ネガティブ、それは慈悲深い高貴な光となる。
ネガティブ、それは必ずポジティブに転化させることが出来る。
ネガティブなものは、その姿をいかようにも変える事が出来る。変幻自在。
自分の中にネガティブなものを抱えているというのなら、それは宝の持ち腐れ。ポジティブなものというのは、もうそれ以上変化する事はない。でも、ネガティブなものというのは、何処までも無限にその中に変化の可能性を秘めている。
ネガティブなものの中で苦しんで、苦しんで、そこにずっとしがみついて、その中にあるものをしっかりと目を凝らして見つめるのなら、そのネガティブなものは、必ずポジティブなものに変わる。
私たちが、自分の中にあるネガティブなものに関心を注ぎ続ければ、そこに熱をかけ続ければ、そのネガティブなものの中から、必ずポジティブなものが生まれてくる。
ずっと、見続けていれば、ずっと関心を持ってそれに意識の光や熱を与え続ければ、そのネガティブなものは必ず変化する。自分の中にあるネガティブなものは、私たちに関心を持ってもらう事を望んでる。注目してもらう事を望んでいる。
関心を持って、自分の中にあるネガティブなものを見続ければ、それに関心を向け続ければ、自分の中にあるそのネガティブなものは、ポジティブなものに姿を変えようと動き出す。
人間も同じ。誰も自分の事を関心をもって見つめてくれなければ、何も行動など起こそうとしない。でも、誰かが自分に何らかの関心を持って、その自分を見つめてくれるなら、今ある自分を脱し、その自分をよりよいものに高めようとする。生まれ変わろうとする。
心の中もこれと全く同じ働きをする。
ネガティブなものも、それを毛嫌いして、見ないふりをしてしまえば、そのものが変化する事はない。でも、そのネガティブなものに関心を持ち、そのものをずっと見続ける事が出来れば、そこに意識の光を当て続ける事が出来れば、そのネガティブなものは、私たちが当て続けたその意識の光によって、自らより良いものになろうとその行動を開始する。
私たちの中にあるネガティブなもの。それは、興味や関心を持って意識し続ける事で、そのものに、意識の光を当て続ける事で必ず変化する。
目をそらさずに意識し続ければ、必ずネガティブなものは、ポジティブなものに変化しようと、その行動を変える。自分の中にあるネガティブなものをポジティブに変化させるには、その自分の中にあるネガティブな感情に目を伏せてはいけない。それを見る強さを持たないといけない。
この精神的な強さをしっかりと磨いておかなければ、私たちはいとも簡単にネガティブなものの中に引きずり込まれて、自分のその何もかもをバラバラにされてしまう。
でも、自分の精神をしっかりと鍛えて、その世界の中に飛び込めば、ネガティブなものというのは、実に多くの恩恵と幸福を私たちにもたらしてくれるものとなる。
ネガティブというものは、心を何も鍛えていない精神の弱いものにとっては、おぞ恐ろしい悪魔の顔をしてその眼前に立ち、私たちをその恐ろしい目で睨みつけ、その腹の中に私たちをおさめてしまう。
でも、しっかりと心を鍛錬し、その精神を強靭なものにまで高め上げたものにとっては、そのネガティブなものというのは、仏の様な温かい慈愛に満ちた表情を見せ、その醜い姿は高貴な光に変わる。その温かくて優しい光の中で私たちは、より進化した存在に高められる。
私たちの心の中にあるネガティブな感情というものは、意識という光を当てなければ、その姿は恐ろしい姿のまま。でも、私たちが意識の光を当て続ければ、その姿は慈悲深い仏の姿に変わる。
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