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Love is someone you can be silly with

青砥駅で成田空港行きのスカイライナーを待っていた。

本当は地下鉄を乗り継いで行くはずだったが、スーツケースが重くてもたついてしまい、乗り換えで電車を逃してしまったのだった。次の電車を待っていれば到着が搭乗時刻ギリギリになってしまうとわかって、予定よりも2,000円くらいオーバーした出費に痛む財布をなだめながら、結局スカイライナーに乗ることにした。

今日、半年間住んでいた部屋を引き払った。ただの寝る場所みたいになっていた、なんの愛着も湧かなかった小さな部屋。好きでもなかったし、嫌いでもなかった。ちょうど家を出るとき、近くに住んでいた人に「お引っ越しされるんですね、頑張ってください。お元気で」と言われたので、ありがとうございますと返した。どうして「頑張れ」なんて言われてしまったのかは、よくわからなかった。

スカイライナーが来るのを待っている間、プラットフォームの真ん中に設けられた透明な箱のような待合室で、電車をいくつかと、知らない人を何人か見送った。各駅停車、急行、準急行。急に朝からなにも食べていないことを思い出して、キオスクでおにぎりとホットフードを買って食べた。それは食事ではなく、空腹を満たすための作業のように思えて、すこし虚しくなった。

ふとまるで、電車のようだなと思った。私はどの電車に乗るかを自由に選べる立場にいて(それはとても幸運なことだ)、ひょいと乗ったり、降りてその街で休んだりする。十分休んだあとはどこか違う場所へと赴くために、また必要な電車を選んで乗る。もしくはなにもわからないけど、とりあえず乗ってみる。そうしてそこでしか出会えなかった風景や人たちと、思いがけない時間を共有してみたりする。

そろそろかなと時間を気にしながら、待合室にてSNSを開いた。友人が一緒に住んでいた3年前の写真をインスタに再掲していたので、ほぼ無心でいいねを押した。すぐに「一番幸せな時間だったね」とメッセージが来たので「本当にそうだったね」と返した。

最近よく、前に訪れたセシル・ビートンの展示会でみた「Love is someone you can be silly with」という言葉を、意識的に、そして無意識的に思い出している。毎日馬鹿みたいなことをして笑った、箸が転がっても面白かった、何をしていても愛おしかった人たちと住んでいた日々のこと。将来のことも、生活のことも、人生のことも、なにも考えなくてよかった。私たちはとても美しい電車に乗っていたのかもしれないし、もしくはすごく景色の綺麗な駅で停車していたのかもしれない。動いているのか止まっているのかわからない、夢の中にいるような時間だった。

あの愛しい電車から降りたあと、私たちはそれぞれ違う場所へと移り住んで、大好きだった家は空き家になって、もう「ただいま」では会えなくなってしまった。でも思い出せばツンと痛くなる目の奥が、私たちがちゃんとそこにいたことを、いつだって教えてくれる。

そうしているうちに、スカイライナーが到着する。行かなきゃ、と重い腰をあげながら、スーツケースの取っ手をガチャガチャと伸ばす。周りより少し遅れたけど、4月から社会人になる。また新しい電車に乗るときがきてしまったんだな、と感慨深くなったりする。将来も、生活も、人生も、たくさん考えなきゃいけないことが待っている。




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