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鳴かぬなら殺してしまえホトトギス 鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス 鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギスに見るこれからの生き方

日本人ってのは、この3武将の中で言えば、家康の鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス思考だと思う。

ずっと、特に何をする訳でもなく、信じて待つスタイル。これが日本人の典型的スタイル。

未来は明るい。それを信じて、ずっとその明るい未来がやってくるのを待っているのが、日本人。日本人ってのは、自ら幸せというものを取りに行こうとはしない。ただひたすら、いつやってくるかもわからない希望に満ちた明るい明日を信じて待ち続ける。それが日本人。粘り強く、待っていれば、いつか必ずいい事がある。そう考えるのが日本人。

この考え方が、これから先、私たちの首を絞める事になるかも知れない。

私たちは今、コロナの真っただ中にいる。そして、このコロナというものが、待っていれば、今を辛抱強くしのいでいれば、必ず去るとそう信じている。そして又これまでと同じ日常が帰ってくるとそう信じている。つまり、明るい未来を信じて、今家でじっと耐え忍んでいる。

今家でじっと耐え忍ぶことが出来るという事は、この先に必ず明るい光があるとそう信じているからだと言える。

今だけを耐え忍べば、又元通りになる。楽しくて、明るい未来が来るとそう皆が信じている。だから、私たちは今家でじっと耐え忍ぶ事も何とか出来ている。

待っていれば、必ずいい方向に向かう。これはまさに、家康の思考。特に何もすることなく、天下を取った家康。今の私たちは、まさにこの家康思考。待っていれば、必ず道は開ける。無理して動かなくてもじっと待っていれば、それで良い。何もせずにその全てが手に入るのなら、それに越したことはない。無駄な労力を使って、動く事などない。無駄に動けば、手に入るものも入らない。一番いいのは、何もせずにただ待つ事だ。

私たち日本人の殆どは、こうした思考を強く持っている。無駄に動かずに、素晴らしい未来がやってくることをただ願い、そしてひたすら待つ。

でも、こうした家康の考えがこれからの世界で通用していくのか?というと、それは少し疑問。

これまでは、明るい未来がいつも約束された様にやってきた。でも、これからは、この約束された明るい未来がやってくるという保障は何処にもない。

待っていれば、素晴らしい未来がやってくるというのは、これまでの時代であって、これからは、これまでと同じように待っていれば、明るい未来がやってくるという事はないんじゃないかと個人的には思っている。

明るい未来がやってくることを期待して、私たちはただその明るい未来が与えてくれるものを何もせずに待っている。与えてくれるものを私たちはただ享受するだけ。今まではこれでよかったかも知れない。こうした事でこの日々を乗り越える事が出来てきたかも知れない。でも、これからは、この私たちにこれまで与えられていたものが与えられなくなる可能性がある。

ただ待っていれば、手に出来ていたその多くの事が手に出来なくなる可能性がある。待っていたんでは何も手に入らない。もっと言えば、ただ何もせずに待っていれば、信長の様な思考を持つ者に殺される。そんな時代が来る。

待っていれば、いつか悪い事は去る。こういった考えはもはやこれからの世界では通用しない。自分から、秀吉の様にアクティブに動いていかなければ、色々な事を多角的に考え、それらを行動に移していかなければ、私たちがこれからの世界で生きていくのは難しくなる。

何をどうしたらいいのか?一体どのようにしたら、ホトトギスを泣かせる事が出来るのか?それをより多く考える事が出来る人たちが、これからの世界で勝つ事が出来る様になっていく。ただ待っていて、明るい未来が来ないとぼやいていれば、そう言った者たちは、これから多く台頭してくるであろう信長的な思考を持つ者に殺される。

現状を嘆き、何も変えようと努力しないものは、これからの世界を担うリーダーからしたらただのお荷物でしかないという事になる。

今世界は信長の様なリーダーを求め始めている。アメリカのトランプの様に、自分の独断と偏見で物事を力強く決めていくリーダー。そう言ったリーダーが強いリーダーであると、そう皆が思い始めている。日本の首相の様な強いリーダーシップの取れない人間は、リーダーらしくないという風潮が出始めている。

リスクを顧みずに、自分の強いリーダーシップで物事を押し進めていく事が出来る人間がこれからは、重宝される様になる時代が来る。もし、こうした時代が来たのなら、これまでの何もすることなく、ただ明るい未来を信じ続けた私たちは全て用無しという事になる。

こうならないために、私たちは今それぞれの人間が自分の生き方そのものをあらためて、考え直すべきなのだと思う。

明るい未来を信じ続ける私たちが、これから何も変化する事がなければ、これからの時代は本当に生きにくいものになると思う。

権力を持ったものの一強時代がやってくる。彼らの独断と偏見で何もかもが決められていく。そうなれば、この世界は終わり。

私たちは今信長の様なリーダーを無意識的に心の奥深くで求める始めている。これはとても危険な兆候。何もかも力強く政策を推し進めていく事の出来るリーダーを心の奥深くで求め始めている。

これが何を意味するのか?をよく考えてもらいたい。時代はいつの時も繰り返されるとは言われるけれど、同じことを繰り返さないためにも、私たちは、信長の思考ではなく、秀吉の思考に価値を置き、その生き方に今こそ学ばなければいけないのではないだろうか?

私たちがより強いリーダーを心の中で求める時、その時、私たちはそこに独裁的な在り方を認めてしまう事になる。それだけは何としても、阻止しなければいけない。それには、これまで通り何もしないではいけない。何もせずに明るい未来だけをただ信じていればいいではいけない。

私たちはもうそろそろ、自分たちの力で生き始めなければいけない。与えてくれるのを待つのではなく、自分たちで生み出す。そういった世界をもう私たちは作っていかなければいけない。

家康の思考で生きられる時代は終わった。これからは、秀吉の思考を持つ事を私たちは覚えないといけない。私たちが家康の思考から、秀吉の思考にシフトしなければ、信長の思考一強時代がきてしまう。

わたしたちは何としてでも、この信長一強時代を阻止しなければいけない。

手に入るのを粘り強く待つのではなく、それらをいかにしてとるか?を考える。鳴くまで待つのではなく、いかにしたら、鳴かせることが出来るのか?を考える。こうした思考を持つ事が出来なければ、私たちは信長にその首を取られてしまうだろう。


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