4月15日 祖父が亡くなったときの日記①

土曜日。朝なんとなく起きて、ボーッと携帯を眺めていた。昨晩遅かったし、今日の予定も夜だから二度寝しようと思っていた。ほんとに、いつもの土曜日の朝のように。シパシパする目に耐えられずもう少しでまぶたが落ちるかな、というところで常にマナーモードの携帯に静かに母から電話がかかってきて、無視しようか一瞬考えたけど、なんとなくでた方がいいなと勘が働いて緑のボタンを選ぶ。わざと眠たそうな声で「こんな時間に電話してこないでよ、でもなんかあったんでしょ」みたいな雰囲気を出してみる。特に挨拶もなく、じいちゃん、亡くなったからと私に告げる母。静かに淡々とした声に、驚きと、あと正直、やっぱりなと思ってしまう。肺炎にかかってしまったことは知っていたから、こうなる未来は、ずっと想像していた。

嫌味な声を切り替え、でも思ったより動揺せずに、じゃあ今日か明日帰るねということだけを告げ、電話を切った。やらなきゃいけないことを頭の中で整理する。とりあえず土日の予定を全てキャンセルし、航空券を手配せねば。今週は仕事が忙しくなりそうと予想していたかつ、お通夜は明日くらいかもと母が言ったため、とりあえず月曜日朝に帰ってくるものを予約。余談だけど、急にとる航空券って本当に高すぎる。

明日遊ぶ予定だった友人に連絡して、少し詳しい話をする。動揺はしていなかったけど、動揺してない自分には動揺していて、悲しみももちろんあったのだけれど、身内が亡くなるという体験が初めてすぎて、どうしていいかわからなかったのだ。25歳にして初めて向き合う人の死というものの輪郭が未だ掴めず、少し誰かに話を聞いて欲しかった。

月曜日に帰ってくるという話をすると、忌引き休暇取らないの?と真っ当なことを言われ、そんな概念が頭の中に全然なかったことに気がつく。故人とちゃんとお別れできる最期の家族の時間だから、しっかりお休みもらった方がいいよと言われて、とても納得した。私はどこまでも薄情な孫だったけど、最期くらいはちゃんとしなきゃと思った。

すぐに日曜日に設定していた復路便を取り直す。母に再度確認すると、お通夜は火曜日になったらしい。ラッキーなことに変更可の便だったので、ついでに往路も取り直す。今日1日で今週やるべきだった仕事をなんとなくやってから、実家に帰ってみんなとゆっくりしようと思いなおす。

母に航空券の変更を連絡すると、了解ですと淡白な返事が返ってきた。掴めない祖父の死には動揺しなかったが、父と祖母のことがどうしても気になっていて、母に様子を聞いてみる。「いまは大丈夫だけど、ばあちゃんは仏さん家に置いておきたいんだって」と母。父方家族と相性の悪い母だが、これまで名前にさんづけや私に合わせてじいちゃんと呼んでいた祖父のことを「仏さん」と呼んだところにどうしても引っかかってしまう。間違ってもいないし、失礼でもないのだけれど、死んでしまったらもうそれは私が知ってるじいちゃんではなく、仏さんという抽象概念になってしまうのか、と思う。

ようやく精神的に1人になって、平日できなかった家事をなんとなくこなし、ゴロゴロと携帯を見たり、昼寝したり、夜になってがっと仕事したり、みたいな1日を過ごした。変わらない日なのだが、ふとした瞬間に、あ、じいちゃん亡くなったんだっけ、と思い出したりして、少しだけ悲しさの混ざった不思議な気持ちになった。だけど仕事をしているときは気が紛れて、こんな時になんだなんだとか最初は思っていたけど、逆に少し楽な気持ちになったりした。

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