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2月7日に見た夢のはなし

毎日、飽きもせずに夢を見る。

それは今に始まったことではなく、かなり幼い頃からずっとそうだった。ポポちゃんのぬいぐるみを抱いて、怪獣に追いかけられる夢を見ていた4歳の自分を覚えている。もちろん死んだように眠りなにも覚えてない日もあるけれど、そんなのは人生の2割くらいだったと思う。鮮明に、感情的に、狂気的なほどに、私は夢に左右されている。

美しい夢を見るときもある。北の地にある、身知らずのアパートメントにいた日。カーテンを開けると眼下には雑木林が広がり、奥には静謐な湖が広がっていた。あれはきっと、朝だった。

恐ろしい夢を見ることもある。でも夢の中で死んだことはなくて、誰かを殺したことはある気がする。いや、もしかしたら、逆かもしれない。覚えていたくないことは、なんとなく忘れてしまえたりする。

夢には色々な人がでてくる。見知った人も、見知らぬ人も。見知らぬ人がでてくるとき、大抵私はその人に恋をしていて、起きてすぐ、存在しない恋心に失望する。でも存在する好きな人が出てきてしまったときは、起き上がれなくなるほどに絶望する。目を開く瞬間の、そのほんの少し前まで感じていた幸せな気持ちだけが本当で、それ以外全てが嘘で。正直、全然耐えられない。耐えられないけど、自分でコントロールできるわけじゃないから、どうしようもない。 

夢は現実と連動しているわけではなく、心と連動していると聞いた。そして何度も同じ夢を見るときは、それがずっと心配で心配でしょうがなくて、夢のなかでシュミレーションしているのだとも。

一昨年くらいから、何度も見る夢がある。状況もセリフも違うけれど、同じ行動で、同じ結末。さらにその夢はいつだって、ボロボロになるまで読み古した漫画のような、綺麗すぎるハッピーエンドで。

もちろん今朝もその夢のなかにいた。絞り出すように、速む鼓動の上にのせた小さな声で尋ねるところから、その夢の終わりが始まる。そしてずっと、赤い風船のようにふわり鮮やかな心持ちで、同時に泣き出しそうなほど熱烈に、嬉しくて幸せだった。目覚めた瞬間それが夢だったと、知りたくなかったくらいには。


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