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『はだしのゲン』が当たり前に学校にあった世代として

今年もこちらの記事が8月になって沢山PVを頂いており、本当に嬉しい限りです。何年たっても平和を想う気持ちが誰も変わらないことを示しているようで、瑞野にとってはちょっとした夏の風物詩になっています。

何気なく「今日って何日?」って聞かれて「8月6日だよ」って言った時に思い出すことがあったり、街がなんだかいつもよりデモとか集会で騒がしかったり、それを意識せずに生活することはできなかった1日でした。


最近見たニュースで、『はだしのゲン』が平和教育の教材から削除されたり、若者もはだしのゲンを知らない人が多いというような内容の記事が配信されていました。

中身を良く読んでいくと、はだしのゲン内で描写される内容が現代の教育とはそぐわなかったり、内容が子供たちに伝わりにくいと判断され削除された背景が見え、また教育現場でも「これを教えたかったのに」という反発や惜しむ声なども聞こえているようです。


小学校の時、私も学校図書館にあった『はだしのゲン』を読んだことがあります。確かに、ショックを受けるというか悲しい描写も多い作品でした。ゲンと爆風で崩れた家に取り残された家族の別れのシーンは、今でも脳裏をよぎる度に悲しい思いを感じる、印象的な場面です。

でも同時に、ゲンや人々の生命の逞しさ、命の営みの強さ、広島の再生と復興、その全てに思いを馳せ、戦争とは何だったのかを考えさせるには、この作品がふさわしいことには変わらないと思うのです。それがたとえ、時代錯誤の部分があると言われたとしても。

当たり前のように側にゲンが居て、夏になれば平和を学び、折り鶴を折り、広島と長崎へ修学旅行にも行った私達。意識しなくても、『平和』の二文字は『はだしのゲン』と密接に結びついていたように思います。

この作品を知らない子供たちや教えることができない大人たちが生まれることを少しだけ残念に思い、同時に『時代が流れていったということなのかな』というある種の実感も沸く部分がありました。

学びの形が幾ら変わっても
世代がどれほど移り変わっても
平和を想い、戦争を否定することを止めない。

その気持ちを子供たちに植え付けられる世界がずっと続いていってほしいと思わずにはいられない、2023年の夏でした。



おしまい。



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