見出し画像

3篇よむ、のちょうどよさ

びぶりお文学賞の選考を終えた。


選考を終えたどころか、既に主催者から結果が公にされており、さらに表彰式もとっくに終わっていて、果ては年度までかわりはてている。

第17回びぶりお文学賞の結果(↓)

生活能力の欠乏ゆえに日々のあれこれにたえず追い回されてグッダグダに疲れはてバッサバサに枯れはてバッタバタと死にはてている常時虫の息人間なので、毎年顔を出してきた表彰式にことしは参加できず、痛恨の極み。


突然ですが、未発表作品を対象とした文学賞の選考会のもちかたとして、作者名を伏せる、というのがある。

選考にあたる側からしたら、詩集賞などであれば伏せようがないけれども、伏せられるものなら伏せていただけたほうがありがたい。

世間さまからのノイズ(おお怖((( ;゚Д゚))))を避けることができるのはもちろん、選考じたいのノイズになりうる要素も消してもらえるありかたであると思う。


選考を終えて作者名が明かされて驚いたこともある。


ただ、同一の作者から複数の応募があった場合は、作者が同一の作品はひとまとまりにしてもらえている。これは同じ人の作品を複数選んでしまわないようにという運営上の都合でもあるのだろうが、作品を読む上でも理解の助けになっている。


今回、応募がかなり少なかったのだが、読み応えがずどんと来て殺す気ですかと感じたのは全員が複数作を応募しており、それぞれ独自の世界観が確立されていたからだと感じる。


誰でもなにか読むときには心に引っかかるセンサーみたいなのがあるのだと思うが、わたしが選考で読む場合のそれの一つに、作品のストックがありそう=内的な動機付けが強そう、というのがある。それは1作品で感じることができる場合もあるが、連作を読むことができれば判断を助けてもらえる。

また、言わずもがなだが一つの作品で感じた印象が、連作を再読してがらりと変わることがある。つっかえていたところが必然だと思えるようになったりする。逆に、連作を見渡すことで物足りないところに気づいてしまうこともある。


じぶんの作品もこのように見られているのだろうなとは思うが、それはおいといて、「3篇よむ」(びぶりおは1人3篇までと決められている)という読み方のちょうどよさを今回、実感した。


入選作を多くの人に読んでほしいし、できれば入選作以外の作品もなんらかの形で公開され、人の目に触れてほしいと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?