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★連載15★スピリチュアルとの出会い              

研修に参加をし、大きな気付きを得て、その後10年間近く、いくつかの施設で管理職をし、介護の仕事を続けてきました。

認知症の方と関わり、職員と関わり、仕事をしながら、日々、色々な事を学んできました。コミュニケーションに関しては、常に勉強の毎日でした。

いつしか、教える事も自然とできるようになって、今では、介護の研修の講師をするまでになりました。

あの時の学びが、私のスタートでした。

そして、私は『宇宙の法則』と出会う事になったのです。

『宇宙の法則』と出会ったのは、今から4年程前の2018年の夏の頃でした。


それからの私は、いくつかの施設で管理職として働くようになり、施設での管理職の経験つんでいくようになりました。一度に管理する人数も次第に増えていくようになっていきました。

個人個人を尊重し、個人に合わせた、教え方、伝え方をしていく事を意識して指導や教育を行ってきました。

そして、全員に伝わらなくても、必要な人に届いてくれれば良いのだと思う事ができるようになりました。

それからは自分のペースで色々とコミュニケーションについて学んできました。聴く技術やスキル、伝える技術やスキルなどの技術的なものから、コーチングまで、独学ながらに学び、それを実践で活かしてきました。


☆適応障害になり、本当の自分が教えてくれたもの


そして、介護の仕事で20年近く働いてきて、私は今後も、このまま介護の仕事を続けて働いていくのか?

自分自身への問いかけを感じる事があったのです。

今から6年程前の出来事です。

介護の仕事でずっと働いてきて色々と学んできました。介護保険制度の事、そして、矛盾。私が目指してきたものが、実現は無理だという事も、その頃に感じていたのです。

私が正しく教える事で、仕事をしやすい環境を作れるはずだ。
施設をまとめる事は、みんなが仕事をしやすい環境を作るという事だ。

当初の管理職に就くと決めた時の私の目標。それは、10年を経て、無理だという事を深く理解する事になったのです。

「全て完璧な事などあり得ないのだ。」
「私が思う完璧と、相手が思う完璧は違うものなのだ。」
「私が正しいと思う事と、相手が正しいと思う事は違うものなのだ。」
「私が仕事しやすい環境と捉える事と、相手が仕事しやすい環境と捉える事は、違うものなのだ。」
「私が望む事と、相手が望む事は違うのだから。」

この10年、管理職に就いて仕事をしてきた結果、得たものは、「どんなに頑張っても、無理なんだ。」という事でした。

その事に気が付いた頃でしょうか、私の身体に異変が現れたのです。

その頃の私は、燃え尽き症候群と言われる状態だったのかもしれません。そして、自分自身、これ以上自分自身を放置していたら、私はダメになってしまうという思いで、精神科を受診しました。

職場に行くと、血圧が上が240、下が140と、異常な数値を叩き出していたのです。そして、仕事にならないから帰りなさいと言ってもらえると、血圧が落ち着く自分を感じるのです。

体は正直で、”職場に行きたくない”というのを理解しているかように、仕事をしなくて済む状況を創り出してくれていたのです。

本当に不思議でした。

そして、精神科を受診した結果は適応障害。

介護の仕事をしていると、病気の事を知るようになったりします。だから、私自身の症状から、精神的な疾患を感じていました。職場の人と、世間話をしていても、涙が出てきて止まらないという状態になってしまったり、自分自身、これはヤバいと感じました。

メンタル的に強いと思っていた私自身が、精神科に通うようになるとも思ってもみませんでしたが、その時の私は冷静に判断をしたのです。

精神的に限界だったという事。
そして、その職場が自分に合わなくなってしまったという事。

私自身、辞める事は、逃げ出す事、無責任な事と捉えていたので、辛くても、苦しくても、選択する事ができないでいました。

ですが、病める時は、辞める時。
そう感じたのです。

ダジャレではありませんが、身体が限界を迎えているという事ですから。

今思えば、適応障害になった事が、そのタイミングだったような気がしています。

自分の中では、やりきった感覚。出し切った感覚。もうこれ以上、私にできる事は無いという感覚。人から見たら全然できていないと捉えられたかもしれませんが、私自身の中でそれ以上は何もできない。そんな感覚をその頃の私は感じていたのです。

私は介護の仕事自体に限界を感じていたのです。

そして、私は自分自身に問いかけたのです。このまま、介護の仕事を続けて人生を歩んでいくのか。それとも違う人生を歩んで行きたいのか。

と、いう、自分自身の人生の転機と感じる感情が芽生えるようになったのです。

介護保険制度の中での介護の仕事は、制度の問題や、施設の問題。それを全てクリアにする事は、物理的に無理な事だというのを深く感じていたのです。

ですが、その頃の私は、何か違う感覚を自分の中で感じるようになっていたのです。


☆心の声に耳を傾ける事の大切さ


それは、
『コミュニケーションに関する事を教えていきたい、伝えていきたい。』
という漠然とした思いでした。

介護の仕事の中だけに囚われず、コミュニケーションに関しては、生きていく上で、人は必要なものだからです。

この事は、適応障害になる前から考えていました。介護の仕事、介護施設とか関係なく、教えていきたい。伝えていきたい。と、いう漠然とした感覚です。

今まで介護の仕事の中で学んできた事は、高齢者福祉、高齢者介護以外でも必要な事、大切な事を私は学んできたのだと感じていたからです。

だからこそ、介護の仕事の中で学んだ事を、介護職員にだけ向けるのではなく、一般の必要だと感じている人へ伝える事ができたらという思いに駆られていました。

ですが、
『そうは言っても、何をどうして行ったら良いのだろう?私にできる事は何があるのだろう?』
そこに辿り着きます。

今まで、介護の仕事である職場の職員に向け、介護を中心に捉えた教え方をしてきたのですから、これを一般の人へ伝えていく事ができるのだろうか?という不安もあっての、新な目標でした。

雇われて働いてきた私にとって、自分で何かを興す術はありません。
資金もありませんでした。

『やっぱり、私には無理だよな。』と考える度に辿り着く事は、『諦める』事につながっていました。

自分の中の『違和感』
漠然とした『違和感』
どうしようもできない『違和感』

そんな感覚を感じていたのでした。

今から6年前の出来事です。もう、そんなに時が過ぎていたのだと、時の流れを感じています。そして、今なら介護の仕事の、この25年間も、この為にあったのだと感謝すら感じています。

今思うと、適応障害になった事にも意味があったのだと捉えています。自分のしたい事、やりたい事をしなさいという事で、その頃に働いていた施設を退職するよう仕向けられてられていたのかもしれません。

誰が仕向けたかと言うと、本来の自分自身です。自分でも気付かなかった、心の声。そして、その心の声とは、魂の自分だったのだと感じています。

私の奥底の本当の感情。それが、魂の自分の声だった。今なら本当にそう感じています。その時の『違和感』を無視していたら、私はどんな人生を歩んでいたかとも考えます。

私はあの頃、自分の人生に『違和感』を感じていた事も、適応障害になり、退職をした事も、その当時は、苦しい出来事、苦しい体験でしたが、今では感謝するべき、私の人生の貴重な体験となっているのです。

前にもお伝えしましたが、適応障害になり、自分の心と、自分がしている身体が、「違う事をしているよ。」「もう、限界だよ。」「もう、いいんだよ。」そうやって語り掛けてきてくれていたのだと感じます。

適応障害になり退職をし、自分の中で介護の仕事を続けていくかという人生の課題に直面していましたが、次の転職先も、やはり、介護の仕事を選択していました。

今までの私の介護の人生で、衝撃的な体験をする事となる施設への転職になったのです。


一人でも多くの人が、最期まで自分らしく、幸せに過ごせますように

最後までお読み頂きありがとうございました
次回もお逢いしましょう♬


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