3つの好きな映画|階段の情景 癖と個性が滲み出す[ジョーカー パラサイト 千と千尋]
癖 と 個性
同じようで、全然ちがう。無意識に滲み出る現象という点は同じなんだけど、その過程は正反対。癖は無意識の積み重ねでカタチづくられ、個性は意識的な心がけ。癖も個性も、愛すべき人間の魅力ではあるけれど。。
無意識の結果の癖
心がけの結果の個性
そんな癖と個性は階段に如実にあらわれる。颯爽と駆け上がる人、息を切らしてうつむきながら歩く人、無造作に座る人、スケボーで滑り降りる人、踊る人。階段を舞台に人びとが行き交えば、そこにドラマが生まれる。
姿勢、足取り、立ち振る舞い、居方
階段の情景に癖と個性のドラマあり
癖と個性 と 建築家
平面はクライアントの夢で、断面は建築家の夢。そんなことをどこかで聞いたことがあるような。家を借りる時も買う時も、間取りはみんな気になるところ。
でも、サグラダファミリアの魅力は間取図を見ても伝わらない。清水の舞台を平面図で見てもつまらない。建築は断面にすばらしさが詰まっていて、その設計にプロは命を賭ける。
建築の癖と個性が表れる断面
なので、断面図に表現する階段は、必然的に癖と個性が色濃く反映される。大階段があったり、螺旋階段があったり、みんなで座れる階段もあれば、円形劇場もある。
ということで、そんな階段を舞台に繰り広げられる映画3選。せっかくなので三大映画祭受賞作からそれぞれ選ぶ。
癖と個性が滲み出る 階段の情景
ベネチア|ジョーカー
ジョーカーが徐々に滲み出る
ニューヨークのブロンクスにある階段が映画の舞台となる。ビルの狭間に真っ直ぐに伸びる無機質な階段。光は上から差し込み、冷たい都市を象徴するかのような佇まい。
階段のシーン、アーサーは重い足取りで歩く。ところが、後のシーンで階段を下るアーサーはまるで別人のように歩き方が変化する。
階段が主人公の変貌を象徴する舞台となる
階段を一歩一歩降りるたびに、ダンスが上手くなっていく。身のこなしも、立ち振る舞いも変わっていく。ジョーカーが徐々に顔を出す。
カンヌ|パラサイト
社会階層を絶望的に上下に隔てる
地上と地下を繋ぐ階段が、物理的に繋がっていても心理的には繋がっていないことを暗示する。見上げることはできても、たどり着くことはできない。
見下ろされているか、見下されているか
地上と半地下の対比を見せて、映画を観る人に自分は地上側の人間だと思わせる。ところが“本地下”が登場することで状況は一転する。実は自分は半地下側だったのでは、という不安を突きつける。
半地下は半地上でもある
半分は地上に出ているので、自分は大丈夫と思ってしまう。でも、一歩間違えば転落してしまう境界線。社会階層の断絶と曖昧な境界を階段をつかって表現する名作。
ベルリン|千と千尋の神隠し
異世界への入口を表す階段
トンネルの向こうにある不思議なまちは階段で徐々に上がっていく。油屋は立体的に積み上げられた擬洋風の建築で、外壁に階段がいくつもへばりついている。階段を駆け降りると鎌爺のいるボイラー室へ。
異世界への入り口
建物に対する興味というよりは、建物の中に入っている人間に興味がある、と宮崎駿はいう。階段を描けば、必然的にそこを利用する人間に思いを馳せることになる。そんな妄想が好きな宮崎さんだから、映画に階段がよく出てくるのか、と妙に納得してしまう。
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