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出る杭は打たれる? 個性を消す日本の社会

みなさんは「おにぎりの型」ってご存知でしょうか
プラスチックの型でごはんを入れてギュッと押せば
きれいな形のおにぎりができるアレです

昔はおにぎりって
お母さんでもお父さんでもおばさんでもお姉さんでも
みんな人間の手で握って形作りましたよね

当然ながら不揃いなわけです

それが、だんだん形が揃っているもののほうが美しいという
価値観が生まれてきました

お母さんの手のぬくもりが感じられないおにぎり
ただ「食べる」という意味ではあまり違わないかもしれないけど
ひとつひとつ形の違うものと
形の揃ったものをいただくというのは
ちょっと違いがあるように感じます

これがまさに人間にも同じようなことが言えるんです

「こういう人が望ましい」という「型」を決めて
この型にはまるかはまらないかで
優秀かどうかを測るような仕組みが
すべてにおいてではないにしろ
あるなと私は思っています

ほかにも例えばスーパーに並ぶ野菜なんかも
全部同じような形、同じような大きさ
本来ありえないことですよね

つまり個性を消していっているわけです
同じような形であることが美しいとされる
もしくは見た目が揃っていることは
当たり前とするような感覚を
わたしたちは植え付けられてきた部分があると思います

形がきれいで揃っているものが売れて
いびつなものは売れなかったということは
それは「本物」であることを
人間がちょっと拒んできたということなのかもしれない

野菜や果物は形がいびつなものは排除され
商品として流通にのらなくなりました

でもそれって
悪いところを排除できたかもしれないけど
一番怖いのは良いところも排除しているかもしれない
ということなんです

同じことが人間の成長においても行われてきたんじゃないか

一時期、運動会でも差をつけてはいけないからと
徒競走で男の子も女の子も手をつないで走るなんてことが
話題になったことありましたね

図工の時間でも花ボンボン作るときに
他の子のと大きさを揃えるように指示されたり
母の日にお母さんの絵を描きましょうってなったら
みんな同じような色で同じような顔

「こんなふうにしなきゃいけないんだ」と
子どもたちは教えられてきてしまったし
はみ出すことを親も恐れたんですね

でも座学の勉強は苦手だけど
運動会では大活躍する、みたいな子って
いましたよね
あの子たち見てたらすごく楽しくなかったですか?

そう思うと「良い」「悪い」なんて
果たして誰がどう判断できるというのでしょう?

こんなふうにいつしか作られた「型」が
大学入試だったり就職のときの評価基準だったりして
そんななかで起こるのは「出る杭は打たれる」です

私も学校という場で教師として働いていたときに経験しました

でも10代の頃からずっと
「出る杭は打たれるってどういうこと!?」
「いいじゃない、個性なんだから」と
って思っていました

でも出る杭になって
打たれて辛い思いするくらいなら
黙っておとなしくしていようって
なってしまう人も多いでしょう

私はすごく反骨精神のあった子どもで
私自身が「出る杭」だったかもしれません

小学生くらいの頃だったでしょうか
私の態度が気に食わないとかで
私の揚げ足を取ろうとする子もいたんですよね
誰かが仲間はずれになっていることなんかも大嫌いで
やっている子に抗議しにいったり

でも私は嫌われてもいいから
言いたいことは言ったほうが
自分も相手もスッキリするんじゃないかなと思ったんです
それを我慢してしまう子のほうが
却っていじめられやすくなってしまったり

でも振り返ってみるとすごく楽しかったなって思う瞬間が
多くあるんです
それはやはり、先生や友達とのコミュニケーションが
とても多かったからだと思うんです

2022.6.30
下向峰子


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