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いついかなる時でも自分を問う

私たち人間というのは、しっかりと色々な事を意識して生きていないと、この心というか、精神はすぐにバラバラに砕けていく。自分を一つの塊として維持していくには、その1つの塊である自分を常に意識し続ける事が必要になる。

何もせずにただこの流れる時間にその身を委ねて生きて行けば、自分というものは維持する事が難しい。エントロピーの法則ではないが、私たち人間というのは、常に自分に意識を向け続けなければ、この私というものは、簡単に複雑化し、乱雑になる。

自分の部屋も、常に自分で綺麗にしようという意識を保ち続けなければ、あっという間に散らかって、部屋がめちゃくちゃになる。この部屋を綺麗に維持させようと思うなら、常にそう言った意識を自分が持ち続けなければいけないという事になる。

私たち人間というのは、自分というものに、あまり意識を向けて生きようとしない。だから、知らず知らずの内にこのエントロピーの法則に従って最も純粋でシンプルである形は、バラバラに砕けていく。

そうなった時、このバラバラに砕けてしまったものでは私とは言えない為、私たちはこのバラバラい砕けた自分に、何か自分に都合のいいものをくっつけて、私という形を作ろうとする。

常に自分に意識を向け、その自分が壊れてしまわない様に、その自分を維持するには相当な努力が必要になる。これが出来なければ、私たちはバラバラに砕け、その砕けた破片をもとに自分を再構築する事になる。

自分で自分を再構築しようとするときは、ただ盲目的に自分に都合のいいものをその身にくっつけていくために、その自分というのは、ゴミの塊の様なものになっていく。つまり、何も考えずに、ただ自分に都合のいいものを自分に張り付けていくために、自分というものがどんどんと複雑化していってしまうということになる。

私たちは、よりシンプルな状態を維持する事が難しく、自分でも知らない内に自分をより難解で複雑なものにしてしまうそんな生き物なのだ。

私たちはよく、自分で自分の事がわからないとそう言うが、それは自分で自分をわからないものにしてしまったからだというのが、本当の所。

常に自分というものに、意識の光を当て続けていればいいのだが、人間にはそれが難しい。常に、自分に光を当て続け、そしてその自分を意識し続けるという事はそう簡単な事ではない。

私たち人間というのは、すぐに見る事をあきらめる。自分の心の中に深い雲が現れてくると、もう何も見る事が出来ないと言って、その場を離れてしまう。何とかして、そこに在るものを見よう!という努力はしない。すぐに何でもかんでも理由をつけては諦めてしまう。自分を見る事、自分に意識の光を当て続ける事、それをやめてしまえば、純粋でシンプルである自分は、どんどんと、濁っていき、複雑化していってしまう。

私たち人間というのは、自分の怠慢によって、今のこうした複雑化した自我というものを形成してしまったのではないだろうか?

自分に意識の光を当て続けるという事は、常に自分について考えるという事を意味する。何をするにも、常に自分の事を考える。考えて、その自分の言動、行動、思考、その全てを色々な角度から検証してみるという事。常に自分の全てをチェックするという事。昨日の自分と今日の自分に何か違いがあったのなら、それを見逃してしまう事なく、その違いが一体何であるのか?それを検証し、その日の内に、自分の中に起こった問題をクリアーにする。この努力失くして、純粋でシンプルな自分というものを維持する事は難しい。

私たちは自分に何かが起こっても、その事に対してあまり意識を向けようとしない。そこに意識を向けると苦しいからだ。何かが起これば、その度にその事に対して向き合い、そして考えるという事が必要だと考えるが、私たちは残念ながら、何か問題が起こったっ時、なるべく、そうした問題からは目を背ける様にと教えられてきた。つまり何も考えない事がベストだ!という事。わからない事は、いつまでも考えない。時間がきっと解決してくれる。私たちはこうした言葉によって、自分を考えるという事をしなくなった。

私たちは常に自分を問うという姿勢を持たなければいけない。どんな些細なことであっても、自分を問う。そう言った姿勢がなければ、純粋でシンプルな自分など維持できない。

何も考えないという事を繰り返していけば、私たちはその考えないという事の代償として、自分のこの身をより複雑化するしかなくなる。そうする事でしか、この世界を生き抜く事が出来なくなる。

何故、此処まで私たちは自分を複雑化してしまったのか?よくわからないものになってしまったのか?その原因は、ただ1つ。私たちは、自分自身を常に問うという事を忘れたからだ。自分を常に問い、そしてその自分を純粋に保とうというその心を、そして努力を私たちは怠った。だから、私たちは今こうして、自分に何を張り付けているのかもわからない、何で自分が構成されているかもわからない張りぼて状態になってしまったのだ。

わからない事は考えても無駄。これは私たちがこの社会にかけられた黒魔術。わからない事はいくらでも考えずに、時間が解決してくれるのを待つ。こんな事を信じていては駄目。わからない事は、わかるまで考える。答えの出ない事は答えが出るまで考える。

常に自分を考える。常に自分を問い続ける。こうした事が出来なければ、私たち人間はいつまでたっても人間になれない。

自分について常に問うというその姿勢を持つ事が出来なければ、私たちはもっと大きな張りぼてになるしかないのだ。


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