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私たちは人生そのものが何たるかをこの口で語りながら、その人生が何たるかを知らない。

人生って、そんなに簡単な言葉では表現できない。私たちは一生懸命この人生ってやつを、綺麗な言葉を並び立てて、表現しようとするけれど、その私たちが様々なものを使って表そうとしているその人生とは、そもそも、私たちのもつ力では表現など出来ないものだったりするんじゃないだろうか?

自分の人生、それを自分の表現によってあらわす事が出来るなんてのは、人間の傲りだったっりするのかもしれない。自分の人生を、私たちは自分の持っている力で表現できるとそう思っているかも知れないが、実はこれが誤りだったりする可能性もある。

私たちは、何も表現など出来てはいない。表現出来ているとそう言って、自分を自画自賛しているだけ。

人生なんて、私たちのこの陳腐な言葉で表現できる様なものじゃない。そもそも、自分の人生をこの陳腐な言葉で綺麗に並びたてようとしている事がおかしい。

私たちは、自分の人生を自分の言葉で表現できると思っている。でも、それは違うかもしれない。自分の人生を言葉で綺麗に表現できるなんてのは、幻想にすぎないのかもしれない。

人生なんてものは、私たち人間がもつ言語では表しきれないほどに偉大なもの。それを私たちは何も知らずに、その人生というものをこの口で語ろうとしている。

この人生を自分のその手の中に掌握したと私たちは思い、その人生を私たちは語る事が出来るものだとそう自分の事を認識している。これはとんでもない間違い。人間というものは、いつからこんなにも偉くなったのだろう?

人生という偉大なるものを語る前に、私たちは自分のこの陳腐な言葉をもっと高尚なものに高めていく必要がある。人生を語るにふさわしい、その言語というものを私たちは自らの努力により獲得しなければならない。

陳腐な言葉で自分の人生を語る事というのは、自分の人生そのものを冒涜しているに過ぎない。

自分の人生とは、高度に高められた言語によって語られるものであるべきだ。陳腐な言葉で己の人生とはいかなるものかを語れば、その人生は腐る。しかし、その陳腐な言語を自らの努力により、高尚な言語にまで高める事が出来、その言語により自らの人生を語れば、そこにより強い生命を産み出す事が出来るのかも知れない。

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