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ダンスとともに描かれる戦争。心の距離を縮めるための音楽。

ミュージックビデオで涙したのは初めてだ。

"Ed Sheeran – 2step ft Antytila"。
ウクライナのバンドAntytilaが、Ed Sheeranの新曲”2step”とコラボした作品で、2022年5月2日からYouTubeで公開されている。

破壊された建物の中で踊るダンサーと、爆撃から逃げる母娘。戦車の横で家族への思いを歌う男性。

人が吹き飛ばされたり、血を流して苦しんだりしている様子は描かれていない。だが、それゆえに、この2分35秒の映像作品には強い力が宿されていると感じた。

映像は、舞台袖で準備をする一人のダンサーの姿から始まる。部屋には、リボンのついた赤い服と、白くて可愛らしいサンダルが置いてある。一緒に踊るはずだった女の子の衣装だろうか。彼女はここにいない。一瞬浮かぶ諦めのような表情が頭に残る。白シャツと革靴、黒い蝶ネクタイを付けた彼は独り、力強く踊り始める。

シーンが変わり、もう一人のダンサーが家のなかで踊っている。突然天井が崩れ、彼女の幸せそうな表情は一瞬で恐怖と不安に変わる。娘を後部座席に乗せ、必死に車を走らせる母親。女の子は不安をかき消すようにイヤホンを挿し、曲を口ずさむ。

戦車の脇に立ちウクライナ語で歌う男性は、ウクライナのバンドAntytilaのボーカル、Taras Topoliaだ。離れた場所にいる妻へ、戦場から想いを伝える。深い愛を感じさせる歌声。Topoliaに、父や夫の姿をみる人も多いだろう。

私はこの作品を一目で「好きだ」と思った。
ちなみに、私の母もこのミュージックビデオを見て泣いたと言っていた。11年前、原発事故直後の混乱期の福島で暮らしていた母は、2stepのMVのなかで娘と逃げる母親に強く共感したという。私も映像のなかの母親に自分の母を重ねていたと思う。避難中の車のなかで音楽を聞いていたことを思い出す。力強く踊るダンサーたちの後ろに響く重低音に、日常が壊れる瞬間の頭のぐらつきを思い出した。戦争と事故は同じではない。しかし、この映像のなかの描写は、不条理に日常が壊されたことのある多くの人の心に深く刺さるだろう。

作品の後半では、戦場にいる父親と避難する母娘の姿が交互に映し出される。彼らはミュージックビデオのなかの演者であり、実際の家族ではない。だが、戦争で引き離されたたくさんの家族を象徴する。Topoliaと彼の家族、他の制作者たちが見て聞いて経験した事実が紡がれ、フィクションとノンフィクションの狭間に生み出された2分35秒に、見る人はあらゆる家族の物語を想像することができる。

戦争の痛みは想像できるものではなく、安易に「わかる」なんて言えない。だからといって無関心になることは私にとっての正解ではない。「正しさ」が、立場や状況によって変わるのなら、そのなかで自分の立つ場所を作っていきたい。

大きな権力がぶつかり合う下で、子どもたちは真っ先に選択肢を奪われていく。それは真実だ。そして、あなたの家の天井も、私の家の天井も、いつ崩れるかわからない。そうした世界のシンプルな事実を端的かつ繊細に描く力を、尊敬せずにはいられない。

2分23秒で、二人のダンサーは距離を隔てて手を重ねる。「残る者」と「逃れる者」の間に生じているであろう心の距離にも気づかされる。引き裂かれたあらゆる人々の間の距離が2stepという歌詞に重ねられ、「愛」という言葉の多義性にたじろぐ。

皮肉だが、愛や美しさや幸福は、困難や混乱のなかでその輪郭をより鮮明にする。Topolyaの歌詞を聴きながら、私はそれらの輪郭を一生懸命なぞっている。

Antytilaによる2stepのミュージックビデオは、観る人の感情に訴える作品であり、EdSheeranの影響力を使っている点でも、計算され尽くした効果的な映像だと言われるかもしれない。それでも私はこのミュージックビデオがとても好きだ。Antytilaと制作に関わった全ての人にラブレターを届けたい。

憎しみの種が広がるような命の奪い合いが無くなること、子どもたちが戦争の恐怖から解放されダンスに集中できるようになることをずっとずっと祈っている。

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