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★連載16★正しい事も、悪い事もない。全てありのまま。①              

☆頑張って働かなくても、一生懸命働かなくても、仕事はできる


現場の介護職10年を経て、管理職に就くと目標を掲げ、管理職として職員の指導や教育にチカラを注いてきた10年。

いつしか時は流れて、介護の仕事の経験も20年近い歳月が過ぎようとしていました。そして、私の心が限界を迎え、適応障害になり退職。

そんな中、辿り着いた答えは、

「全て完璧な事などあり得ないのだ。」
「私が思う完璧と、相手が思う完璧は違うものなのだ。」
「私が正しいと思う事と、相手が正しいと思う事は違うものなのだ。」
「私が仕事しやすい環境と捉える事と、相手が仕事しやすい環境と捉える事は、違うものなのだ。」
「私が望む事と、相手が望む事は違うのだから。」

自分が望む環境を作るのは、無理だったという自分自身の答え。今まで頑張ってやってきた仕事。一生懸命やってきた仕事。いつしか自分自身を追い込む事につながっていたという事。

何も考えられなくもなっていました。

ですが、その頃の私は、その事自体にも納得ができていたのです。

自分が未熟だったから、勉強不足だったから、自分を責める意味では捉えてはいなかったのです。

降参したというか、納得ができた感覚です。

『完璧はない』
そりゃそうだよな。深く腑に落ちたのです。

でも、人は自分が想像する、自分の理想とする『完璧』というものを追い求めてしまうのです。

そして、それをいつしか人に押し付けてしまっているのです。

だから、私は降参したのです。

潔い降参です。

どちらの為にもならないと悟ったのです。

介護の仕事以外経験した事が無い私。適応障害になろうとも、働かない訳にもいかず、次の施設へ転職する事となります。その時の私は、もう、管理職への拘りも、自分自身の目標も失っていました。

降参した私。
自分自身の自我への降参とでも言うのでしょうか。

「もう、管理職に就くのはやめよう。」
だって、どんなに職員の事を考えて頑張っても、無理だという事実を知ったから、もう管理職に就く必要もない。

「仕事を頑張るのをやめよう。」
だって、どんなに頑張っても、伝わらない事の方が多いのだから。

それなら、
「自分のペースで好きなように仕事ができる所で仕事をしよう。」

そして、現場の職員として働くのではなく、ケアマネージャーとして、介護保険制度の中で、必要な介護計画書を作成する、仕事をする事での転職でした。

頑張らなくても働ける施設。
一生懸命やらなくても働ける施設。

人の紹介で移った施設でしたが、正に、そのような施設だったのです。今までの私だったら、決して選ばないであろう施設でした。

自分自身の自我に降参した私。
そして辿り着いた先が、多くは語れませんが、今まで働いてきた施設とは、180度違う施設だったのです。

きっと、自我への降参をしていなければ、その施設に決して辿り着く事は無かったのだと感じています。

今思うと、宇宙さんは、私にふさわしい場所へ導いてくれていたのだと思うのです。

頑張らなくて良い施設。
一生懸命やらなくて良い施設。

そんな施設でした。ですが、その当時の私には、ありがたい施設でもありました。

適応障害になり、頑張らなくても働ける施設、一生懸命やらなくても働ける施設を望んでいたので、ある意味、その当時の私自身の心と体が求めていたような施設でもありました。

正に、私自身が引き寄せていたのだと思います。

私の精神状況は、頑張りたくても、頑張れない状態だったからです。

それでも働ける職場。今まで頑張って働かないとならない。一生懸命働かないとならない。と考えながら働いていた私にはありがたい職場でもあったのです。

ですが後に、晴天の霹靂と言われるような体験をする施設でした。

日々、衝撃的な出来事があり、法人の運営に関しても、耳にした事さえないような事実を目の当たりにする日々。

でも、その営利法人は、回っているのです。お客さんである高齢者も、職員も、ある意味、その法人に合った人たちが寄せ集まっていました。

『こんな所もあるのだ』
『こんな事が許されているんだ』
『こんな事も分からないんだ』
『こんな事も知らないんだ』
『こんな事も出来ないのだ』

驚きの場面が日々展開されていました。

ですが、回っているのです。
その法人の中では問題もなく(?)回っているのです。運営できてしまっているのです。

私の今まで目指していたものが、一切無意味であった事も知る事になるのでした。

ここでの体験が無ければ、私は光だけを捉え、闇を見ようとせずに過ごしていたのかもしれません。

どんな事象にも、陰と陽、善と悪と捉えられるように、二極に分かれる出来事が日々起きてはいるのです。宇宙の法則のお話になりますが。

それでも、その当時の私にとっては、そこで働くしか選択肢はなかったのです。あまり多くを語れない施設ですが、ですが、自分自身の学びや成長は、大きなものがありました。

光と闇、二つ存在している事。
そして、どちらが良い、悪いでもないという事。

なかなか受け入れるまで時間を要しました。
ですが、魂の学び、魂の成長の手応えを感じる事ができたのです。

この施設に来た頃に、私は『宇宙の法則』『スピリチュアルの世界』『精神世界』に辿り着いています。

ある意味、この施設で働かなければ学べなかった事を学ぶ事ができたのです。

学びがあるから成長できる。
成長できるから、本来の自分とつながれる。

ここでの4年間は、私が常識や一般的だと捉えてきた事が、全て崩れ去るような体験をしました。

ですが、後の私に大きな気付きのもとになる施設でもあったのです。


☆今までの20年間の学びが、まったく通じないと感じる


今まで私は、知識や技術、経験、そして資格も、とても大切なものであり、専門職である介護職員には、無くてはならないものだと管理職として捉えてきました。

ですが、転職をし、その施設の職員を知ると、本当に覆されました。

無資格の職員が大半であり、しかも、介護の仕事が初めてと言っている高齢の職員が多い事。

今、介護の質、職員の質など国から言われおり、無資格の職員の採用がまったく無い訳ではないですが、ここまで、無資格者、未経験者が多い事に驚きました。

介護の仕事というのは、無資格、未経験からスタートできる仕事であるというのも事実です。

もちろん、無資格、未経験の職員を採用し、教育や指導をしてきた事もあります。ですが、ここまで多い職場は初めてでもありました。

さぞかし、教育や指導も行うのは大変だろうと感じていましが、驚く事に、ほとんどされていませんでした。

確かに、知識や経験、資格があるからと言って、それだけで、個人の職員を評価する事は間違いだとは思ってはいます。

ですが、あっては困らないものが、知識や経験でもあります。

そして、知識や経験が無くとも、介護業界は、万年人手不足の業界ですので、採用される可能性は高いのです。

最低限度、介護職員として働く者として、知識や技術、経験がある程度あれば、本人が仕事しやすいと思っていました。

私自身がそうでした。知識を得る事によって、職場で実践してみると、仕事がしやすくなった経験を沢山したからです。

何より、仕事がすやすくなるという事は、自分自身が楽だという事を知っていたからです。

ですが、知識や技術、経験というのは、「無くても仕事はできるんだ。」という事を深く知る職場でした。


ここでは沢山の今までの介護の経験から、想像もできない経験をしました。介護業界の実態。

多くは語れませんが、ここでしか知る事のできない、介護施設の社会での役割というものを知りました。

そして、それはとても意味のある役割でもあるという事。表面だって知られる世界ではないけど、無くてはならない役割でもあるという事でした。

光と闇と言われる部分です。

これが、後の私に大きな影響を与えます。

全て良い事ばかり、良い目標ばかりでは、社会は成り立たないという事。自分の正義感を振りかざしてきた私は、衝撃的であったのですが、これが社会、世間の本当の姿なのでは無いかと感じたのです。

良い事ばかりでは成り立たない
悪い事ばかりでも成り立たない

人は、良い面も、悪い面も同時に併せ持っており、どちらの面も、自分自身であるという事。

そして、世の中にも同様に、良い面も、悪い面もあるという事。

それは、良い面を知る為に、悪い面も存在しており、悪い面を知る為に、良い面を知るという摂理。

どちらも無くてはならないモノであり、常にその中で私たち人間は生きているという事なのです。常にその中で私たち人間は人と関わり合っているという事なのです。


一人でも多くの人が、最期まで自分らしく、幸せに過ごせますように

最後までお読み頂きありがとうございました
次回もお逢いしましょう♬


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