見ているが、高知県立美術館に続く今回の展示は、まさに回顧展に相応しく充実したもので、改めてその作品世界に浸ることができた。

私が合田佐和子のポートレイトを初めて撮影したのは、1985年。その時彼女はエジプトに永住する準備していたところで、撮

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「人間以外に宛てた手紙・アボカドの木へ」

「人間以外に宛てた手紙・アボカドの木へ」

昨年、仕事場の移転で本や資料などを整理していて、さまざまなものを「発見」した。季刊『手紙』第十号もそのうちのひとつ。私はこの小冊子に「アボカドの木へ」という短文を寄稿していた。メディアに載せた写真や文はほとんど整理・保存しているが、なぜかこの小冊子の存在は忘れていた。装丁や佇まいが素敵で、大切に置いていたのが、かえって本の間に紛れてしまったようだ。

巻末を見ると『手紙』という小冊子は、オーデスク

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放浪の果ての安住の地。林芙美子の家

放浪の果ての安住の地。林芙美子の家

友人の画家、奥山民枝さんの個展を見に尾道に向かったのは、2010年のこと。奥山さんは当時尾道大学で教授をしていて、個展はその地の「なかた美術館」で行われていた。もう一人の共通の友人と尾道で待ち合わせ、個展を見た帰りに、駅近くの商店街にある林芙美子の旧居に立ち寄った。

当時は「レストランカフェ おのみち芙美子」という名前の喫茶店に芙美子ゆかりの品が展示されていた。その店を通り抜けた奥の離れの2階が

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ローリー・アンダーソン ~撮影ノオト~

ローリー・アンダーソン ~撮影ノオト~


「オー・スーパーマン」 不思議な音楽を聴いた。テクノロジーを駆使しながら、声を楽器のように使い、言葉を操る。機械的だが、どこか暖かいサウンド。1982年、ニューヨーク滞在中に出合ったのは、ローリー・アンダーソンの「オー・スーパーマン」だった。

 当時、私はニューヨークの女性たちの肖像を撮影していて、曲を聴いてすぐにアンダーソンに会いたいと、10月、トライベッカにある彼女のロフトを訪ねた。ひとし

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ジゼル・フロイント ~撮影ノオト~

ジゼル・フロイント ~撮影ノオト~

パリで出会った写真家パリ滞在中、ギャラリー・フランスのオーナーに、ポンピドゥ―・センター(フランス国立近代美術館)で開かれる、オープニング・レセプションに誘われた。ポンピドー・センターでは初の写真家による回顧展だという。私はジゼル・フリュンドというその写真家の名前を知らなかったが、興味を抱いてレセプションに参加した。1991年12月のことだ。パリで彼女の名前はジゼル・フリュンドと発音されていたが、

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浅川マキ ~撮影ノオト~

浅川マキ ~撮影ノオト~

19歳の出会い今年3月に仕事場を移転した。40年間使っていた場所なので、写真や資料が山のように貯まっていて、整理するのは難事業だった。その中で忘れていた記憶の細部を呼び覚ます、いくつかの資料が見つかった。大学に入学して1年目に友人たちと作った同人誌もそのひとつ。『曼珠沙華』と名づけた小冊子に「浅川マキのこと」という一文が残されていた。

写真のサークルに入部して、ドキュメンタリー写真に興味を持ち始

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ルイーズ・ブルジョア ~撮影ノオト~

ルイーズ・ブルジョア ~撮影ノオト~

ニューヨークのアトリエにて高さ9メートルにも及ぶ巨大な蜘蛛のオブジェ「Maman(お母さん)」で知られる、ルイーズ・ブルジョア。「蜘蛛」は1990年代後半、彼女が90歳近くなってから手がけた作品のシリーズで、世界数カ所の野外に設置されている。東京の六本木ヒルズ、森タワー広場にあるのもそのひとつである。

ルイーズ・ブルジョアのニューヨークのアトリエには、3回ほど訪れている。西20丁目の半地下1階、

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シンディ・シャーマン ~撮影ノオト~

シンディ・シャーマン ~撮影ノオト~

ネクスト・ウェイブとしてさまざまな人物に扮して、自ら撮影する写真で知られるシンディ・シャーマン。彼女を撮影したのは、1984年、東京のラフォーレ原宿のギャラリーで日本初の個展が開かれた時だった。

シャーマンの作品は現在よく知られているが、「アメリカ女性、ネクスト・ウェイブ」というイベントの一つとして、これから注目されるだろうアーティストの紹介としての写真展だった。

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ダーシー・バッセル ~撮影ノオト~

ダーシー・バッセル ~撮影ノオト~

英国ロイヤル・バレエの楽屋にて20年の長きにわたり英国ロイヤル・バレエ団を代表するバレエ・ダンサーとして、世界的に活躍したダーシー・バッセル。

私が最初にバッセルに会ったのは1993年、彼女が24歳の時だった。当時、世界各地で女性アーティストの肖像を撮影していた私は、ロンドン滞在中にバッセルの舞台を見て、すぐさま撮影を申し込んだ。

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ヴィム・ヴェンダース ~撮影ノオト~

ヴィム・ヴェンダース ~撮影ノオト~

ヴェンダースの写真展「ベルリン・天使の歌」などで知られる映画監督のヴィム・ヴェンダースが、2006年、東京で写真展を開いた。妻である写真家のドナータとの2人展。「尾道への旅」と題され、京都から尾道に向かった2人が旅先で出会った人や風景を撮影したものだった。

ヴェンダースは70年代に「都市のアリス」「まわり道」「さすらい」の3部作を制作し、旅する人物、風景の移り変わりを映像化したロード・ムービーの

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メレット・オッペンハイム ~撮影ノオト~

メレット・オッペンハイム ~撮影ノオト~

スイスのベルンにて「やり過ぎだね。ダリみたいじゃない?」と、作品を手にカメラに向かってポーズを取るメレット・オッペンハイム。1985年にスイス、ベルンの彼女の自宅を訪ねた時のことだ。

どの様な経緯でオッペンハイムの自宅に行き着いたのか、今は記憶もおぼろげだが、パリ滞在中にどうしても彼女に会っておかねばと、ベルン行きの列車に飛び乗ったのを憶えている。

私がオッペンハイムの名前を知ったのは、「毛皮

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マイヤ・プリセツカヤ ~撮影ノオト~

マイヤ・プリセツカヤ ~撮影ノオト~

瀕死の白鳥舞台の奥から登場する一羽の白鳥。小刻みに移動しながら、羽を動かし、空に羽ばたこうとするが、力尽き、やがて息絶えてゆく。バレエ「瀕死の白鳥」を踊るマイヤ・プリセツカヤの舞台はまさにそこに死にゆく白鳥が在るとしか思えないものだった。

死を目前にした白鳥の狂おしいほどの生への渇望、そして崩れゆく姿のはかない美しさに観客はただただ息を飲んで見つめるばかり。わずか数分の出来事なのに、その余韻の大

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