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意図せずとも変わってしまったことのすべて

泣きそうな日々。ようやく4月ですね。

以前、誰かに向けて文章を書いていたとき、すべては手紙のようにあってほしいと願っていたけど、最近はそんなこともなくなっていました。どこにも行けない感情をふわりと型にはめていく作業を毎日とめどなく繰り返すことで、私たちは寂しさというものに向き合っているのかもしれません。

結局言葉を探すのはいつも自分のためだったけど、強くなりたいと思うのはいつも誰かのためでした。大丈夫でいてほしい人たちに、大丈夫でいてほしい。ただそれだけ。こんな日々がずっと続けば良いと思っていた、そしてそれが続かないとわかっていたあの頃を、不恰好ながらももう一度守りたくて。そう、取り戻すのではなく、もう一度守る。うまく説明できないけれど、そんな気持ちで毎日、今日という日を迎えているような気がしています。

私は、変化と間違っていることのふたつがずっと怖かった。それはここ数年でようやくはっきりとしたなにかで、ちなみに今も変わらずに正しくあり続けたいと、それだけをずっと考えて生きています。でもそんなの、つまらないですよね。間違いながら変化していくことを、誰かと一緒に歩んでいきたいと思うのに、そうやって誰かに伝えられたことは今まで一度もありません。なぜ?拒絶されるのが怖いから。なぜ?その瞬間に、すべてが変わってしまうから。

別れと出会い、終わりと始まりの季節。こんなに感傷的になるのは久しぶりで、自分のことじゃないのに、自分と重ねてしまうことが多くあります。目黒川の桜は、ライトアップが終わってしまった時間のほうが綺麗だった。そんなことをただ話したかっただけなのに、やっぱり少し怖気付いてしまって。どんどん進んでいく人の背中を、私は黙って見ていることしかできないような気がします。頑張らなきゃ。置いていかれないようにしなきゃ。棒のように硬くなった足を持ち上げて、私も同じ速度で走らなきゃ。

そのためになにか具体的なことを書いたほうがいいのはわかっているけど、今は心の上澄みだけをすくって、自分だけにわかる方法で残しておきたいと思っています。だけどそれをここに置いていくのは、だってこれを読んでいる今だけは、ここにいてくれるだろうから。あれこれそれどれ。わからないけど、そんな矛盾のあいだに、確かに存在する春なのだろうと思います。拝啓、大好きなみんな。そちらはどうですか。意図せずとも変わってしまったことのすべてを、いつか花でも観ながら、一緒に話せる日を楽しみにしています。


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