下向 峰子

69歳でnote始めました。かつては声楽家でお気に入りはドイツリード。ひょんな事から人生大変革、創立39年株式会社日本コスモトピアの代表をしています。「感動の共有」を通して社会を変える「学び」をデザインする会社を目指しています。趣味はテラスガーデニングと美味しいワインを嗜むこと。

下向 峰子

69歳でnote始めました。かつては声楽家でお気に入りはドイツリード。ひょんな事から人生大変革、創立39年株式会社日本コスモトピアの代表をしています。「感動の共有」を通して社会を変える「学び」をデザインする会社を目指しています。趣味はテラスガーデニングと美味しいワインを嗜むこと。

    最近の記事

    夏休みは子どもは親から離れる経験を

    夏休みは子どもが親から離れてできることを経験するというのも すごく大事なことだと思います キャンプに行くとか合宿に行くとか 自然と親しむのにもすごくいいですね 普段住んでいるところとは違う環境の人と交流して 意見を交わしたりその違いを肌で感じたり 気をつけなきゃいけない動植物について学んだり お父さんお母さんは心配ではあるかもしれないけれど 親から離れて子どもが自分で考え、行動できる そういう環境を与えてあげられたら 夏休みはすごくいい成長の機会になりますよね そして親

      • 夏休みの計画は子どもが決める!

        夏休み真っ盛りですね 夏休みはいろんな過ごし方があると思うのですが この時期だからこそお父さんお母さんは 子どもに主導権を持たせてあげてほしいなと 思うんです 旅行に行ったりイベントに行ったりという 家族で過ごす計画も どんなふうに過ごしたらいいかを 子どもが計画するんです これは小学校1年生だってできると思います するとどうなるかっていうと 子どもってお父さんやお母さんが喜びそうなことを考えるんです だから 「お父さんこれしたら楽しい?」 「お母さんこれしたい?」っ

        • どうすれば子どもは読書好きになる?

          これを読んでくださっている方のなかには ご自身のお子さんに読書好きになってほしいと 思っておられる方もいらっしゃるかもしれませんね 実は、私は子どもの頃に 自分からどんどん本を読んだっていう記憶はないんです 本が大好きだったのは母です 母は子どもの頃、布団のなかにライトをもちこんで 隠れて読んでいたというくらいの読書好き しかしそんな母に「本を読みなさい」ということを 言われたことはなかったんですね でも後に私は本を読み始めるようになるのですが そのきっかけは中学生に

          • 失敗しましょう!

            親が子を思う気持ちは本当に尽きないものです しかし思いすぎるがゆえに 「先回り」をしてしまう親御さんも 多いかもしれません 例えば極端な例だと 「お手洗い行った?はい手を洗って」と言って その横でタオルを持って待ってるようなイメージです 子どもがなんにも言わなくても 駄々をこねなくても 「これがほしかったんでしょ?」と すべて満たされていくのって 良いことってほぼないかなと思うんですよ なぜなら子どもが「自分のことを知る」っていうことを しなくて済むから たとえばお友

            出る杭は打たれる? 個性を消す日本の社会

            みなさんは「おにぎりの型」ってご存知でしょうか プラスチックの型でごはんを入れてギュッと押せば きれいな形のおにぎりができるアレです 昔はおにぎりって お母さんでもお父さんでもおばさんでもお姉さんでも みんな人間の手で握って形作りましたよね 当然ながら不揃いなわけです それが、だんだん形が揃っているもののほうが美しいという 価値観が生まれてきました お母さんの手のぬくもりが感じられないおにぎり ただ「食べる」という意味ではあまり違わないかもしれないけど ひとつひとつ形

            非認知能力が育つ対話とは

            私は一貫して対話の重要性をお伝えしていますが やはり非認知能力も日常の対話の中で育つんです ですからどれだけ親や先生が意識して たくさん対話をするかが重要です では非認知能力が育つ対話とは 具体的にどんなものなのでしょう? これはもちろんお子さんの年齢によっても変わってきますが まだあまり自分の意見を言葉にできないような幼児期だと とくに気をつけなければいけません 感性の基本は「好き嫌い」です 例えば親に「これ食べなさい」と言われたけど 子どもは「う〜ん…」って首を振っ

            「非認知能力」はなぜ重要?

            文科省が教育改革のなかで 「非認知能力」の重要性を提唱しています この非認知能力とはいったい何か わかりやすく言うと「点数で評価しにくい能力」のことです 判断力とか、発信力とか、考える力とか課題解決能力とか つまりは「生きる力」のことです そう考えると人間の能力というのは ほぼほぼ非認知能力であるということです しかし長い間日本の教育のなかでは 点数で評価することにみんな慣れてしまっていました テストの点数が高い、つまりIQが高いということが その人の能力が高いことを

            受験は自分自身を知るチャンス

            受験勉強とか試験勉強しているときって ある意味自分探しみたいなところがあって 実は自分自身に気づくことって多いんです たとえばみなさんこんな経験ないでしょうか 音楽やラジオを流しながら勉強しているほうが 集中できたり 「そんなことあるわけない」と親には言われるんだけど そしてそうやって集中して勉強していると 次は本を読みたくなったり 机を片付けたくなったり そんな時間ないのに なんでだろう?って思ったものです だから「自分にはこんな面があるのか」と 普段は気づかな

            受験に「失敗」はない

            当然ですが受験というのは 合格する人もいれば不合格の人もいますよね では不合格って「失敗」なのでしょうか? 私は全くそうだとは思いません まずその大前提を お父さんお母さんはしっかりご認識いただきたいと思います もし子どもが不合格だったら そこから何を得たのかということを しっかり対話していただきたいです がんばったこと、悔いが残ること、気づいたこと たくさんあるはずです それを一緒に拾い出していってもらいたい 子どもは子どもで 「親に申し訳ない」って思っているはず

            子どもの受験にはお父さんの存在が必要!

            受験って多くの場合は 子ども自らがしたいと言うよりは 親が子どもを受験させたいという場合のほうが 多いと思います もちろん子どもたちのなかに意思があって 行きたい学校がはっきりしていることもあるでしょう とはいえ受験ということになると とりわけ親からの視点が大きくなるように思います そんな親を見て子どもたちは 親がそう望むならまあそうしようかなと思う子もいれば 自分はぜったいそんなことは嫌だと思う子もいる または 嫌だけれども親には逆らえないという子もいるでしょう 子

            つらい受験勉強を人生の糧にするために親ができること

            新しい季節ですね 新年度であり、新学期です 寒い冬を越えて みなさん清々しい気持ちなのではないでしょうか そんな冬の間に受験をのりきったよという方も多いでしょう 受験といえば 私の2人の娘ももちろん経験しました それぞれまったく違うモチベーションでの受験でしたが 今日はとても印象的な 次女のエピソードをお話します 次女は意欲満々で真正面から受験に向かっていきました 勉強するのが好きな子で 宿題は学校で終わらせて帰ってきて いつも何かの本を読んでいたりと 学ぶことが本当に

            「おもろい」は「愛」

            「おもろい」と言えば 芸人さんを連想する人もいるかもしれませんね 芸人さんって本当にすごく修行していらっしゃる 笑ってもらえることほど嬉しいことはないと言う彼らは ものすごく勉強されています どうやって人を笑わせるか どうやって人を和ませるか どうオチを持ってくるか 常に考えておられる すごく厳しいお仕事だけど 人を笑わせたいっていう気持ちの根源は やっぱり「愛」なんですよ もちろんそれがご自身の評価につながるからと いうこともあるでしょうけど そもそもなぜ彼らは 人

            「おもろい」の理由を説明できる?

            みなさんはAとBの選択肢があったとき 自分がAを選んだとして その理由を説明できますか? 私が今年掲げているテーマ 「おもろいオペッタヤン」 「おもろい」の根幹には その人がそれを「好き」という気持ちがあります 何かを好きで それを楽しんでいる人は最高に「おもろい」からです この「おもろい」のキーになるのは 「なぜ?」「どうして?」です 子どもはこの言葉をたくさん口にしますね 「なぜなぜ期」すごく大事な時期です だからあなたがなにか好きなものがあったら 「なぜ」そ

            人類みなオペッタヤン!

            「おもろい」があるならば 逆の「おもろくない」ってあるんでしょうか? なにを「おもろい」とするかっていうのは 考え方の問題であり表現の問題でもあると思うんです 例えばちょっとひねくれてる人がいて 表面的にはちょっと「おもろくない」かもしれない でも本来人って楽しく遊んだり会話したりしたいはずなのに わざわざひねくれているとしたら それって「なんでなんだろう?」と興味が湧きませんか? そう思うと極論 「おもろくない」すらも「おもろい」ということになるし やっぱり自分のマイ

            2022年は「おもろいオペッタヤン」を見つけたい!

            「おもろい」という言葉は 関西圏の方であれば馴染みのある表現でしょう 一方「オペッタヤン」とは? 実はこの言葉はフィンランド語から来ています フィンランド語で「教える人」を意味する言葉 「opettaja(オペッタヤ)」 これが派生して関西弁ぽく「オペッタヤン」って 言うとなんだかすごくかわいいでしょ? 私は2022年はこの「おもろいオペッタヤン」を たくさん見つけていきたいと思っているんです じゃあ「おもろい」って一体なんなんでしょう? もちろん解釈は自由です 例

            学校の存在意義って?先生のいる意味って?

            オンライン学習がどんどん普及すれば 学校にはもう行かなくていいんじゃないの? なんていう議論が交わされることがあります いまはちょっと特殊な状況だとは思うのですが オンライン学習だけでいいのか? 学校へ行くことは必要なのか? 私はこれも「使い分け」だと思っています 知識を詰め込む学びは一人でも出来ますよね 動画教材なんかがあればオンラインでも むしろ一人のほうが効率的でいいかもしれない でも学びってそれだけじゃないですよね 友達と触れ合って 意見交換したり思いを共有し