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セルフネグレクト 私をやめる私たち
この何もかもその全てにおいて恵まれすぎている日本に住んでいる平和ボケした私たちは、自分のその身に何かが降りかかると、いとも簡単にその自分というものをもういいやと言って放棄してしまう。
何もかもが面倒くさい。何もやる気がしない。もうどうなったっていい。そう言って、簡単に自分というものを生きる事を放棄する。
今現代に生きる私たちは、あまりこの自分というものに特別な感情を持ってはいない。自分が今此処にこうしてあるという事にあまりというか、特にそれほど強い感情みたいなものは持ってはいない。
別にこの世界に生まれたくて生まれてきたわけじゃない。そんな事をいう人も中にはいる。
何がなんでもいい。別に自分なんてどうなったっていい。こうした考えはあまりにも、怠惰なものではないかと思う。この世界に生まれてきたからには、それなりにその自分にもたらされたその命に対して払うべき責任というものがあるのではないかと・・・。
でも、そんな責任など何もないと言わんばかりに、今この世界に生きる多くの人たちは簡単にその自分を放棄する。
どうなろうが別にいい。私の知った事じゃない。そう言いながら、皆よくわからない世界の中に落ちていく。その中で自分を殺してくれ!と言わんばかりに。
この世界に生きる人間に今一体何が起きているのだろうか?
もっと自分というものに興味、関心を持って、その自分を生きて欲しいと私なんかは思うのだが、その自分に今の子たちはそれほど強い執着がない。
自分の事をある人は、こんなもんとそういう。こんなもん別にどうなったっていい。まるで、自分の事をそこらへんに落ちているゴミであるかのように言う。
こんなものとそういう言葉を今この世界に生きるものの口から聞くと、そういう人間の心のもっと奥深くには、そう言ってしまう何かとっても深い心の闇みたいなものを想像せずにはいられなくなる。
人がこんなものという言葉を使う時というのは、そのものに何の価値も見出す事が出来ない時だ。だとしたら、今この世界に生きる多くの人間というのは、自分というものに何の価値も見出す事が出来ていないのではないか?とそう思う。
自分にはこれと言って、特別な価値なんてない。だから、そんな自分になど何の価値もない。だから、そうした自分をこんなもんという言葉で表現する。
何の価値もないものなんか、此処にあろうがなかろうが、別にどうでもいいものだとそう多くの人は思っている。だから、そんな自分に嫌気がさして、別に自分など何の価値もないのだから、どうなろうがいいだろう!という事になるのかと考える。
こうした人たちを見ていると、自分には何の価値もないとそう言いながら、その目からはたくさんの涙が流れている様に私には見える。
価値がない。意味がない。そう言って自分の事を否定しながら、でも実際はそう言った彼らは自分の心の中で大量の涙を流しているのではないかと。
価値がないとそう言いながら、意味がないとそういい自分の事を否定しながら、その心は泣いている。
私たちは価値がない、意味がないとそう自分の事を言う。でも、果たしてそれが本当なのだろうか?そこを何処までも深く探求していけば、私たちは自分に価値がない、意味がないという事を嘆いているのではなく、自分に価値や、意味を見出してもらえなかった事を嘆いているのではないか?という事実に突き当たる。
私たちは自分に生きている意味を、そして価値を感じさせたがっている。でも、それを今のこの社会では感じさせてはもらえない。社会だけではない。それは家庭においてもそうだ。自分がここにいる意味、そして価値、それを皆感じたがっている。
自分に生きている意味、そして価値、そういったものを見出したい。でも、それがどこに行っても叶わない。ここにいる意味を感じさせてくれるものがない。自分という存在が在る事の価値を感じさせてくれる瞬間がない。そう言った繋がりがない。だから、私たちは自分に生きている意味も、そして価値も感じない。
だとすれば、私たちに生きている意味や価値がない訳ではないという事もわかってくる。ただ私たちは、それを感じる場所やその瞬間、繋がりを持っていないというだけの事になる。
感じるという体験、それが極端に減っているという事もわかる。何かを感じたい。けれど、その感じるという体験を得る事が何処へ行っても出来ない。もっと色々な事を体験して色々な事を感じる事が出来れば、私たちは自分に生きている意味や価値をもっと感じる事が出来る。でも、その意味や価値を感じられるほどの経験や、体験がない。毎日毎日、何変わりないつまらないフラットな世界の中に身を置く私たちには、何かを体験し、そして感じるという体験が極端に少ない。
毎日同じことの繰り返し、繰り返されるループの世界の中で、一体どうしたら生きているという事のその意味を、価値をより強く実感する事が出来るというのだろうか?
私たちはいつだってもっと色々な事を感じたい。でも、それを感じさせてくれる世界が今はなくなってきてしまってる。それを感じさせてくれるような人生経験豊富な人間も少なくなった。だから、私たちはこの日常生活の中の何処にも何の刺激もない。その何の刺激もない世界で一体私たちはどうやって、自分の生きている意味を、そして価値を感じたらいいのだろうか?
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