見出し画像

自分の感情に寄り添い、理解する勇気を

何故、考えない?何故、考えようとしない?考えるという事を放棄するから、私たちは感情の奴隷になる。

自分の主導権を感情に握らせてはいけない。今こそ、しっかりと自分の考える力を持たないといけない。

感情のままに、振舞ってはいけない。感情に自分が飲まれてはいけない。

思考する事をあきらめてはいけないし、捨ててもいけない。

常に、自分について考え続けよう。子供に怒りをぶつけてしまった時、自分の大切なパートナーや、家族に心無い言葉を言ってしまった時、そう言った時は、何故、自分がその様な事を言ってしまったのか?を考えよう。自分の持っている思考する力でその原因を考えよう。

何故、自分の心に怒りが湧いてきたのか?何故、もう何もかも嫌になってしまっているのか?何故、生きる力がなくなってしまっているのか?何故、何をしても気持ちが上がってこないのか?こういう事をただそのままに感じているだけではなくて、何故か?を常に考えよう!どうしてこんな気持ちになっているのか?どうしてこんなにも気持ちが落ち込んでしまっているのか?その原因を一つに限定するのではなくて、色々な角度から検証してみよう。これはとても苦しい事ではあるけれど、やってみる価値は大いにある。

こういう時だからこそ、自分の感情と向き合おう。これまで向き合ってこなかった自分と向き合おう。何でだろう?どうしてだろう?っていちいち自分の行動に対して疑問を持とう。そして考えよう。色々な角度から。ただ感じているだけではなくて、その感情をしっかりと捕まえて、その感情がいかなるものなのか?この目でしっかりと見てやろう!!そして、その自分の感情に必要な手当てを今してあげよう。

私たちは、これまで自分の感情に必要な手当てをずっとしてこなかった。傷付いたまま、力を失ったままの状態でずっと放置してきた。私たちの心には、何の手当もされずに、放置されたままの感情がたくさんある。皆瀕死の状態で私たちの心の中にある。この感情に今私たちは気づき、必要な手当てをしてあげなければいけない。

自分と向き合うという事は、これまで忙しさや、自分の未熟さから、目を背け、そのままにしていた傷ついた感情に気づき、その感情に必要な手立てをする事なのではないかと思う。

私たちの心の中にある感情というのは、長い間傷付いたまま何の処置もされずに放置されたままになっている。その為に、こうした感情は激しい怒りをその身にまとっている。この何の手当もしてもらえずに放棄されたままの感情は怒りに満ちている。つまり、この怒りの感情だけで生きている様なものといってもいい。この怒りをまとった感情は、私たちが精神的に落ち込んだ時や、弱った時に風邪をひいた時のウイルスの様に、私たちを襲う。私たちが精神的に追い詰められた時などに、こうした怒りを持った感情が力をもって表面化してくる。

今私たちがしなければいけないのは、こうした自分の中にある何の手当も施されずに、傷付いたまま何年も放置され続けてきた感情に向き合う事なんじゃないかと思う。彼らと向き合い、そして彼らに理解を示す事。そうする事で、私たちは、自分の感情に自分が乗っ取られる事を防ぐことが出来る。

今コロナで、子供を虐待したり、家族を虐待したり、自分の大切なパートナーを虐待したりする人が増えているが、彼らは、自分の中にある何の手当も受けられずに傷ついたまま放置され続けた怒りをまとった自分によって今の自分が突き動かされているのではないだろうか?(自己愛、サイコパスを除き)

何故?と考える事、それはこれまでの自分に理解を示す行為であるという事を是非知って欲しい。

私たちは自分自身に理解を示すという事をずっと放棄してきたのかもしれない。今こそ、そんな自分を理解するチャンス。目を向けてもらえずに放置されたままの感情に目を向けるチャンス。自分の感情に目を向け、その感情に理解を示し、必要な手当てをその感情に施す事が出来れば、私たちは自分の感情に自分自身が苦しめられる事はない。

感情というのは、私たち人間の敵じゃない。もっと言えば、いらないものでもない。自分の感情にしっかりと向き合い、そして寄り添う。そして必要な手当て対策を講じる。それがとても大切な事だったりする。がんばろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?