みやじ。

17歳から詩を書いています。1999年、山之口貘賞。琉球大学びぶりお文学賞詩部門選考委…

みやじ。

17歳から詩を書いています。1999年、山之口貘賞。琉球大学びぶりお文学賞詩部門選考委員。日本現代詩歌文学館評議員。おきなわ文学賞(沖縄県文化振興会主催)詩部門審査員は退任しました。詩集に『盲目』『ゆいまーるツアー』など。

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  • 時評/沖縄―詩の近景

    沖縄関係の詩集、詩人、詩誌などに関する時評です。

  • 古紙をめくる

    古い新聞をめくり、詩や文芸にかかわりのある記事をみつけたら書いています。数十年前の若者たちの詩の集まり、地方の言葉とのかかわり、などなど。時代をへても変わらない詩、ことばのいとなみを追います。

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龍のすみか

焼き尽くすほかない 東町、次は西町 龍のすみかを元通りに 知っているはずだ 区長よ、那覇市場のある場所だ 浅黄の琉球織を着流した 女が役所の玄関をくぐる 女たちを引き連れて 眼光鋭く見回すと どすのきいた声で一度 忠告して消えた 数日後 赤く染まったのは夜空 東町に降り注ぐ 火の粉、また火の粉 四百あまりの家屋が焦げ 焼け出された人びと 家を失い 仕事場を失い 財産を失い 家族を失った 子、孫、親、夫、妻 道ばたで途方に暮れる 市中に火霊の往来 大見出しが舞う 道向こ

    • 社会を変革する

      昨年、広く知られることになったワードに「売掛金」というのがある。朝日新聞にこういう記事がでている。 昨年暮れから警察がホストクラブに相次いで立入検査している。 別の記事では、警察が強要容疑で元ホストを逮捕したことが報じられている。容疑者は歌舞伎町のホストクラブでホストをしていた当時、店の飲食代金を滞納した女性に、売春のための客待ちをさせた疑いがあるという。記事には、女性には当時、店側との間に21万円の売掛金があった、とある。 売掛金は店の飲食代をホストが立て替え、事後に

      • 中二病という理由

        詩は難しい。 いくら読んでも眺めても、つまんでひっくり返してみても、てんで意味がわからない。 でもそれでいい。 眼前に確かに存在しているものの意味するところが皆目不明であるということは、非常に不愉快な状態である。 己が馬鹿で阿呆で無知蒙昧であることが、間抜けにも衆目にさらされているような心持ちになってきて、まさに耐えがたい。 誰にでもばれたくないことはあるのだ。 ただ読むうえで(生きるうえでも)大切なのは、わからないということ自体であると思う。わからないということ

        • 素材に寄りかからない

          過ぎ去ったびぶりお文学賞の話に拘泥して申し訳ない限りではありますが、今回の正賞に選出されたのは二藤さんという方の「うたたね」という作品だ。 時の流れの残酷さは、誰もが日々を生きるうえで感じるであろうことだ。もしもそれを乗り越えうる何かが作品を通して浮かび上がることがあるのであれば、それは多くの読み手にとって希望となる可能性を秘めている。 異なる時間が交差するところから、普遍的ななにかが姿をあらわすのかもしれない。 暮らしに追われれば追われるほど、見えなくなるものが

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        龍のすみか

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        • 時評/沖縄―詩の近景
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        記事

          3篇よむ、のちょうどよさ

          びぶりお文学賞の選考を終えた。 選考を終えたどころか、既に主催者から結果が公にされており、さらに表彰式もとっくに終わっていて、果ては年度までかわりはてている。 第17回びぶりお文学賞の結果(↓) 生活能力の欠乏ゆえに日々のあれこれにたえず追い回されてグッダグダに疲れはてバッサバサに枯れはてバッタバタと死にはてている常時虫の息人間なので、毎年顔を出してきた表彰式にことしは参加できず、痛恨の極み。 突然ですが、未発表作品を対象とした文学賞の選考会のもちかたとして、作者名を

          3篇よむ、のちょうどよさ

          闇をくぐる

          まんまるのブローチェン パンに乗るけしの実、カボチャの種 レバーペーストを塗るとうまいのだと 店員と話す初老の女性 プレッツェルをかついで 店を出て行く若い男性 温かいパンにナイフを 入れる若い店員を包む におい 小麦の焼ける甘い それに混じってかすかに 土の香りが 店の奥の部屋に 積まれているのは土 日々うずたかく 盛り上がっていく 夜ごと少しずつ 半年もかけて パン屋から145メートル 東に離れた裏庭 民家のそばで 闇夜に沈む 今にも崩れそうな 屋外トイレ 便器を

          闇をくぐる

          石の上で

          仲間が死んだ 山向こうの鉄の川 ひいじいさんの頃から よく死者が出ると言われて 私は行ったことがないが 石の川底に鉄が流れているという 夜の会議で報告された それは昔から好奇心旺盛だった幼馴染み 頭から血を流して 石の川底で平たくなっていたと 鉄の中から顔を覗かせた 私たちとは違う動物は 一瞬目を閉じて 気持ちの悪そうな顔をして黙祷を 私たちのために造られたわけではないこの世の中で 私たちは私たちでない動物の 間をぬって顔色を伺い 石の上で平たくなる めくらの鉄に踏み潰

          石の上で

          再えごま

          えごまをするとゴリゴリ削られますね。 自己肯定感が。 わたしは日々懸命にアップロードした記事にろくすっぽアクセスのないようなゴミかすクリエイターであり、すなわち生きる価値ゼロ円のろくでもない屑人間であるわけでありますから、すぐに死んだ方がこれ以上酸素を消費しないぶん世のため人のためなのであります。 知ってました。 肯定されるべき自己なんて、もともとどこにも存在しません。 目を背けていただけ! 直視させてくれてありがとうgoogleさん! だがしかし、世のため人のためにわ

          再えごま

          時評/詩の近景―沖縄(6)

          2013年11月~12月/新城兵一さん、岡本定勝さん、比嘉加津夫さんほか。  新城兵一さんの『弟または二人三脚』(あすら舎)は、昨年12月に60歳で亡くなった弟への〈弔い〉の詩集だ。14歳で統合失調症を患い、46年間の闘病生活を送った弟の姿が詩「弟」などに描かれる。曇りの日でも愛用したというサングラスなど、少ない遺品が挙げられ〈手ぶらでこの世を歩いたおまえが最もお似合いの/さいごの簡潔な身の終わりかただったのか〉という一節が印象的だ。  詩「遠い疵(きず)」には幼いころの

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          時評/詩の近景―沖縄(6)

          えごま、もとい

          noteの記事もグーグルで見つけることができるそうです。 ためしに「note 詩」でgoogle検索してみました。 世に言うえごま、もといエゴサでございます。 わたしがこれまでに書き散らしてきた記事も、インターネットの大海の中で孤島に陥ることなく、見つけてもらえる状況にあるのでしょうか。 わくわく。 検索結果の最上位には「#詩」新着タグのページ、人気「詩」ユーザーランキングのまとめページなどがありました。 続いて上位には文月悠光さんのページがあったり、雑誌社がアップしてい

          えごま、もとい

          猫はちびりながら

          びちゃびちゃと汚らしい音 わたしは不審に思い台所へ 薄汚れた老猫と目が合う 瞬間身構えふっ飛んで去る老猫 他所の家に忍び込む 老猫は腹を鳴らしながら わたしはうちの猫の居場所を守るため うちの猫と協同して非常線を張る 足元に水滴 点々と窓まで続いている 雑巾でふき取るが うちの猫は匂いを気にしている 窓を締め切る 飯を放置しない 発見すれば厳しく追い立てる 老猫取締網強化月間を指定する 家の周囲に巡らされた前線は 一進一退を繰り返す うちの猫が外出するのを見計らって

          猫はちびりながら

          ゲルニカ

          キラメキを一突きにされて わたしのケロイドは終わりです あきめくらの暴力的衝動 無脳症の幼児性破壊願望 わたしには何も破壊したいものなど ただわたしの肉片を 桜の木の根本とあなたの体内へ 埋め込んで欲しかった あなたは傷付く必要など 眠る場所が欲しかったのです バラされず生き永らえたわたしは 宙ぶらりんで腐り始めた叶わぬ願いを バラさなければなりません 何も成し得ぬ醜い姿を 己を己の脳髄に刻み込んで わたしはあなたの後ろ姿を うまく憶い出せずにいるのです 切れてしまった命綱と

          ゲルニカ

          時評/詩の近景―沖縄(5)

          2013年9月~10月/山之口貘生誕110年、西原裕美さん、トーマ・ヒロコさん、山之口泉さん、石川為丸さんら  山之口貘生誕110年、没後50年を記念したイベントが9月にありました。那覇市の琉球新報ホールで開かれた「貘さん、ありがとう」座談会には山口泉、中里友豪、西原裕美、宇田智子の各氏が登壇。大城貞俊さんが司会を務めました。詩の朗読は高良勉さん、大石直樹さん、神のバトン賞受賞者が出演。佐渡山豊さんらのコンサートもあり、多くの人が客席を埋めました。生誕100年の時とは催事の

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          時評/詩の近景―沖縄(5)

          八の字

          「はーなー、もう」 舌打ちとともに吐き捨て 風呂場でごしごし洗った ばあちゃんはしかめっ面 泡にまみれた 皺だらけの指先には 汚れた小さなパンツ しゃー、ぶくぶく、しゃー 保育園に行く朝を 壊す企みは空振り 見ていた孫の 眉は八の字 いつもしかめっ面 「あり、ありあり」と興奮するのは 決まって夕飯前 平幕が横綱を倒すのに膝をうった 「ありあり」が8時半に聞こえれば 巨人の投手が打たれ、喝采していた 「アイスケーキあるよ」と言うが 冷凍庫にはアイスクリーム 孫に悪態をつかれて

          自死の縁で

          1903年(明治36年)の沖縄の新聞記事だ。 沖縄県の沖縄本島北部に国頭郡がある。やんばると呼ばれる地域だ。近世から近代、現代にいたるまで琉球・沖縄の歴史の主流からも開発のメインストリームからも離れた(疎外された)地域だ。 その国頭郡の調査結果として、特に郡内の名護間切(現在の名護市西岸の名護湾沿岸地域)から多くの女性が「娼妓」として出稼ぎに出ているということを伝えている。 明治政府によって琉球国が取りつぶされて日本に併合され、近代税制が施行されたあおりで、農民たちは土

          自死の縁で

          瑠璃いろの海

           日本海側にはほとんど行ったことがない。  岩手県へ旅した際に秋田市を通過し、車窓から町並みを眺めた程度だ。山形県に行った際は山間部のみに滞在した。  日本海の波涛、怒濤とも形容される荒波をいちど見てみたいとずっと思っている。深い青色をしていると聞く。沖縄のエメラルドグリーンの穏やかな海とは違った魅力があるのだと思う。  佐相憲一さんは横浜生まれ、東京在住の詩人だ。  近刊の詩集で、新潟県上越市の直江津に近い、下小船津浜(しもこぶなつはま)というところでの様子が描かれた詩に

          瑠璃いろの海