ままならない
使い込まれた畳の上に座る。おしりと二つの膝の三点で体を支え、上半身はゆらゆらと自由な状態を保つ。目は閉じても開けたままでもいいらしいが、とりあえず閉じてみる。視界が暗くなると急に聴覚が冴えて、聞こえていなかった音が聞こえてくる。聴くのではなく、聞こえてくる状態に自分を置くことに集中する。音が聞こえる、ただそれだけの自分になる。
パチン! と木の板がぶつかる音がして、その後に鈴の音が続く。尾を引いて消えていくような金属音に連れていかれて、世界と自分だけになる。鳥の鳴き声、風の音、工事の音、人の声。これらの音はどこから、どのように私に届いてくるのだろうと考える。考えながらふいに、去年の夏に訪れた京都のことを思い出してしまう。暑い日差しのなかで出会った猫や、きらきらと流れ続ける川がまぶたの裏に浮かぶ。そのときの感情を思い、いつものようにそれを少し悔いる。自分の弱さを目の当たりにする。そしてまた、人を妬んでしまうことを恥じる。恥じている自分を知る。もっと知りたいと思う。そして思い出す。ああ今私は、音が聞こえる場所にただいるべきだったのにと。
パチン! ともう一度木がぶつかる音がして、目を開ける。前に座っているお坊さんが、少しの厳しさをたたえた声で「音を聞くことだけを、できたひとはいますか?」と問いかける。私は首を横に振る。彼は同じ声で続ける。「そうでしょう。できなかった人が大半だと思います。そこで気がつくのです。私たちは、こんなにも自分をコントロールできないということに」
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26歳になってから、毎日毎日他人が羨ましくてしょうがなくて、このままだと内側から腐ってしまうと思った。誰かの特別になりたい。一緒にいてほしい。ひとりぼっちをこんなにも惨めに、恐ろしく、意味のないものだと思った日々は今まで一度もなかった。同時に、こんなにも他人を羨ましく、憎く、許せないと思ったことも今まで一度もなかった。
東京が悪いわけじゃないけれど、東京を出る以外に自分を守る方法が見つからなくて、新幹線に飛び乗った。そんな気持ちで私が行けるのは京都だけだったから。誰かを受け入れも拒みもしない、あの器の大きな街。干渉されないことの本当の心地よさを、もう一度心に戻したかった。
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「大切なのは、観察するということです。自分が何を思っても善悪で判断せず『へえ、私は今こんなことを思っているんだ』とただ知ることです」
建仁寺は両足院の広間にて、坐禅の手ほどきを受けていた。ひんやりとした朝の澄んだ空気に触れ、心が凪いでいく。お坊さんの話が耳を介さず、直接脳と心に染み込んできて、私は初めて「へえ、私はあの人が羨ましいんだ」で一旦止まっていいことを知る。波のようにコントロールできない自分の心を、観察することから始めるのだと知る。唐突に、小学生のときに花壇に植えたマリーゴールドや朝顔を思い出す。咲いても咲かなくても、ただ見つめることをやめなかった日々。
坐禅が終わると、雨が降ってきた。友人が「今日は特段、水が美しくみえる。水紋の広がり方がとても綺麗なの」と街をみて呟く。私もつられて、世界に目を凝らす。
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お昼を食べてから京都芸術センターで行われていた林智子さんの個展「そして、世界は泥である」を鑑賞し、そこで小さな泥沼と対峙した。今までどこかから漏れ出て、流れ固まりついた油膜だと思っていた水面のキラキラが、鉄バクテリアが生み出す皮膜であることを知る。
展示の最後に、真っ暗な部屋の中で20分間のインスタレーションを鑑賞する。惑星の公転を観察するような体験。人々の声の形をしていたものが、その形を破り、音にならない音、振動のようなものに変化していく。だけど「確かにある」。見えなくても聞こえなくても、ただあることの絶対的な変わらなさ。
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ホテルに戻り、部屋の机のうえに置かれた一冊の本を見つける。皮のような素材に記された『The Weight of A Feather』のタイトル。開くとそれは、柔らかな羽を繊細に映し取った写真集だった。
羽が呼び起こす記憶を思う。羽との対話のなかで、忘れていた記憶の色を思い出す。つらかったっけ、悲しかったっけ、それとも楽しかったんだっけ。今の私は、どうなんだっけ。潜るように考える。それは月食の見えない部分を見つけるように、ただ「そこにある、もしくはあった」ことを知る作業だ。
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ままならなさを生きている。ままならない心と、ままならない世界。だけどそれ以上でも以下でもない。ただそれだけ。そこにあることを知るだけ。へえ、とため息を吐くようにこぼして、こぼれた体の部分を満たすためにお茶を一口すする。美しい茶器に注がれた爽やかな初夏の香りを胸いっぱいに溜めて、いちごの浅漬けを口に含み、それが甘酸っぱいことを知る。知って嬉しくなる。私が嬉しくなることを知る。
自分を知ることから、未来がまた循環していくのかと思う。ならば誰かを羨ましく思うことにも、新しいなにかを生み出す力がある。善悪じゃなくて意味が。そしてきっと未来がある。過去が未来を支えているなら、私は今、生きていくために生きている。そこに存在するままならなさを、何度も確かめながら。
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