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なぜ『野ブタ。をプロデュース』には「。」がつくのか

 『野ブタ。をプロデュース』の再放送が面白い。 

 リアルタイムで観ていた頃、わたしはまだ小学生だった。「野ブタパワー、注入」「バイセコー、バイバイセコー」が流行っていたのを覚えている。放送の度にクラスの話題は「野ブタ。」でもちきりだった。そんなわたしの初めて購入したCDは『青春アミーゴ』である。

 しかし、前から気になっていたことがある。
 そういえばなぜ『野ブタをプロデュース』ではなく『野ブタ「。」をプロデュース』なのだろうか。なんだかキャッチーになっているような気はするけれど。この句点は何なのだろう?

 その答えは原作小説を手にするとすぐに判明する。 

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  本作の一行目はこうだ。

辻ちゃんと加護ちゃんが卒業らしい。

  辻加護卒業は2004年である。(時代!!!)

 そして野ブタにプロデュースすると告げる際、修二は

「そう 。モー娘 。みたいに無名の子をみんなから愛されるアイドルにするんだ 。もちろんあの子たちはオーディションで選ばれたある程度 、素質とか素材がいい奴なんだけど 。その点おまえは書類選考どころじゃない感じだし 、アイドルとはかけ離れた存在だけどさ 。ま 、相手はクラスの四十人だからな 。多くても学年全体百六十人ぐらいか 。そのぐらいならやってみる価値はあるだろ ? 」

  と述べている。

 そう、野ブタ。の「。」はモーニング娘。の「。」だったのだ。
 これは修二がつんく気分でいじめられっ子をアイドルに仕立てようと目論む物語なのである。

◉「プロデュース」の持つ意味合いの違い

 ドラマ版を想像して読むと、原作小説にはどきっとさせられる。
  実は原作では堀北真希ちゃん演じる野ブタは男の子であり(本名が信太なので「野ブタ」になった)、誰もが眉をしかめるデブ、という設定になっている。また、コミカルな彰は存在すらしていない。
  内心周囲をバカにしながら道化て「人気者」であり続ける修二の一人語りの、『人間失格』を思わせる内容なのである(太宰治の本名は津島「修治」なので、ベースにしているのだろうと思う)。

 そんな小説版は、修二の野ブタをプロデュースする動機からしてえぐい。

そうだ 、プロデュース 。それだ 。 ……今現在完全無視の野ブタをみんなが愛する人気者にする 。これができりゃ俺の人を騙して動かす力は本物だ

 自らの道化振りに自信を持っている彼は「人を騙して動かす力を試すため」に野ブタのプロデュースを請け負うことにする。そこに「野ブタのため」という理由は存在しない。

 これに対し、ドラマ版では野ブタが堀北真希ちゃん演じる「心に傷を負ったために根暗だけど可愛い女の子」になっているため、彼女に手を差し伸べるような物語の始まり方になっている(綾波レイや長門的な「どうやって笑ったらいいかわかんない」系ヒロイン、可愛いよね)。野ブタを対等に見ているとは言えないのだけれど、そこには確かに思いやりが存在する。ピュアでゆかいな彰が常につきまとってくるし、学校の様々なイベントが取り上げられるため、青春ドラマ色が強くなっている。野ブタを救う物語に見せかけて、修二も彰も回を重ねるごとに成長している。

 原作小説はちょっと衝撃的な展開を迎えるのだが、果たしてドラマではどうなっていくのだろう。一度は見たはずなのに、完全に話を忘れてしまった。
 今日は7話が放送される。最終話まで放送があるとのことなので、これからも毎週楽しみにしていきます。(Huluでも見られるから、見逃した人もまだ間に合うよ!!!)


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