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薄情もの、朝。

朝、病院に行った。初めての健康診断で悪玉コレステロール値が低すぎるとD判定をくらい、今まで「健康が服着て歩いている」みたいな人生を送ってきた私は大ショックを受けた。悪玉が低すぎるって、悪いことなの?と疑問を抱き、よくないとはわかっていてものぞいてしまったインターネットの海には、馴染みのない恐ろしい病名がいくつか並んでいてとても怖くなった。すぐに近くの内科を予約し、再度血液検査を行い、その結果を聞きに行ったのが今日の朝。

結果的にいうと、特に問題はなかった。お医者さんも「基本的に悪玉コレステロールが低すぎて問題になることはあまりないから」と、私が素人頭で考えていたことと似通ったコメントを残した。「ただ、正しい食生活。気をつけてくださいね」とも。そういえば、健康診断の前の日に炎の24時間撮影があって、コーヒーを4杯は飲んだし、いつもは食べないお菓子をドカ食いしていたことを思い出した。

人は弱い。私は精神的なことばかりを考えていたけれど、しっかりと、肉体的にも脆い生き物であることをあらためて知った。たった少し、何かが狂ってしまえば、簡単にここからいなくなってしまえるのだろう。大切なひとの不在を想像したりはするけれど、自分の不在を考えることは今まであまりなかった。私は多分ゾンビ映画で、自分は大丈夫だと思い込みながら中盤であっけなく死んでしまうタイプの人間なんだ。でもとりあえず問題ないですよなんて言われて安心した私は、自分の不在という、触ることのできないふわっとした恐怖を明日にはまたすぐ失くしてしまうだろう。なんなら、お昼ご飯を食べたことには忘れているのだろう。

ちょっと気を張っていたのだけれど、なんだか拍子抜けしてしまって、いつものカフェに入った。少し仕事しながら、なんとなく思い出して、尊敬している友人が以前書いた文章や、自分が大学生の頃に書いた文章を読んだ。懐かしくて美しくて、朝から一人で少し泣いた。そういえば、思っていたより人は泣かないんだなと最近実感することがあって、それとも、自分がやけに泣き虫で単純なだけかもしれないと、不毛なことを考えたりしている。

昔書いた文章を読みながら、使う言葉は少しずつ変わったけど、根本的な部分は変わっていないことに安心する。あれから2年が経った。20代前半ってきっと貴重なもので、たいせつに過ごすべきだったのだろうけど、私は自分がどう過ごしていたかを覚えていないくらい、日々を適当に、だけど精一杯に過ごしている。そう、精一杯。くしゃくしゃでも、みっともなくても、取り繕っていても、それが精一杯だった。

思い出すことに罪悪感を感じていた時期もあったけど、最近は思い出すこともあまりなくなっていたなと思う。久しぶりに読んだ自分の文章に懐かしい面影を見つけて、ひとりで寂しくなる。私に絵を描いてくれたあの人は、いまどこにいるだろう。言葉にしたとたんに、そこにとらわれてしまうねと、優しい温度で許してくれた彼はいまなにをしているだろう。思い出すことで救われようとしてしまう弱さを、美しいなにかに帰化してしまった記憶を、どうすることもできないまま、極東の地で今日もコーヒーを飲んでいる。彼の不在を次の瞬間に忘れてしまうくらいには、遠い場所で。


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