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【長文エッセイ】心が一つになる事で起きた奇跡〜合唱曲『心の瞳』〜

「優勝は3年9組です!」

歓喜に沸いたあの日から、もうすぐ30年が経とうとしている。



中学時代、私は友達から虐めを受けていた。
集団の中で容姿や行動を笑われたり、バカにされたりした。
毎日どこかに逃げ出したかった。
私にとって学校は、ただ現状を耐えるだけの『地獄の空間』だった。誰かと目が合うと罵られる、笑われる、馬鹿にされる…

「友達が欲しい」「寂しい」という感覚はあまりなかった。ただ、一人でいる自分を誰かに見られる事が…自分をそういう存在だと認識することが、とてつもなく恥ずかしく惨めだった。
「友達とは移動教室の時に一緒に移動する人」
…それ以上でもそれ以下でもないと、信じて疑わなかった。

一方で…公務員の父と大手会社勤務の母の元に生まれた私は、側から見ると裕福で幸せそうに見える家庭環境に置かれていた。
しかし厳しい両親からの『絶大な期待』という名の膨大すぎる圧力が、まだ15歳の私に重くのしかかっていた。
いつも出来ない部分にばかり着目され、褒められた記憶はほとんどない。
親の前では仮面を被り、一切自分の気持ちは話さず、親が望む『優しい優等生』を演じた。
でも心の中では、いつもなぜ自分が存在しているのか分からず、毎日『生まれてこなければ良かった』と思っていた。

私が通っていた中学校は、地元では1番大きな学校だった。当時、全校生徒は約1000人、30程のクラスがあり、中学2〜3年時はクラス替えがなく同じメンバーで過ごすのが普通。私のクラスは担任も変わらなかった。
家にも学校にも居場所がなく、ただそこにいるだけの…何も変わらない日々を過ごしていた。


あれは中学3年の秋。
校内の合唱コンクールがあった。2年生の時の合唱コンクールで、何故か3年生を差し置いて全校優勝を果たした私たちのクラスは、3年時の合唱コンクールにかける意気込みが違っていた。
…いやいや、私たちではない!担任の先生だけが空気を読めない奇人のように化していた。


合唱コンクールの練習が始まろうとした頃の学活の時間、担任はラジカセを片手に教室に登場。そしてこう言った。

「今回の曲は『心の瞳』でいこうと思う」

『心の瞳』は坂本九さんの楽曲。
この曲の発表から約3ヶ月後に坂本九さんは日本航空墜落事故で亡くなられたため、坂本さんにとっての最後の曲となった。

ラジカセから流れる音楽をクラス全員で聴いた。ゆっくりとした綺麗なメロディに乗せて、愛に満ち溢れた歌詞が響き渡る…私には到底似合わない、とても素敵な曲。
クラス中が「すごくいい歌!」と絶賛した。
しかし、自分が聴いていた曲はいつも悲しい歌ばかり。「こんな綺麗な歌、私みたいな人間が歌うなんて恥ずかしい。歌いたくない」と本気で思っていた。


そんな私の気持ちにはお構いなしに…その日から、担任は松岡修造さん張りの熱い気持ちで、合唱コンクールの練習を始めた。
『合唱コンクールまであと◯日』カレンダーを手作りし、気合いの入り方が違う。
「気合いだ〜!」なんて、今の時代とは逆行しているような熱量で私たちに挑んできた。体育会系にも程がある!

私は…多分他のクラスメートたちも、絶対的な温度差に「面倒だな」と感じていただろう。
でも担任はそんな事は全く気にしない。とにかく必死だった!

朝の会・帰りの会には必ず教室で合唱させられ、担任からOKが出るまでそれは続いた。
担任が判断し、本人の実力よりも声が小さいと感じれば大きな声を出せるように様々な策を使っては声を掛け続け、時には厳しく、時には笑わせながら…とにかく私たちのやる気を引き出そうとした。

そんな事より、早く帰りたい盛りの私たちにとっては苦痛の時間だったが…1分でも早く帰宅するため、表向きはきちんと歌っているように演じた。まるで女優のように。



しかし、その頃からだろうか…ふと気が付くと、大きな声で綺麗に歌う同級生が何人か現れ始めた。
その綺麗な歌声は少しずつ他の生徒の心に鳴り響き、「自分ももっと声を出して歌ってもいいかもしれない」という気持ちにさせてくれた。

私も何となくそんな気持ちになった。
なぜなら、自分の気持ちを表現することが出来なかった私は、小さい頃から歌を聴くことが大好きだったから。
歌詞に自分の気持ちを重ねて、自分の思いを表現したような感覚になり…淋しさや苦しみを紛らわしていたのだろう。


愛なんて全然分からなければ感じた事もない。感情移入など、到底出来ない。
でも歌ってみれば何かが変わるかもしれない!
そして私も、思い切って声を出してみた。
当時の私にとって、注目を浴びる事は顔中から火が出るほど恥ずかしかったが、今まで心にため込んでいた気持ちを吐き出すかのように、勇気を出して大きな声で歌ってみた。

すると奇跡的なことが起こる。

声のトーンや大きさ、全体的バランスを考えながら並び順やパートメンバーを常に入れ替えていた担任から
「良い声出してるからソプラノに行け」
と言われたのだ。

…私は耳を疑った。テレビのドッキリ企画を疑い、周りを見渡したほどだった。
「え?何?今何て言ったの?私の歌声が良い声なんて、何の冗談??」
みんなが笑っているような気がして、怖くて周りは見れなかった。

でも私は、多分自分が記憶している中では初めて人に必要とされ、認められた気がして心の底から嬉しかった。
その日から私は期待に応えようと…大きな声で楽しく歌おうと心に決め、一生懸命に歌った。



授業中は人目が気になり発表も出来ない。
自分をブスで気持ち悪い存在だと思い込み、自分の気持ちを心の中に押し込め、ただ時間が過ぎるのをじっと耐えていた私が…人前で堂々と歌っている。

もちろん、それを見て笑う一部の同級生もいた。でも、次第にそんな事はどうでもよくなっていた。
私はただ『自分が何かの役に立っている』という事実が嬉しく、たまらなく幸せを感じた。
そしていつしか私は「この歌を歌って優勝したい」と思うようになっていた。


そうしているうちに、更に奇跡的な事が起こる。
近くで歌っていた同級生が、私の隣だと自分も思いきり声が出せる!と私の近くで歌う事を希望した。すると他の女子たちもその言葉に賛同したのだった。

ある同級生の歌声が私の心に浸透し、それが他の同級生の心にも広がっている。そしてみんなが私を必要としてくれている…
その時の気持ちを何と表現できるのだろう。
私の拙い語彙力では伝えることができない。
ただ1つだけ何かを選ぶとするならば、
…心が温かくなっていくような感覚だった。


私は、担任や同級生の期待に応えようと必死に歌った。
それは自分が初めて「生まれてきてよかった」と感じた瞬間だった気がする。



気が付くとほとんどの生徒たちが意欲的に歌うようになっていた。もちろん歌を嫌がる子もいたが、周りの仲間が優しく声をかけ続ける事により少しずつ心を開いていった。
そんな高視聴率の学園ドラマのような光景を目の当たりにして、熱血担任がだまっているはずがない!
練習方法も日を追うごとにレベルアップしていった。

職員室の前、玄関のホール、サッカーグラウンド…あらゆる場所で歌った。
他のクラスの生徒たちが笑いながら通り過ぎていく。
一番嫌だったのは、全校生徒の下校時間に校門の前に整列させられて歌ったこと。
外なので声が響かない。大きな声を出さないと帰れない。全学年の生徒が行き交う中での合唱は本当に恥ずかしかった。

今の時代ならPTAなど色々問題になりかねないが、1990年代では許容範囲内…だったのだろう。時代の変化を感じる。
ただ、それまでは極度に人目ばかり気にしていた自分が、みんなと一緒にいることで不思議と緊張感も和らいだのを覚えている。


同級生たちは「恥ずかしい~!」「嫌だ~!」と叫んでいた。けれども、なぜかみんな一生懸命だった。ただ早くその場を去りたかった気持ちもあっただろうが、みんながお互いに声をかけ合った。

「頑張ろう!」
「ここはこうした方いいよね!」
「もうちょっと声出せるかも!」
「本番みたいな気持ちで歌おう!」


初めは「面倒だな」とみんなが思った。
たかが合唱でこんなに熱くなる担任を「バカっぽい」とすら感じていた。
しかしその時には、私たちの頭の中は「優勝」の二文字だけとなり、みんなが同じ目標に向かっていた。

ダルそうに歌っているフリをしていた、いわゆる目立つグループのカッコつけ男子も、最終的には担任の熱意に負けた。
一生懸命頑張ることを「ダサい」「格好悪い」と感じやすい思春期男子が歌うテノールとバスが、体育館全体に低く深く響き渡り、他のどのクラスよりも力強く繊細で綺麗だった印象がある。
そんな男子の歌声にリードされたことで女子の心に安心感が生まれ、ソプラノとアルトは綺麗で美しい音色を響かせることが出来た気がする。


そして私たちは2位に圧倒的な差をつけて全校優勝を果たした。
みんなでとても喜び、泣いた。他の先生方からもたくさんのお褒めの言葉をいただいた。
「最高学年らしい、全員が堂々とした素晴らしい合唱だった」と。



担任の自己満足にも近い状況から始まった合唱コンクールの練習。

ある生徒の歌声が他の生徒の気持ちを動かし、それがまた他の誰かに広がっていく。
最後にはみんなで同じ方向を向き、ひたむきに頑張った。間違いなくあの瞬間は心が一つだった。

誰かと気持ちが一つになる事で、想像以上の力を発揮する。
そして一つになる事で仲間意識が生まれ、それぞれの心の中に宝物のような思い出が出来る。
その宝物を持つ40人が合唱する歌声が、聴いている誰かの心を動かす…
まるで教科書通りのような、後にも先にも二度と経験出来ないような貴重な体験だった。



孤独を感じると、私はいつも心を強く閉ざし人を遠ざける。
だけど、救いの手を差し伸べられずに暗闇にのみ込まれそうになった時、あの時の一体感を感じたくなる。
そんな時は「心の瞳」を聴いて、中学生の頃の私に戻る。
もちろんほとんどが辛い経験なのだが、ただ一つ…それだけは今でも私の心に潤いを与えてくれている。
そしてその経験があったからこそ、残りの中学生活を楽しく過ごす事ができたのだろう。

数ヶ月後に卒業を控えていたあの日。
私たち40人がこの先、別々の人生を歩み出し、もしかしたらもう二度と会う事がないかもしれない。

『明日があるのは、今日まで生きてきた人生があるから』

『過去を振り向いても何も変わらない、前を向いて歩こう』

『目に見えるものではなく、心で感じることを大切にしよう』

『この先どんな状況になろうと、心は変わらない絆で結ばれてる』

『愛するということは、いつの時代も変わらないもの』

歌詞から感じ取れるこの素敵な言葉たちは、私たち40人に担任の先生がくれた、少し早い『はなむけの言葉』だったのかもしれない。


高校に進学した私は『友達がほしい』と思えるようになった。もちろん、長年の思考や生まれ持った特性が変わるわけではない。
でもその気持ちが、私の行動を少しずつ変えていった…子供が初めて歩き出すような、ゆっくりとした不安定な速度で。

『友達とは見た目のお飾り』程度にしか思えなかった自分が、頑張って人の輪に入ろうとしたり、自分から話しかける事もできた。
次第に1人2人…と友達が増えた。今でも私を支えてくれる『親友』にも出会えた。

そのおかげで

『全員が自分を嫌いなわけではないんだ』
『私自身が友達を信じていなかったんだ』

と思えるようになった。
そして私は

『本当はずっと寂しかった』

という自分の気持ちに気付けた。

それはあの日…自分を『認めてもらえた』と感じられたことが少しだけ私の自信に繋がり、誰かと一緒に笑ったり泣いたりすることで『生きている』と実感できたからなのかもしれない。

その経験が、ほんの少しだけ…自分を『好き』と思わせてくれた気がする。



自分を否定ばかりしていた私が、深い愛に満ちあふれた歌詞を口にするなんて、当時はそんな自分に気持ち悪さを感じた。歌詞の意味も分からなかった。でも当時は理解し得なかったこの愛に満ちた歌が、私のその後の人生を支えてくれた。
中学生の私が15年生きてきたことも、今まで私が歩んできた人生も…無駄ではなかったと、40歳を過ぎた今なら何となく感じる事ができる。
家族への愛、友達や仲間への愛、同僚や上司への愛、自然への愛、歌への愛…
『愛することはいつの時代も変わらずに永遠である』ということも。


暗く長いトンネルの中にいるように感じる時がある。誰も助けてくれない、孤独、苦しさの中でもがき苦しむ日もある。
でもそんな時は一度立ち止まり、周りを見渡したり少しだけ後ろを振り返ってみたい。

そこには自分が歩んできた何十年の歴史があり、その中には『心が通じ合った瞬間』『認められた瞬間』『幸せを感じた瞬間』が必ずある。
例えばそれが、今は儚く散り去ったように感じるものだとしても…その時、その瞬間には間違いなく『確か』なものだったはずだから。
そんな経験が出来ただけで、生きる意味はあるのかもしれないと、最近思う。

そして微かに明日が見えた時…
未来へ続く道の途中で、また『確か』なものを見つけていければいい…そんな気がする。
それは別のものかもしれないし、再び巡り合うものかもしれない。
世の中は無常で常に目まぐるしく移り変わる。今の苦しみや幸せも永遠に続くことはない。
だからこそ『今』を大切に、昨日を懐かしんで振り返ってばかりではなく、明日に向かって歩いていきたい。
無常だからこそ…この先にも必ず光は見えるはずだと信じて。

そしてそれでもなお『決して変わらない絆や愛』はあるのだと…私はこれから先も思い続けて生きたい。

当時は全く交わらなかった同級生たち。
人生の旅の途中で再会し、今でも交流している人たちがいる。
あの当時は心を通わせられなかったけれど、時間が経ち『心の瞳』でお互いを見つめる事が出来るようになったのかもしれない。
『いつか若さをなくしても心だけは決して変わらない絆でむすばれてる』
この歌詞のように…

坂本九さんが『妻や家族への永遠の絆』を歌ったとされている愛に満ちたこの曲が…当時の担任の心を動かし、その行動がみんなの心や私の心を動かした。
その些細な出来事が、後に30年にも及ぶ私の人生の道筋を立ててくれた。そしてきっと、これからも続くことだろう。

私が今この場所に立てているのは、この曲に巡り合えた事が大きく影響している。人に心を開けなかった私に『気持ちを通わせることの大切さ』を教えてくれた。
それは今でも私の生きる希望であり、この先一生消えることはない宝物である。

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