4月16日 祖父が亡くなったときの日記②

早めに起きて、身支度と荷物を整えて空港へ向かう。膿んできたバナナともう少しで腐りそうな食パン、そしてグレープフルーツが冷蔵庫に眠っていて、それらを出発前に全部食べてしまいたかったけど、そこまで余裕を持って起きれなかったため断念。家を出る瞬間にスーツケースの取っ手が壊れて上がらなくなっていることに気がつき、終始中腰での移動になってしまう。最近見つけた可愛いスーツケースを買うことを決意。随分前から壊れてはいたんだけど、ものを捨てるのはやっぱり得意じゃない。

空港に思ったより早く着いたので、コーヒーを買いつつ保安検査を通り、搭乗口のベンチで待っていることにする。やらなきゃいけない仕事が残っていたが、昨日結局寝たのが3時くらいで、やる気が眠気に勝てない。最近ずっと脳死で見ていたアニメをながら見しつつうとうとする。。。。

はっと起きたときには、離陸時間の10分過ぎだった。嘘でしょ? と思いながら、近くにいた航空会社の人に声をかける。もうとんじゃいましたよ! お客様、アナウンスで探されてましたよ、、、ってえ〜〜〜恥ずかしすぎる、イヤホンありで寝てたので聞こえませんでしたほんとにごめんなさい……。とりあえず乗り換えカウンターまで行ってみてくださいと丁寧に案内をいただき、中腰ダッシュでカウンターへ。ラッキーなことに、1時間後に次の便があったので無料で振替してもらうことができた。ありがとうJAL。JALしか勝たん。

新しい搭乗口近くで座っていると、さっき慌てた私を案内してくれたスタッフの方に声をかけられた。大丈夫でしたか? よかったですね、、! めちゃナイスガイじゃん、と高評価も束の間、なめらかな話術でマイレージ付きクレジットカードの営業に話が移っていく。普段なら適当にあしらうのだが、お世話になったので丁寧に話を聞いてみる。てかじいちゃんのお葬式でこれから実家に帰るみたいなメンタルなんだが…クレカの営業きいてる場合じゃないんだが…と思いつつも、なんかしっかり聞いたらちゃんとおもしろかった。要検討。

営業マンが姿を消し、母親に便変更の電話をすると、埼玉のおばさんと従兄弟も同じ便だから一緒においでとのこと。迎えの手間が省けて好都合らしい。もうアニメはみない、と決めてベンチで仕事していると、隣に座ろうとしていたご婦人に少し見覚えがあった。あれ、おばさん? 私ですお久しぶりですと、確信70%くらいで声をかけてみるとビンゴ。最後に会ったのはいつだか思い出せないくらいだったのだ。でも記憶より随分と体を悪くされてて(少なくとも以前会った時は車椅子に乗っていなかった)、親族の老いでしか感じられない年月の流れを感じる。従兄弟の方はもっと会ってなくて、とりあえずものすごくぎこちない挨拶だけ交わしておく。

搭乗まで少し話をする。じいちゃんの訃報を聞いてからずっとふわふわしていたけど、親族(しかも私のおばさんなので、じいちゃんの娘さんだ)に会うことでその輪郭が少しずつ見えていくような気がした。「ーーちゃんが生まれてくれて近くにいてくれたから、お父さんは嬉しかったと思うよ、生まれてくれてありがとうね」なんて言われて、初めて泣きそうになる。ここで私が泣くのは絶対に違うと思い、そんなこと言われたら泣いちゃうよお、なんて笑った。

そこで改めて、じいちゃんとの時間を思い出す。他の従兄弟はみんな本州に住んでいたから、従兄弟の中では私が一番じいちゃんのそばにいた孫だった。私が高校受験に合格したときにじいちゃんが泣いた、みたいな忘れてたエピソードトークを叔母さんから聞かされて、認知症になる前のじいちゃんを思い出す。優しくて厳しい、とても大きな人だった。

飛行機に乗り込み、WiFiがついていることに驚く。めちゃめちゃに仕事して、日曜日に申し訳ないです、の文章を添えてスラックを送った。少し迷惑をかけてしまいそうなチャンネルだけに忌引休暇いただきますと送ると、日曜日なのに先輩方が返信を返してくれて、仕事のことはいいから家族と過ごしてねと言われてとても安心した。

空港に着くといつものように父が迎えにきてくれていた。叔母と従兄弟と乗り込み、祖父母の家へ向かう。お父さんも少し気落ちしてるかなと思ったけど、思ったより大丈夫そうで安心する。じいちゃんの最期のはなしを聞いて、苦しまずに亡くなった事実にまた安堵した。空港から家までの白樺並木がまだ素っ裸で、対照的に青々と茂った表参道の木々を思い出す。4月半ばなのにまだ冬みたいに寒くて、がらんという謎のオノマトペがしっくりくるような風景だった。

祖父母の家に着き、じいちゃんに挨拶をする。ばあちゃんが顔を見てやって、と言い、顔に乗った真白いハンカチに目線を向ける。少し怖くて、多分少し手が震えていた。お作法がわからず、合掌もせずにハンカチを少しだけめくる。顔は少し黄色みを帯びていたけど、生前となんら変わらない様子で少し驚く。眠っているようでしょう。とばあちゃんが言うけど、眠らないように亡くなっていく人と対峙したことがないので、それがどれほどに尊いことかわからず、頷くことしかできない。

埼玉に住んでいる叔母が、亡くなる1〜2週間前に会えてよかったと話しているのを隣で聞きながら、最期に会えることが幸せであると思っているのは、故人も同じ気持ちなのかどうかを考えていた。じいちゃんは6年前から施設に入っていて、認知症も患っていたから誰をどこまで覚えているかは不確かで、どんな気持ちで亡くなっていったんだろうと、私には想像することさえできない。

久しぶりに家族で集まって、特に湿っぽい雰囲気になるでもなく、淡々とお葬式の準備を進めていく様子を見てまた少し安心した。湿っぽくならないのはきっと一人じゃなくて、集まれる場所があり、同じ温度で今回のことを捉えている人がいるという安心感からだと思う。私は家族というものに対して不自由したことがないものの、多分少し薄情で、特に父方の家族とは付き合いが深かったのになんとなく苦手な部分もあったりしていたから、家族というものをちゃんと意識することを微妙避けていた気がする。でも上手く言えないけど、こういう形でしか助け合うことができない事柄がこの世にはいくつかあって、今回はそれのひとつだったんだろうなと思う。そして逆に、自分が家族を持たない未来があると思っていたことに怖さが生まれてしまった。結婚しなくても幸せになれる時代に、という名コピーはとても好きであるが、1人で生きていくことが、難しい社会に生きていることは確かである。

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