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    残しておきたい日々のこと

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ままならない

使い込まれた畳の上に座る。おしりと二つの膝の三点で体を支え、上半身はゆらゆらと自由な状態を保つ。目は閉じても開けたままでもいいらしいが、とりあえず閉じてみる。視界が暗くなると急に聴覚が冴えて、聞こえていなかった音が聞こえてくる。聴くのではなく、聞こえてくる状態に自分を置くことに集中する。音が聞こえる、ただそれだけの自分になる。 パチン! と木の板がぶつかる音がして、その後に鈴の音が続く。尾を引いて消えていくような金属音に連れていかれて、世界と自分だけになる。鳥の鳴き声、風の

      • mixtape, 25

        真夏のピークがさったかどうかを 誰かに尋ねないとわからないなんて、かわいそうだ 自分で季節を感じることができないのなら いっそこの国からでたほうが幸せだろう * 美しさを感じる器官が、見つかっていないだけで、きっとこの体の中にあると思う。遊ぶように鳴く小鳥の声に、被さるようにして、絶え間なく流れる駅のアナウンスが聞こえる。 * 電車が海辺の街を通るとき、その果てしない青さが窓の外に現れるのを、どうしていつも突然のことのように感じるんだろう。私は驚きを胸いっぱいにためて

        • aiaoi

          そこに必要な、最低限の灯り。何かを照らすためではなく、そこにあるべくして最初からあるような光。白い器から広がる、スパイスの香り。ベージュのチャイラテの暖かさとすこしの厳しさ。海に近く、海と生きる激しい風の音。そこから守られている、おくるみのような安心感。柔らかく空気を含んだお部屋のリネン。海のゆりかご、という言葉が思い浮かぶ。 大切にするということを、必死に考えた1年だった。もらったことを自分の中に植えて、枯らさないように育てていきたい。甘い果実を実らせて、ちゃんといつか返

        ままならない

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          14本

        記事

          4月16日 祖父が亡くなったときの日記②

          早めに起きて、身支度と荷物を整えて空港へ向かう。膿んできたバナナともう少しで腐りそうな食パン、そしてグレープフルーツが冷蔵庫に眠っていて、それらを出発前に全部食べてしまいたかったけど、そこまで余裕を持って起きれなかったため断念。家を出る瞬間にスーツケースの取っ手が壊れて上がらなくなっていることに気がつき、終始中腰での移動になってしまう。最近見つけた可愛いスーツケースを買うことを決意。随分前から壊れてはいたんだけど、ものを捨てるのはやっぱり得意じゃない。 空港に思ったより早く

          4月16日 祖父が亡くなったときの日記②

          4月15日 祖父が亡くなったときの日記①

          土曜日。朝なんとなく起きて、ボーッと携帯を眺めていた。昨晩遅かったし、今日の予定も夜だから二度寝しようと思っていた。ほんとに、いつもの土曜日の朝のように。シパシパする目に耐えられずもう少しでまぶたが落ちるかな、というところで常にマナーモードの携帯に静かに母から電話がかかってきて、無視しようか一瞬考えたけど、なんとなくでた方がいいなと勘が働いて緑のボタンを選ぶ。わざと眠たそうな声で「こんな時間に電話してこないでよ、でもなんかあったんでしょ」みたいな雰囲気を出してみる。特に挨拶も

          4月15日 祖父が亡くなったときの日記①

          意図せずとも変わってしまったことのすべて

          泣きそうな日々。ようやく4月ですね。 以前、誰かに向けて文章を書いていたとき、すべては手紙のようにあってほしいと願っていたけど、最近はそんなこともなくなっていました。どこにも行けない感情をふわりと型にはめていく作業を毎日とめどなく繰り返すことで、私たちは寂しさというものに向き合っているのかもしれません。 結局言葉を探すのはいつも自分のためだったけど、強くなりたいと思うのはいつも誰かのためでした。大丈夫でいてほしい人たちに、大丈夫でいてほしい。ただそれだけ。こんな日々がずっ

          意図せずとも変わってしまったことのすべて

          わたしを離さないで

          春って残酷だ。なんの思い入れもない桜を眺めながら「綺麗だね」と口にして、でも心の中ではずっと絶望している。今朝、起きたらぼんやりと、だけど確実に世界が全て変わってしまったような気持ちになった。それは桜が咲いて散っていくことのように、意味もなく悲しいこととして私を虚無で包んでいく。どこにいても忘れることができない幻に、ずっと支配され続けていることを感じる。 そう、どうしても忘れられないことを、ひとつも抱えずに生きている人がいるのだろうか。人でも、場所でも、景色でも、ただ一瞬の

          わたしを離さないで

          薄情もの、朝。

          朝、病院に行った。初めての健康診断で悪玉コレステロール値が低すぎるとD判定をくらい、今まで「健康が服着て歩いている」みたいな人生を送ってきた私は大ショックを受けた。悪玉が低すぎるって、悪いことなの?と疑問を抱き、よくないとはわかっていてものぞいてしまったインターネットの海には、馴染みのない恐ろしい病名がいくつか並んでいてとても怖くなった。すぐに近くの内科を予約し、再度血液検査を行い、その結果を聞きに行ったのが今日の朝。 結果的にいうと、特に問題はなかった。お医者さんも「基本

          薄情もの、朝。

          2月7日に見た夢のはなし

          毎日、飽きもせずに夢を見る。 それは今に始まったことではなく、かなり幼い頃からずっとそうだった。ポポちゃんのぬいぐるみを抱いて、怪獣に追いかけられる夢を見ていた4歳の自分を覚えている。もちろん死んだように眠りなにも覚えてない日もあるけれど、そんなのは人生の2割くらいだったと思う。鮮明に、感情的に、狂気的なほどに、私は夢に左右されている。 美しい夢を見るときもある。北の地にある、身知らずのアパートメントにいた日。カーテンを開けると眼下には雑木林が広がり、奥には静謐な湖が広が

          2月7日に見た夢のはなし

          8月8日「最近の雑記」

          家の花がどんどん枯れていく。可愛い花瓶を見つけたからと安易に買ってきた木の枝の葉がカラカラに乾いてしまったとき、私はまた一つ自分の無力を恥じた。水切りしてスプレーしてあげても、青く張りを持ったあの夏の葉に戻ってくれない。一度失くしたものは、もとには戻らない。 久しぶりに自分のために文章を書いている。長く間が開いたのは、その行為がどんどん怖いものに思えてしまって、ずっと先延ばしにしてしまったから。だって自分のなかに言葉がないことを、認めたくなかった。でも頑張って書いてみると、

          8月8日「最近の雑記」

          2月26日「なんてこともなく」

          24歳になった。自分が24歳になるなんて思わなかったけど、音も立てず、なにも変わらないまま、24歳になってしまった。とりあえず残すことに意味があると思うので、殴り書きのように、何も考えずに日記を綴ってみる。 * 日付が変わった瞬間、大学の友人2人と電話をしていた。25日の夜に「暇? 電話せえへん?」と、最近あんまり話せていなかった人からLINEがきて、珍しいなと思いつつ、私も面白いくらいに暇だったので電話をかけたのだった。誕生日だから電話してきたんか? なんて最初は思った

          2月26日「なんてこともなく」

          Love is someone you can be silly with

          青砥駅で成田空港行きのスカイライナーを待っていた。 本当は地下鉄を乗り継いで行くはずだったが、スーツケースが重くてもたついてしまい、乗り換えで電車を逃してしまったのだった。次の電車を待っていれば到着が搭乗時刻ギリギリになってしまうとわかって、予定よりも2,000円くらいオーバーした出費に痛む財布をなだめながら、結局スカイライナーに乗ることにした。 今日、半年間住んでいた部屋を引き払った。ただの寝る場所みたいになっていた、なんの愛着も湧かなかった小さな部屋。好きでもなかった

          Love is someone you can be silly with

          1月10日「どうしても生きてる」

          匂いを思い出すことはできないけれど、匂いによって思い出されることはたくさんある。悲しみもきっと、その一つだ。異なる悲しみには共通するある匂いがあり、それは私の鼻先をかすかに掠める。その匂いを嗅いだとき、私はきっと無意識に、今までの人生の悲しかったことを全て思い出してしまうのだろう。もちろんそれに気がつくときもあれば、気がつかないときもある。だけど確かなのは、たくさんの悲しみが日々に確かに存在していて、その匂いは私にだんだんと染み付いていく。どんどん濃くなって取れなくなる。積も

          1月10日「どうしても生きてる」

          風邪ひいちゃった

          時間がないことを理由に掬われず落ちていく思考の数々が、きっと私が今歩いている駅のプラットホームにはたくさん転がっているのだろうと思ったことがあった。見えないだけでそれらは確かに存在していて、高速でやってくる電車の風圧に吹き飛ばされ、積もり、そしてまた吹き飛ばされていく。 やらなきゃいけないことは何も終わってないけれど、膿のように溜まった体の中の何かをきゅっと絞り出してあげないと、このまま腐ってしまうんだろうなと、急に怖くなったので書いている。自分のなかに言葉が全然なくて怖い

          風邪ひいちゃった

          京都の秋がはじまる

          昔住んでいた場所を訪れたときのどうしようもなさに、名前がついていませんように、と願っている。 不在の間に流れていた見えない時間の重みと、その中で変わらずそこにあり続けたものへの羨み。そこら中に散らばる記憶の断片に押し潰されて、動けなくなったときに感じるどうしようもなさ。それは心をぎゅっと締め付けるけれど、ほんの少しだけ、角度が浅くなった秋の日差しのように優しさを含んでいるときがある。あの複雑な心の機微に名前をつけるなんて、そんな馬鹿げたことを過去の誰かがしていませんように、

          京都の秋がはじまる