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日本人は中東アラブ・イスラエル問題を大きく理解する為に人類史を勉強しなくてはいけない

1週間前の10月7日,イスラエルとパレスチナ(ハマス)の交戦が始まった。
イスラエルが50年ぶりの開戦を宣言した。
今回のイスラエルvsパレスチナの戦争は,昨年(2022年)2月に勃発したウクライナでの代理戦争と軌を一にした動きである。
日本人は,このイスラエルと中東アラブ世界の本当の歴史を理解できていない。
なぜなら義務教育課程と高校・大学で,教師や学者たちから歪曲された歴史しか教えられていないからだ。
指導者たちに正しい歴史認識が無い。
自分,峯岸の中学の時の歴史の教師が「東欧はソ連の衛星国」と言ったので,自分は「日本はアメリカの衛星国ですね」と返したら,この教師が「そういう事を言うんじゃない」と一蹴してきた。
だから自分,峯岸は,小中学生の時から教師たちと対立してきた。
「こんなバカ教師どもから教えてもらう事など一切ない」と,授業は聞かずに自習していた。
数学が好きだったので数学だけは聞いていた。

自分,峯岸は,2019年の5月にイスラエルとパレスチナを視察した。
ヨルダン川西岸地区とガザ地区にも入って現地の人々と話しをした。
この時の様子を微信(We Chat)とLINEでリアルタイムに発信した。
相も変わらずな日本の売国メディアどもの偏向報道っぷりを実感した。
ガザ地区でスクーターに乗って移動していた時,十数m先にイスラエル側からのミサイルが着弾し,その煽りで破片を全身に浴びて負傷した。
さすがに,この時は危険と判断して撤退した。
事前にイスラエル側にガザ地区に入る事は伝えていたため安全の担保は取っていた筈だが,このように生の現場は不測の事態となる。

6年前の2017年12月6日,当時のアメリカの大統領だったドナルド・トランプが「アメリカはイスラエルの首都をエルサレムと認める」という声明を出した。
コレで中東アラブ・イスラム諸国が大騒ぎになった。
ガザ地区とイスラエルの境界線で流血の抗議デモが起きてパレスチナ人に死者が出た。
コレが一体どういう事かを未だに知識人層でも日本人は理解できていない。
日本人は”今のイスラエルの地=パレスチナ“である事をハッキリと知るため,世界史(人類史)の勉強をしなくてはいけない。
だから自分,峯岸が解説する。
イスラエルとイスラム教諸国の両方の立ち場,主張を大きく解説する。

イスラエル(人口950万人。国土面積は千葉県ぐらい)は,テルアビブから東へ100km行った西エルサレムに,イスラエルが首都と主張するエルサレムがある。
アメリカはトランプ時代にテルアビブにあるアメリカ大使館をエルサレムの西側の高層ビルも建っている地区へ移すと決定し,2018年5月14日,エルサレムに移転した大使館の開設式を華々しく行った。
アメリカが自国の大使館をイスラエル国内の何処に置こうが,建物はカネさえ払えば買ったり借りたり出来る。
移転前はエルサレムの旧市街ではなく,その外側のビルが多く建っている綺麗な地にビザを発給するアメリカ領事官があり,その傍に大使館も持ってくるとトランプが言っただけの事である。
コレはココに至る長い歴史がある。
今から3200年前(紀元前1200年)に遡る。
アメリカ(トランプ)が「エルサレムをイスラエルの首都と認める」と宣言し,また中東が戦争になるのではないかと日本人は訳も分からず不安に駆られた。
ソレは知識が大きく不足しているからだ。
日本人は嘘だらけの自国のバカTV,バカ新聞,バカ雑誌しか観たり読んだりしないからだ。
日本では「パレスチナ人を始めとするイスラム教徒たちが世界中で騒ぎ出している」と言われた。
アメリカがイスラエルのアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移したからといって大した事にはならない。
日本人は大きな理解で歴史(世界史=人類史)を勉強しなければいけない。
これまでに何度も話してきたが,日本人は東大法学部を出た官僚もエリートと呼ばれる大企業の従業員も世界史=人類史の勉強が全く出来ていない。
絶句するほど知識が無い。
専門家を名乗る大学の教授(学者)たちも全く理解できていない。
だから日本人は一流と呼ばれる大学を出て一流と呼ばれる大企業へ入社したエリートと呼ばれる層も正しい世界史=人類史の知識が無い。
アラビア人,イスラム教徒たちが騒ぎ出して大変な事になると勝手に思い込むのは,知能=知恵=知識が足りないからだ。
自分,峯岸が,これから解説する事をシッカリ頭に入れて理解してほしい。
わざわざ自分,峯岸の,このnoteを読みに来るという事は,貴方は能力があるという事だ。
日本人の3%(300万人)しか相当しない賢い層に入る。
X(旧Twitter)で他人の投稿を引用ばかりして,短文しか読んで理解できない層とは違う。
日本のメディア(テレビ,新聞,雑誌,ラジオ)のバカ記者や永田町のバカ国会議員は勿論,知識人階級の大学教授たちでさえ,以下に自分,峯岸が解説する事を理解できていない。
ソレはイスラエルの建国以来の事が,よく分からず,報道されないからだ。
この建国には1948年と,もう一つ,今から3200年前の紀元前1200年ごろの2つの建国があるからだ。
まず,この事を言っておきます。
「ソレは何の事ですか?」と疑問に思っていいので,これから自分,峯岸が書き示す事をシッカリ頭に入れて下さい。
知ったかぶりが最もダメです。
分からない事は素直に分からないと申告する事です。
そうすれば自分,峯岸が,貴方が理解できるまで教えます。

まずエルサレムぐらいは誰でも知っている。
ココにイエス・キリストも入ってきて,紀元後30年に処刑された。
36歳だった。
世界史の年号はキリストが産まれた年が「紀元1年=元年」と決まっているが,西洋暦(太陽暦,グレゴリオ暦の修正)で計算し直すと,紀元前6年だったようだ。
だからイエスは36歳でエルサレムで処刑された。
聖地エルサレムの東側を「神殿の丘」と言う。
アラビア語ではal-Haram al-Sharif(アルハラム アルシャリフ)と言う。
このal-Haram al-Sharifは長方形で,周りは30mぐらい城壁で囲まれている。
ココが神殿であり古代からの王宮でもある。
この北側に金ピカの岩のドーム,そして南側にアル=アクサー・モスクがある。
ココは神聖なる聖地であり,今はイスラム教の寺院(モスク)が2つある。
この岩のドームから預言者(イスラム教の創業者)ムハンマドが昇天したとなっている。
この神殿の丘に連なる南側にシオンの丘(ザイオンの丘)が続いている。
このシオンの丘への,欧州諸国からの虐められたユダヤ人たちの帰還運動(3200年ぶり)を,Zionism(シオニズム)と言う。
フランスで起きたドレフユス事件(1894年)の後の1896年,テオドール・ヘルツルという男がオーストリアのウィーンとスイスのバーゼルで「来年(1897年)私たちはエルサレム(シオンの丘)に帰って建国しよう」という運動を始めた。
コレで今のイスラエルとパレスチナの骨肉の紛争が起きた。
この程度の事は左翼知識人なら誰でも知っている。
このシオニズムの話しは一端,置いておく。

このユダヤ教の最も神聖な神殿が「至聖所」(しせいじょ。Oracle=オラクル)と言う。
ココが今は岩のドームになっている。
アラビア語でQubba al-sakhra(クバ・アルサクラ)と言う。
その南に前述したアル=アクサー・モスクがある。
この岩のドームは690年に預言者ムハンマドの娘婿アリーによって創られた。
そして20年後の710年に南のアル=アクサー・モスクも創られた。
だから今は神殿の丘にイスラム教の寺院が2つある。
壁には青いタイルが張られ,丸屋根(ドーム)はキラキラ輝いているのが岩のドームだ。
ココは元々ユダヤ教の最も聖なる場所である。
日本語で前述した至聖所と訳す。
英語でOracle(オラクル)と言う。
オラクルとは巫女や預言をする神官を言う。
神の言葉を人々に繋ぐ人で預言者と言ってもいい。
コレは古代ギリシャのDelphoi(デルフォイ)と言う都市にあり,このデルフォイの巫女たちがオラクルである。
そして神託,ご託宣もオラクルだ。
元々ユダヤ教の聖なる場所だった,この至聖所(オラクル)が出来たのは紀元前1200年ぐらいだ。
紀元前1250年にモーセがユダヤ人たちを引き連れてエジプトから脱出した。
貴方が本物の知識人でありたければ,この紀元前1250年を覚えて下さい。
そしてモーセたちは40年間シナイ半島を彷徨った。
この紀元前1250年からの話しを『Exodus(エクソダス)』(出エジプト記)と言う。
Exodusは旧約聖書の中にある出エジプト記の英語表記である。
因みにジャマイカのアーティストのボブ・マーリーが1977年にリリースしたアルバム『Exodus』は,まさに,この事を指している。
モーセが当時,奴隷状態にあったイスラエルの民を率いてエジプトを脱出した事を,ボブ・マーリーは自身の運命に重ね(政治抗争に巻き込まれて命を狙われ,イギリスへ亡命しなければならなかった)この曲を歌った。
この『Exodus』がユダヤ教の唯一,最高の聖典である。
この他にモーセ5書Torah(トーラ)と呼ばれる『創世記』『ダニエル記』『ヨシュア記』『申命記』『エゼキエル書』などとは較べものにならないぐらい『出エジプト記』は重要である。
なぜなら,まず有名な『創世記』(天地創造から書いている)は,紀元前3000年ぐらいのメソポタミア文明(チグリス・ユーフラテス河の地帯)の帝国や王国の話しから剽窃,借用し,勝手に創作したモノだからだ。
ココで自分,峯岸は,ハッキリ記しておく。
ユダヤ民族の始祖という事になっているAbraham(アブラハム)は,本当はバビロニア帝国の大王だったハンムラピ(ハンムラビ)王である。
「目には目を,歯には歯を」の古代法典を創ったと日本の教育機関(学校)でも教える,このハンムラビ大王(在BC1792年~BC1750年)は,BC(紀元前)1750年にメソポタミア=オリエント世界(今の中東アラブ全体)を統一(征服)した。
だから,この後ちょうど500年後にモーセたちがエジプトから脱出したのだ。
こういう大きな歴史の真実を,日本人は数字と一緒に覚えるべきだ。
そうすると時系列で頭の中で整理でき,教育機関やメディアが教えて発信する嘘の歴史との乖離,矛盾に素早く気づける。
だからモーセたちがエジプトから出てきた人々だという事は,この後ユダヤ人を名乗り始めるのだが,モーセたちは,真実はエジプト人である。
この事は今も言ってはいけない事になっている。
だが世界の本物の知識人階級の人々は気づいている。

ヒッタイト(ヒッティー)帝国(紀元前1600年頃にトルコで生まれて最強になる)と,エジプトの王朝が地中海沿岸(すなわちフェニキアやパレスチナ。今のシリア辺り)を奪い合う戦争を,ずっと続けた。
決着がつかないため停戦,休戦,そして平和条約を結んだ。
その証拠は重要な歴史資料として双方の帝国に残っている。
だから真実だと証明された。
紀元前1300年ごろ,ヒッタイトのムワタリ王とエジプトのラムセス2世がカデシュの戦いを繰り広げた。
なかなか決着がつかなかったため,4年後にヒッタイトの後継者のハットシャリ王とラムセス2世が交渉し,平和条約(講和条約=戦争終結条約)を結んだ。
この文書が今も双方に残っている。
それから34年後が紀元前1250年で,モーセたちが出エジプトでカナーンの地(今のイスラエル=本来のパレスチナ)に向かって出発,移動した。
そして50年後の紀元前1200年ぐらいから入植,植民した。
都市を築き,礼拝所(至聖所。後に神殿の丘になる)を創り,先住民であるカナーン人やアモリ人やアッカド人と戦い,領土を築いていった。
それでも,ずっと,しぶとくパレスチナ人は,この地に残り続けた。
だからモーセたちは,実はエジプトから自発的に出ていったのではなく「オマエたちはアッチへ行け。北にカナーンと言う豊かな土地があるから移民,植民しに行け」と,エジプト王ラムセス2世に言われ,それで支度金を王家(政府)から貰い屯田兵(開拓農民)のように移動していった。
だからモーセたちはエジプト人なのだ。
欧米以外の世界中の歴史学者が今そのように考えている。
だが,この事を言ってしまう(論文に書いてしまう)と『Exodus』(出エジプト記)という欧米世界では2000年の権威を持つユダヤ教の聖典の大きな虚妄を指摘する事になる。
人類の巨大な欺瞞が露見してしまう。
Judeo-Chritianity(ユダヤ・キリスト教)と一語で言ってしまう重要な言葉があり,キリスト教徒は旧約聖書も聖典にしているため,旧約聖書の筆頭である『出エジプト記』にケチつける事は出来ないのだ。

ただしモーセたちは当時から既に強烈な宗教思想を創り始めた。
彼らが,この後「私たちはユダヤ人だ」と言いだし,ユダヤ思想(ユダヤ教)を創作して自らをユダヤ人と名乗り,そして今のイスラエルを創った。
だが更に真実は,現在のユダヤ教が成立したのは紀元後200年代のミシュナーが成立し始めた頃である。
だからエジプト人の貧しい農民たちが,ヒッタイト帝国が完全には支配しきれなかった辺境の地で,どちらの領土だとも確定していなかったカナーンの土地(今のイスラエル=本来のパレスチナ)に次から次へと勝手にドンドン入植してきた。
モーセは途中で死んだが(紀元前1210年とされる),その10年後の紀元前1200年ごろ,モーセの後継者のヨシュア,それから女預言者で弟子のデボラと指揮官のバラクの2人がいた。
彼らがユダヤ人たちを引き連れカナーンの地,約束の地である今のパレスチナに到着した。
そして今のエルサレムを本拠地として,丘に自身らの宗教の為の礼拝所を創った。
ソレが前述した至聖所(オラクル)だ。
モーセの跡継ぎのヨシュアは頭の良い強力な指導者だった。
入植した先で敵たちを打ち破っていく。
このユダヤ人たち(エジプトから北上してユダヤ人になった人たち)は,今のエルサレムから北東へ50kmぐらい行ったエリコという都市から侵入,侵攻した。
そして旧約聖書の中の「列王記」を読むと,カナーン人やパレスチナ人たちと激しい戦いを200年ぐらい続けている。
恐ろしいぐらいの残酷な戦いで,名君の始まりで紀元前1000年のサウル王(その次が大英雄であるダビデ王)は,戦いに負けて息子たちも殺され,皮を剥がれて敵の城壁に死体を吊されていた。
こういう話しが列王記の中に,これでもか,これでもかと,ずっと続く。
ソレが旧約聖書だ。
だけどコレは当時のユダヤ人たちが残酷だったという事ではなく,この時代はメソポタミア文明も他の文明も,そういう激しい殺し合いを,ずっとヤッたのだ。
コレが人類の歴史である。

モーセの時代から200年後,紀元前1000年のダビデ王の子で,後継ぎのソロモン王(紀元前967年に王位)が至聖所を大修理して立派にしたため,コレを今も「King Solomon’s Temple」(ソロモン王の神殿)と呼ぶ。
この時からが第1神殿時代だ。
今も,この呼び名で,ココが現在はイスラム教ではアルハラム・アルシャリフ(神殿の丘)だ。
そしてココにイスラム教の寺院(モスク)が2つある。
キラキラ輝く丸屋根の岩のドームは,元々はユダヤ教の至聖所だ。
モーセたちは自らユダヤ人(Jews=ジュー)を創作し,そして唯一の神のYahweh(ヤハウエ)だけを信じるとした。
だが,このヤハウエ,あるいはjehovah(エホバ)は,本当はエジプトで紀元前1300年ごろに起きた,アマルナ革命を憎んで酷く嫌った神官の集団であるアメン神である。
アメン神官の集団(生身の人間たち。モーセたちと一緒に移動した)が,アメン神そのものだ。
このアメン神であるアメン神官(カルナック神官)たちが,実はヤハウエ(エホバ)なのだ。
旧約聖書をジックリ読むと,その証拠が多く見つかる。
このエジプトのアメン神(神官集団)と激しく思想闘争(宗教闘争)で闘ったのが,Aten(アテン)神を樹立した改革派のアクナートン(アック・アル・アテン)王のアマルナ革命(紀元前1300年ぐらい)だ。
この時に「一神教」「唯一教」という思想が人類に産まれた。
アメン神から出てきて,そして今もキリスト教でも使う,このAmen(アーメン)と言う言葉は凄く重要である。
ところが,このアーメンについて欧米の神学者も歴史学者たちも,世界中で「祈りの言葉だ」とか,ムニャムニャ言うだけで少しも明らかにしない。
「いいかげん本当の事を正直に言え!」と,自分,峯岸は宣戦布告する。
このアメン神,あるいはヤハウエへの捧げ物(犠牲。供えもの。サクリファイス。コレがホロコースト)として,至聖所の中の脇で殺した羊や牛の血を抜いて献上した。
しかし自分,峯岸は,本当の本当の裏の真実を抉り出して暴く世界基準の国家戦略家であるから,本当の事を言う。
真実は“「私たち神への信仰を証明する為に自身の子供を殺して献げよ」”である。
コレぐらい恐ろしい事なのだ。
しかもコレは,なんと現代の今も行われている。
日本でも人柱(ひとばしら)とか「娘を殺して竜神さまの,お供えに出した」という言葉で残っている。
「犠牲」とは元々そういう言葉である。

エルサレムの神殿の丘の周りに紀元前1200年から,旧市街の隣街にユダヤ人たちが住んだ。
紀元前1000年ぐらいがダビデ王の時代だ。
この年号を覚えて下さい。
正確にはダビデが前サウル王の死で跡を継いだのは紀元前997年だ。
この時がイスラエルが最も栄えた時代で,サウロとダビデとソロモンの3人の王の統治が,それぞれ30年ぐらいずつ続いた。
この時ユダヤ民族は大繁栄した。
そして3人目のソロモン王(キング・ソロモン)の息子がアブサロムで,コイツは能力が無かったために父親の偉業を継げず衰退が始まった。
欧米白人は自身のバカ息子を「嗚呼アブサロム,アブサロム」と嘆く。
今は紀元後2000年ちょっとなので,ユダヤの3人の名君(優れた王)の時代から3000年経っている。
だがイスラエルが帝国だった事は一度もない。
イスラエルは,いつの時代も周囲の強国(覇権国=帝国)に脅され,脅かされた。
あるいは帝国に屈服し,属州,朝貢国になっていた。
3000年間ずっと,そうなのだ。
この事に日本の知識人層も自覚が無い。
コレは今の日本がアメリカ帝国のTributary State(属国)を未だにヤラされている事と同じである。
ヒッタイト帝国が滅んだ紀元前1190年の後,アッシリアや新バビロニアやアケメネス朝ペルシア帝国などが興ってきたが,コレらの帝国の動きを大きな理解で,World Values(世界普遍価値=世界基準)で認識できている日本人は知識人階級でも殆ど存在しない。
勉強不足というよりも知恵(知能)が足りないのだ。

2017年のエルサレムの首都認定問題で最も強硬だったのは,ニューヨークに住んでいる富裕階級層のユダヤ人たちだった。
イスラエルの人口950万人のうちユダヤ人は600万人ぐらいで,残りはアラブ人(ほぼパレスチナ人)である。
ユダヤ人と結婚したり合いの子になっていたりして複雑だ。
ユダヤ人もアラブ人も人種的には同じセム族(Semite=セマイト)と言う。
だから反ユダヤ主義の人種差別をanti -Semitism(アンチ・セミティズム)と言う。
アメリカには公表で800万人ぐらいのユダヤ人が居る。
しかし真実は2000万人いる。
コレを”Closet Jews(クローゼット・ジュー。隠れユダヤ人)“と言う。
表面上はアメリカ白人でキリスト教徒のフリをしているが,ユダヤ人の血が混じっている。
例えばヒラリー・クリントンは,ロッダム家はオランダから来た商人の家系だ。
だからユダヤ系である。
だからヒラリーはニューヨーク州選出の上院議員にもなれた。
そしてロックフェラー家に嫁いだ。
ニューヨークは別名“Jew York(ジューヨーク)”と言われるユダヤ人の牙城で,富裕階級層(資産家と経営者)が多数いる。
彼らが,トランプが大統領選中にユダヤ人の団体に公言して約束した,エルサレムを首都と認めよという件で突き上げた。
そして,この決定は,実はアメリカ民主党の決議でもある。
1995年に「イスラエル首都法」という法律が出来て,ビル・クリントンもバラク・オバマも「エルサレムを首都と認める」の立ち場だった。
だから2017年のイスラエルの首都移転問題の時,汚れきったアメリカのリベラル派勢力である民主党は,それまで散々とトランプ叩きをしていたくせに,この時トランプを一切,全く批判しなかったという矛盾した面白い現象が起きたのだ。
エルサレムに今は2つのイスラム教徒のモスクがあるが,ソレらをブチ壊して元々のユダヤ教の神殿,すなわちKing Solomon's Templeに戻したい。
Templeを日本語で「寺」と,Shrine(シュライン)を「神社」と訳しているが,ソレは日本人が勝手に言っただけである。
だからユダヤ人たちは今の岩のドームをブチ壊し,King Solomon's Templeを復活させたい。
元々の3200年前に戻したい。
しかしソレをヤッたら,どうなるか。
間違いなく中東で大きな戦争が勃発する。
世界中に18億人のイスラム教徒が居て,東南アジアのマレーシアやインドネシアもイスラム教国家だから黙っていない。
怒ったイスラム教徒が自爆攻撃の突撃隊となり,コレが数千人か数万人では済まなくなる。
だから絶対に出来ない。
しかし首都と認定するぐらいは出来る。
ココがレッドラインだ。

以下に画像を貼付するが,エルサレムの旧市街を地図で示すと4つに分かれている。

南にアルメニア正教の人たちアルメニア人が数百人住んでいる。
アルメニア正教はキリスト教の古い宗教だ。
アルメニアはトルコの東側にある苦難を背負った商業民族で,ユダヤ人と似ていると言われる。
エルサレムの旧市街の西側はキリスト教徒,北側にイスラム教徒であるパレスチナ人の地区がある。
パレスチナ人は貧しいため物売りを懸命にしながらエルサレムに住んでいる。
観光客相手の土産物屋は全てパレスチナ人だ。
ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)沿いは,ずっとパレスチナ人の物売りたちだ。
そして当然のように現在の支配者であるイスラエル人が威張って住んでいる。
このように旧市街は4つに分かれている。
旧市街のキリスト教徒地区に,キリストが捕まり連れていかれ,この後すぐに磔刑(はりつけの刑)にされた場所である聖墳墓教会がある。
ココがゴルゴダの丘だ。

キリストが処刑されたのは前述した通り紀元後30年だ(享年36)。
聖書にはゴルゴダの丘とかゲッセマネの園(ココで捕まったとも聖書に書いてある)とかが出てくる。
このゴルゴダの丘,すなわち今の聖墳墓教会とは,イエス・キリストを応援していたカネ持ちの屋敷の庭である。
エルサレムの南10kmぐらいのベツレヘムの馬小屋でイエスが産まれた事になっているが,コレも真っ赤な嘘だ。
今や世界中でバレている。
イエスはNazareth(ナザレ)のイエスであり,北のナザレで産まれて育った。
そして30歳から自身の信念に基づき「私は人類を大事にしたい,救いたい」という,それまでの人類史に存在しない全く新しい救済の為の宗教を始めた。
だからキリスト教が彼の死後,爆発的に世界中へ広がった。
インドの釈迦(お釈迦さま=ゴータマ・ブッダ)もイスラム教のムハンマドも,この救済の思想を説いたので世界中へ広がったのだ。
「人間を大事に扱え。女たちを虐めるな。人間を動物みたいに扱うな」と主張したため,世界宗教になった。
しかしユダヤ教は,そういう宗教ではない。
だから広がらなかった。
イエスは36歳で死去したため布教活動は,たった6年だ。
ナザレから東のガリラヤ湖の周辺をウロウロし,それからヨルダン川を南に下って洗礼者ヨハネの洗礼を受けた。
それからエルサレムに入った。
既にイエスの布教活動はローマ帝国からの現地派遣の軍事総督にとって危険な煽動者と見なされていた。
ナザレはイスラエルの北,ガリラヤ湖の西だ。
そしてイエスの真実の妻であり弟子でもあったマグダラのマリア(Magdalene Maria)の産まれ育ったマグダラの町がガラリア湖の畔りにある。
イエスが布教を始めて1年後の31歳(紀元後25年)にマリアと出会い結婚した。
そして一緒に布教の流浪を続けた。
周りに信者として弟子(使徒)たちが出来た。
イエスは普通の男であり妻と子供もいた。
父ヨセフは言われているような,ただの貧しい大工ではない。
それなりの家の出の人だ。
そうでなければイエスが,それなりの教養を身につける事は出来ないし,周りから尊敬されない。
イエスは,ただの人間であり普通の男である。
この事が露見したらローマ・カトリック教会が非常に困るのだ。
ローマ教会こそは人類の諸悪の根源である。
“日本を乗っ奪って経営している国際勝共連合=統一教会=日本会議という反共組織を創ったのもローマ・カトリック教会である”
”国際勝共連合=統一教会は中国とソ連に対する反共の防波堤として極東に打ち込まれた楔である“
自分,峯岸は,この事を,ずっと話し続けるため,日本の支配階級層から嫌われてきた。
でも自分は黙らない。
イエスは普通の人間だったという,この思想を説くのが,欧米で最も優秀な知識人階級であるキリスト教プロテスタントの一派のユニテリアン=フリーメイソンの思想である。
イエスは最後の晩餐をしたエルサレムの市街の外の,イエスの支持者の家で12人の弟子たちと一緒に土間で寝ていた。
ソコを突然ローマ兵に襲撃されてイエスだけが捕まった。
他の弟子たちは逃げた。
そして捕まった次の日の朝,そこから1kmぐらい離れた今の聖墳墓教会にローマ兵たちが十字架を組みイエスを殺した。
ピラトの命令だけで裁判もなければ何もなかった。

神殿の丘(ソロモン神殿)をユダヤ人が取り戻す運動を最も激しく強硬に主張しているのがユダヤ系アメリカ人の富豪たちである。
その代表がLas Vegas Sands(ラスベガス・サンズ)という大手のカジノ業者で,サンズ・グループというギャンブル興行主の大親分のシェルドン・アデルソン(2021年1月死去)だった。
こういう,むくつけき顔をした恐ろしい男でないと博奕業の大物にはなれない。
アデルソンはトランプのパトロンで,経営者の先輩でもあるため,アデルソンの言う事は素直に従っていた。
このアデルソンがトランプに「約束を守れ。少なくともアメリカ大使館はエルサレムに移せ。エルサレムがイスラエルの首都だと認めろ」と,ガミガミせっついた。
トランプは大富豪の大きな勢力に対しては頭を下げる。
「分かった分かった」と嫌々ながらエルサレムをイスラエルの首都と認め,アメリカ大使館をエルサレムに移すと宣言した。
何が問題かと言うと,前述したとおり本当に神殿の丘をブチ壊すのかだ。
今から3200年前,ユダヤ教の至聖所(オラクル)のFoundation Stone(基礎石)と言う平たい岩の上で,捧げ物(ホロコースト)の山羊や牛を殺して儀式をヤッていた。
ソコが大昔はユダヤ教の本当の聖なる場所だった。
今は岩のドームとしてキラキラ光っている。
この状況が世界中のユダヤ人は不愉快で仕方ない。
前述したとおりアメリカには800万人のユダヤ人以外にクローゼット・ジュー(隠れユダヤ人)が2000万人も居る。
欧州から迫害を逃れて来た者たちが多い。
表向きはユダヤ人となっていない者たちも多数いる。
だから3000万人いるかもしれない。
だから最大のユダヤ人の勢力はアメリカにある。

今ユダヤ人はドイツに20万人,フランスに50万人~60万人,イギリスにも100万人ぐらいしか居ない。
欧州のユダヤ人の殆どはアメリカに移っている。
このユダヤ人たちの一大政治勢力が強いので6年前の事態になった。
面白い事にトランプが最初に事前に電話したのは,PLO(パレスチナ解放機構)の議長でありパレスチナの大統領であるアッバースだ。
アッバースはエルサレムから10kmぐらい北のラマラ(ラマッラー)に居る。
ココはヨルダン川西岸というパレスチナの行政区である。
東エルサレムの外側になる。
だが実態はイスラエルが実効支配(占領)しており,壁に包囲されたラマラの町のパレスチナ人だけが住んでいる地区ではないが,コンクリートの壁でユダヤ人たちの居住地(清潔な地区)と分けられている。
トランプはアッバースに「アッバースよ,俺は今からエルサレムをイスラエルの首都と認める声明を出すが,何とか我慢してほしい。その分そのうち御返しをするから分かってくれ」と話した。
この真実を世界中の国家指導者たちは知っている。
だが日本の官僚と知識人層たちは知らない。
自分,峯岸の発信を陰でコソコソ聴いて読んでいる者は理解している。
知らない者は世界基準では知識が無い者という事になる。
麻生太郎や岸田文雄のような次元の違うバカには知らされない事だ (笑)
外務省のトップ(事務次官)から局長クラスでも,欧米の白人世界とは対等に交流できないため脳で繋がっていない。
この事は「外務省のラスプーチン」と呼ばれた,ex外務官僚の佐藤 優氏が言っていた。
コレが属国・日本の現実(真実)だ。
世界基準で,英語で話して読んで考える人たちには,アジア人でも事態は把握していて「トランプにも立ち場があるんだなぁ」と理解している。
しかし日本人だけは知識人階級でも,この事は理解していない。
この時パレスチナで投石などで抗議行動をして何人か亡くなったと報道されているが,抗議行動が出ているだけで激しい運動にはなっていない。
その次にトランプはイスラエルの首相であるネタニヤフに電話をして「貴方の望みどおりエルサレムを首都として認めるよ」と伝えた。

ではココから更に難しい事を説明する。
なるべく分かりやすいように書いているが,それでも「私は読解力が無いから難しい言葉が出てくると分からなくなる」と言う人たちが多数いるので,自分,峯岸も苦しんでいる。
人に伝えるという事は本当に難しい。
ただ知能が低い人や能力が無い人は,申し訳ないが置いて行く。
こういう事を,どうしても言わざるを得ない。
自分,峯岸は,たとえ自分の読者や客でも一切おもねらないと決めているので,このスタンスは変えない。
国家戦略家として生きていくと決めた時に掲げた己の強固な理念である。
だから「なんとか理解してくれ~」と訴えるしかない。
「やっとイランとイラクの区別がつくようになったよ」とか「パレスチナとパキスタンは違うんだね」と言うバカたちが今も多数いる。
この日本国民の恐るべき低脳状態は,78年前からアメリカが計画的に仕組んで酷い被洗脳国民にしたからだ。
その片棒を担いでいるのがNHKと民放キー局5社,新聞5社,新潮と文春の雑誌2社,共同と時事の通信2社,この計15社だ。
この15社をアメリカ様の命令で統括して上から動かしているのが電通である。
電通が長年,メディアを使って日本国民を洗脳する司令塔として君臨している。
文部科学省の愚劣な官僚どもの責任など言っても,どうにもならない。

何がイスラエルとパレスチナで問題になっているか。
ソレはone state policy(ワン・ステート・ポリシー)とtwo state policy(ツー・ステート・ポリシー)が対立しているのだ。
イスラエルがパレスチナを否定して併合し,パレスチナ人はソコに住んだまま自治を認められない。
イスラエルの軍隊と警察が「言う事を聞け」と制圧し,パレスチナを否定してイスラエルに服従せよとなる。
この他にガザ地区=Gaza Stripと言う,地中海に面した地にパレスチナ人の飛び地があり,ココに220万人いる。
その南側はエジプトのシナイ半島で繋がっている。
ココに秘密のトンネルが多数あり,エジプト側から色々と物資が補給されている。
ガザにはハマスという団体が居て,パレスチナ人の国民議会(PLO)の言う事を聞かなかったが,ようやく最近は軟化して団結するようになった。
このハマスという自治組織は日本のメディアによって暴力団のような団体だと言われているが,ガザ地区の民衆の為の福祉事業などは彼らが懸命にヤッて支持がある。
このハマスとラマッラー(ヨルダン川西岸)に居るアッバース議長がパレスチナ国家である。
パレスチナはUnited Nations(連合諸国)から国家として認められている。
日本を含めて大使館がラマッラーにある。
前述したワン・ステートに対してツー・ステートという,イスラエルとパレスチナが今のままの状態で2国家として共存するという政策がある。
現実このツー・ステート・ポリシーしか実際にはない。
1948年にイスラエルが突如できて以来,United Nationsで80回ぐらいツー・ステート・ポリシー(2国家共存政策)でヤリなさいと毎回,決議が出ている。
コレに反対しているイスラエルは世界中から非難されている。
日本国内に,こういう事を説明する者が居ないから日本人は理解できないのだ。
日本で最も本が売れてメディアに多数出ている池上彰が,コレらの事はじめ真実を説明すればいいのにしない。
なぜなら彼は内閣官房機密費で雇われている,政府直属の御用ジャーナリストだからだ。
だから本が売れてメディアに引っ張りだこなのだ。
だから政府に買収されていない自分,峯岸が解説しているのだ。
第2次世界大戦終結後の3年後に,United Nationsからパレスチナの信託統治を任されていたイスラエルをイギリスに刃向かうフリと反逆のフリをして,イルグーン団(ユダヤ民族自衛軍事組織)という危険なテロ活動もする軍事組織を指導した,ダヴィド・ベン=グリオンという男が今のイスラエルの創業者(建国の父)である。
ネタニヤフを筆頭に今のイスラエルの指導者たちも強硬な右翼は皆このダヴィド・ベン=グリオンの忠実な弟子たちだ。
イスラエルでは思想運動の為に人を殺した前歴があるぐらいでないと政治指導者にはなれない。
あの隻眼(片眼)のダヤン将軍も初の女性首相になったゴルダ・メイアも皆ダヴィド・ベン=グリオンが手塩に掛けて育てた者たちだ。
日本では,このイスラエルの建国の父であるダヴィド・ベン=グリオンの名前さえ知る者は殆ど居ない。
また知っている者でも誰も話そう(書こう)としない。
コレが日本という国だ。

イスラエルは300発の核弾頭を持っている。
だから北朝鮮は「私たちも持つ。何が悪い」と主張しているのだ。
イスラエルの核保有の秘密はBBC(イギリス国営放送局)が15年ぐらい前からコッソリと申し訳なさそうにチラっと放送するようになった。
アメリカでは報道しない。
アメリカが報道しないのだから日本が報道する訳がない。
イスラエル本国ではなくニューヨークのアデルソンのような強硬派のユダヤ人たちが「私たちはユダヤ教徒の聖なる場所の神殿の丘(オラクル)であるKing Solomon's Templeを再建築するのだ。3200年前に戻すのだ」と気炎を揚げている。
だが,もしパレスチナを国家として否定し,イスラエル国にしてしまうと,ヨルダン川西岸地区まで併合してイスラエルの領土としてしまうと,今度はソコに住んでいるパレスチナ人たちに選挙権を与えなければいけなくなる。
選挙権を与えないと独裁国家となってデモクラシー(民主政治)ではなくなる。
ところが,もしパレスチナ人たちに選挙権を1人1票で与えると,なんと今度はパレスチナ人の方が800万人~900万人ぐらいになってしまう。
前述したとおりイスラエルの人口950万人のうちユダヤ人は600万人だから選挙で負けてしまう。
負けたらイスラエルの国会が引っくり返ってしまい,パレスチナ人が首相になってしまう。
だからワン・ステート・ポリシーには出来ない。
この事を,よく分かっているのがイスラエルの首相のネタニヤフたちである。
出来もしない事を,なぜ実行しようとするのか。
ニューヨークの大富豪ユダヤ人たちが強硬に押しているから,トランプが間に立って出来もしない事を形だけヤルと言っただけである。
だからポーズだと世界は分かっている。
それでも長い歴史の背景を持つ政治問題としては,大きな流れの中での事だから,アラブ人,イスラム教徒たちにとっては不愉快な事だ。
彼らは,そのうちイスラエル軍が神殿の丘の自身らの聖なる岩のドームとアル・アクサー・モスクを叩き壊しに来るのではないかと思っている。
だから抗議行動をしている。

実は強硬なユダヤ人たちによる密かなる第3神殿建設運動というのがある。
この事は殆ど表面に出ない。
イスラエルの歴史教科書では,第1神殿時代はダビデ王が建てた紀元前1006年からバビロン捕囚の時に起きた神殿崩壊の紀元前586年までだとされる。
そして第2神殿時代は,このバビロン捕囚の紀元前586年の後,神殿は再建築されてから700年後の,ユダヤ戦争でローマ軍と戦い神殿が完全に破壊された紀元後131年までだ。
だから今ユダヤ人たちは密かに第3神殿建設運動を始めている。

1968年の第3次中東戦争で,イスラエル軍が激戦の末に今のエルサレムの周りを含めたヨルダンの領土まで侵略して奪い取った。
そして今も占領している。
イエスの物語にも出てくるヨルダン川の西岸地区というのは,エルサレムから見たら東側だ。
エルサレムは神殿の丘(シオンの丘)を挟んで旧市街(西エルサレム)と東エルサレムに分かれている。
ココにはパレスチナ人が多く住むが,ユダヤ人の新たな入植地にもなっている。
ココも全てイスラエル軍が制圧している。
最近の違法入植者の大半はロシアから移住してきたユダヤ人たちだ。
彼らが凄い勢いで100万人ぐらいまでに増えている。
だから貧しくて熱狂的なユダヤ教徒たちが,このヨルダン川西岸地区および東エルサレム辺りに多数入り込み近代的で立派な家を建てている。
その周りにパレスチナ人に襲撃されないよう,至る所にコンクリートで出来た6mぐらいの壁を作っている。
そうやって2つの民族が隣り合わせで憎しみ合って住んでいる。
パレスチナ人にしてみれば堪ったものではない。
「元々は私たちの土地なのにオマエらが勝手に建国して,私たちの土地を取り上げて勝手に家を造って住み込んで迷惑だ」と怒っている。
この事に世界中のイスラム教徒たち18億人が,パレスチナ人と同じ宗教だから彼らに同情して応援している。
ところが,この同情,応援が,実情としては情けない感じになっている。
サウジアラビアもエジプトも,他のアラブ諸国,イスラム諸国も,そんなに熱心にパレスチナ人を助けない。
支援疲れで厄介者扱いになっている。
ココに本当の問題があるのだ。
だから1967年の第3次中東戦争で,イスラエルがエルサレムを占領しても,多数のパレスチナ人が物売りや労働者として貧しい生活をしながら生きている。
複雑なのはイスラエル軍が制圧しているのに神殿の丘の中の岩のドームとアル=アクサー・モスクは,イスラム教の宗教会議の指導者たちが管理している。
イスラエルもココには手が出せない。
実際はイスラエル軍がチェック(検問体制)しているため,アラブ人も自由に出入りが出来るわけではない。
出入りする為の門があり,イスラエル軍が朝から晩まで監視している。
礼拝の日と認められた日にゾロゾロ入って神殿の丘でズラ~っと並び,例のイスラム教の礼拝をしている。
その様子を嫌そうに,訝しそうな目つきでイスラエルの軍隊が見ている。
イスラエルの軍隊は若い女性たちもいて銃を構え,アラブ人たちを睨みつけながら共存している。
だから,この神殿への出入り口で急に怒り出したアラブ人,パレスチナ人が,ナイフを振り回してイスラエル兵を刺し殺そうとして,逆に返り討ちに遭い殺されるという事件が頻繁に起きる。
双方の憎しみが激しいというのは,そういう事だ。
そして,この出入り口の南側の低い土地に長四角の大きな平たい場所がある。
コレが嘆きの壁だ。
この嘆きの壁をトランプが大統領時代に現職の大統領として初めて訪問した。
Wailing Wallと言う嘆きの壁では,ユダヤ教徒たちが「私たちは3200年間に亘り苦しい思いをした苦難に満ちた民族だ。上の至聖所を取り戻したい」と言い,壁に頭を擦り付けながら旧約聖書の祈りの言葉を唱えている。
だから,この嘆きの壁が神殿の丘の西側の壁そのものなのだ。
そして見上げると壁の上にある光り輝くイスラム教のモスクがある。
ココをブチ壊したい,取り戻したいと思っている。
日本人は,この明白な事実を知っているようで知らない。
誰も簡潔に説明しない。
「私は難しい宗教問題には関わりたくない」と言い,顔を背けて知らん顔をする。
だから日本人は世界基準から取り残されるのだ。
こういう事が分かると,ユダヤ人たちが神殿の丘(至聖所)を取り戻したいと思う理屈も分かる。
両方の考えを聞き,中立の立ち場で公平に見るといいのだ。
ユダヤ教徒にも正当な主張がある事を理解しなければいけない。
この事が分からないから頭が朦朧として,日本の女たちは「戦争が始まるわ,怖い怖い」と感情論だけで物事を言い出す。
東日本大震災の時に「子供が放射能で鼻血を出したのよ!」と騒いでいたのも,コロナ・パンデミックで「感染したら死んじゃうのよ!マスクと消毒で感染予防しなきゃ!」と騒いでいたのも,ヒステリックなバカ女どもだ。
女は目の前の事象を冷静に判断して分析して論理的に行動できない。
直ぐに感情が先走る。
貴方の奥さんや彼女を見れば分かるだろう。
日本では大きな簡潔な知識を誰も教えないからだ。

ユダヤ民族にとって最も聖なる礼拝所である至聖所(神殿の丘)を聖なる場所に納めたのはArk of the Covenant(契約の箱)である。
コレはモーセがシナイ山で自身らの民族神ヤハウエ(本当はアメン神官団)から与えられた十戒の石版である。
コレがユダヤ人にとって最も大切な,神との約束=契約が入っていた聖なる,お櫃だ。
コレが映画インディ・ジョーンズの『レーダース/失われたアーク/ 《聖櫃》』(1981年)の話しだ。
聖なる証文を入れた箱が次のソロモン王の時代が過ぎ,その後の大混乱で失われたという話しだ。
今は,この箱,聖なる,お櫃は何処へ行ったのか分からない。
だから失われた聖櫃だ。
この契約の箱の中にモーセがYahaweh(ヤハウェ=エホバ)と約束した言葉が書かれた,十戒と他の書物が安置されていた。
その場所がKing Solomon's Temple(神殿の丘の真ん中の至聖所),礼拝所だ。
ではサウロ,ダビデ,ソロモン王たちは,何処で暮らしていたのか。
それは,この至聖所の南側に神殿を創り,そこに居たのだ。
ソレが今のアル・アクサー・モスクである。
その時から2000年が経った紀元後1000年代の十字軍のエルサレム公国の時,この神殿をテンプル騎士団が自身らの兵舎にした。
紀元前721年と紀元前587年に,ユダヤ人の王国は2つとも滅んでしまう。
帝国に吸収され併合された。
ソロモン王の死去後,紀元前931年に分裂していたイスラエル国とユダ国が順番に滅んだ。
北のイスラエルはアッシリア帝国(サルゴン2世王)に滅ぼされた。
占領されて併合されたという事だ。
民衆が皆殺しになった訳ではない。
その134年後,今度は新バビロニア帝国(ネブカドネザル2世王)が南のユダ国(今のエルサレムと,その周辺)を併呑した。
この時,民族の神を祭った神殿は徹底的に壊された。
そしてバビロン捕囚の目に遭う。
バビロン捕囚は紀元前597年にもあり,つまり2回ある。
国が滅びるという事は,その中心の守るべき信念(信仰)が壊されるという事だ。
だから日本の右翼,あるいは民族精神を大事にする者たちは,天皇家を護持して崇拝する伝統を守ろうと必死になる。
それなのに現実の目の前のアメリカ帝国による日本支配には全く何も言わない。
ユーラシア大陸のチャンコロ(中国),ロスケ(ロシア)に喰い掛かる尖兵としてアメリカに育てられたからだ。

バビロン捕囚,すなわちユダヤ人の王家(と言っても本当は宗教指導者のラビたちと,その家族)が,捕虜として帝都バビロンに連れて行かれた。
この時期のエゼキエル書やダニエル書に書かれているが,彼らは新バビロニア帝国や,その後のアケメネス朝ペルシア帝国の高官(官僚)になったりして,巧みに内部へ入り込んでいく。
ココからがユダヤ人たちの本当の優れた頭脳,ズバ抜けた王朝経営の財政家たち金融業者(宮廷ユダヤ人)の伝統が始まる。
モーセ5書,すなわちTorah(トーラ)は,出エジプト記,創世記,レビ記(神=神官たちへの御供え,食事の提供の儀式を詳しく書いている),民数記,申命記の5巻だ。
このバビロン捕囚から僅か50年後に,なんと新バビロニア帝国が呆気なく滅んでしまった。
帝都バビロンが陥落した。
アケメネス朝ペルシア(キュロス2世)という遊牧民が強大になり,攻め上がり打ち負かした。
ペルシアというのはイラン高原の事だ。
ココから50万頭の馬で西にドドっと攻め下り,それで世界の中心地であるバビロン(今のイラクの首都バグダッド)を攻め落とす。
この遊牧民の馬による猛烈な勢いのドドっと攻め下りる感じを理解すると,人類の世界史を最も大きいところで理解できる。
大事なので,もう一度言う。
この世界中の大陸の何処でも起きた,ドドっと攻め下りる事を分かる事だ。
ただし15世紀からは海の時代,大航海時代,西洋白人の時代となり,大陸の時代=馬の時代が終わる。
しかし今この大航海時代が終わり,再び陸の時代へと移ったのだ。
ソレが中国が主導する世界戦略の一帯一路である。

こうしてイスラエル,つまりパレスチナはアケメネス朝ペルシア帝国の皇帝ネブカドネザル2世王が,紀元前538年に「もうオマエたちユダヤ人はバビロンから自国に帰っていいぞ」となった。
エホキアムという王族(ラビたち)と,ゼデキア王族だ。
バビロンは今のイラクのバグダッドの南100kmぐらいにある。
エデンの園もバベルの塔も,この近くの山だ。
日本人は世界地図を開き,こういう事をハッキリ理解しなくてはいけない。
今ではコレらの場所もハッキリして遺跡が発掘されている。
繰り返すがバグダッドが世界の中心であり,世界で最も栄えていた地で,全ての人類の文明の中心である。
人類史は,たったの5000年だ。
この数字を覚えなさい。
人類史は,それ以上には遡らない。
だから紀元前3000年が人類史=世界史の始まりである。
その前は100人〜1000人ぐらいの血縁の原始共同体があっただけだ。
中国もインドもそうだ。
だから世界の中心はバグダッド(メソポタミア文明)である。
ココが3000年間ずっと栄えていた。
それを欧米白人の歴史学者たちがギリシア・ローマ文明(西洋白人文明)を中心とする世界観=世界史に作り替え,歴史を書き換えて世界中に教えてきた。
16世紀からは西洋白人が近代学問と近代資本主義で,もの凄く強く優秀になったからだ。
日本人もイギリスとアメリカに支配=征服され,この150年間そのように学校教育で教えられてきたから,それで日本国民の脳も支配されている。
だから日本人は本当の世界史(人類史)を知らない。
敗戦国で属国統治されているため,意図的に世界基準の学問や思想が外(外国)から入らないよう遮断,隔離されている。
だから日本人は世界一の言語弱者で,世界一の欧米かぶれのくせに英語が話せないのだ。
この矛盾にすら気づかない程に脳を深く侵食されている。

チグリス川とユーフラテス川が接近したところがバグダッド,すなわちバビロンだ。
ココが最も由緒ある文明のメソポタミア文明である。
他の文明は全てメソポタミアの真似で,文物や知識や制度の作り方をバグダッドから輸入した。
エジプト文明も紀元前3000年からだから同じぐらい古いのだが,エジプトもメソポタミア文明の亜流だ。
それでも更に真実は,エジプト古王国のセソトリス王がメソポタミアにまで遠征し攻めてきて,バビロンを征服した征服王朝があった。
シュメール人たちは支配された。
この事実はヘロドトスの歴史の始めに書いてある。
しかし欧米白人の歴史学者たちは今も認めていない。

人類史が始まった紀元前3000年〜紀元前168年ごろ,ローマがフェニキア=ポエニ=カルタゴとギリシアの盟主アテネの同盟を,まとめて制圧して打ち壊した。
そして紀元前27年,ローマが帝国になった。
歴代のローマ皇帝(本当は貧しい貴族で軍隊を指揮した軍人たちが次々に就いた)は,西のゲルマン人と東のパルティア帝国(アッシリア帝国の再来のような国)と戦う為に,ローマ皇帝たちは遠征,進撃し,そしてパルティアとの戦いで何人かの皇帝が捕まり戦死した。
紀元前538年にバビロンからユダヤの王(本当はラビたち)が「もう帰っていいぞ」と言われ,ユダヤ人たちがイスラエル=パレスチナ(カナーンの地=エルサレム)に帰ってきた。
そして神殿を再興した話しが歌劇(オペラ)ナブッコだ。
ナブッコとはネブカドネザル2世という残酷な王様の事で,彼が悔い改めユダヤ教に改宗したという作り話し(嘘)で出来ているオペラだ。
本当はナブッコ王の息子がユダヤ教に少しだけ共感,改宗したという歴史事実がある。
それでも「もう帰っていいぞ」と言われたため,紀元前538年に王族(ラビたち)が帰ってきた。
そして良かった良かったで再び至聖所とソロモン神殿を造った。
でも,もうユダヤ人には国家は無い。
ただハスモン家という一族などが居た。
日本語では「士師の時代」とユダヤ学者が説明するから訳が分からない。
士師というのはrabbi(ラビ)の事だ。
律法学者とも訳し,ユダヤ教の宗教指導者で聖職者たちだ。
ユダヤ人は王様を持てなくなったが,自身らの自治組織があってコレが,ずっと続いた。
ラビではハスモン家が最も有名で,彼らを中心に国のようなモノを持った。
ラビ(宗教指導者)たちによる自治組織だ。
コレが紀元前400年,300年,200年と続いた。
そして紀元前200年ぐらいからローマ帝国が強くなる。
だが,その時期より少し前の紀元前333年からのアレキサンダー大王(ヘレニズムの思想を創った人)と,その後ギリシア人たちの支配がある。
コレが150年続く。
つまりイスラエル(パレスチナ)の次の支配者はギリシアだった。
この目まぐるしい歴史の転変に付いて行けず,自身の目と頭がグルグル回り,日本人は歴史の勉強を放り投げる。

ギリシア(ヘレニズム)の時代から150年経ち,強大になったローマ帝国が攻めて来たというよりも,当然のように進軍して来た。
紀元前63年からローマ帝国の属国になった。
その前の紀元前183年にローマ軍は,あのカルタゴの英雄ハンニバルを追いかけ,彼を匿っていたセレウコス朝シリア(セレウコスはアレキサンダーの幕僚の一人で帝国を引き継いだ)を滅ぼしている。
だからギリシアを滅ぼしたのはローマだ。
紀元前168年にローマ軍がギリシアの盟主のアテネを制圧して陥落させた。
そして,あの世界史的に有名なパルテノン神殿を燃やした。
この事実(真実)を欧米の歴史学者たちが話したがらない。
全く話さない。
覆い隠して何も無かった事にしている。
あの壮麗なパルテノン神殿を見るも無惨に破壊し,そして今も,その時の残骸のままだ。
円柱だけは何とか建てている。
破壊したのはローマ軍だ。
パルテノン神殿は,この紀元前168年のアテネ陥落の時からの残骸である。
西洋白人たちは,この事を隠して言いたがらない。
自分,峯岸が,この事を欧米の知識人層に問うたら「日本人に(アジア人ごときに)言われたくない」と言わんばかりの表情を見せた。
だからアテネ陥落が世界史の年表に載っていないのだ。

ギリシアがフェニキアと同盟を組んでローマの地中海支配と激突した。
フェニキア人は今のレバノン人で,カルタゴと,なんと更にヴェネチアもフェニキア人の一部である。
フェニキア人はユダヤ商人とソックリで,後生,悪どい銭の亡者のユダヤ商人というイメージは,フェニキア商人から受け継いだものなのだ。
フェニキアとギリシアは同じ文明である。
自分,峯岸は,ニーチェを研究していた時,ディオニュソス神の享楽の精神の研究で,この事に鋭く気づいた。
フェニキア人とは今のレバノンのレバノン人たちだ。
土地も人間も2000年間,今のままだ。
だから中東人なのに,まるで西洋白人のような顔立ちの人が多い。
シリア人はアレキサンダー=ヘレニズムの影響か,西洋白人のような人が多い。
フェニキア=レバノンという事を歴史学者たちを筆頭に日本人が誰も知らない,理解しようとしないから,また頭がボ〜っとなり訳が分からなくなる。
日本人はポエニ戦争というと,北アフリカのカルタゴを攻め滅ぼした戦争だと思っている。
そうではなく,本当はカルタゴの本国であるフェニキアとの戦争である。
後の中世ヴェネチア国のヴェネチア人たちも,実はフェニキア人なのだ。
ロンバルディア平原に入り込み船に乗ってきた,フェニキアからの海洋性の商業民族と融合してヴェネチア国(王が不在だから共和国)を創った。
塩野七生(しおの ななみ)の『海の都の物語』は,こういう根本,土台の研究が出来ていない。

ビザンチン帝国(東ローマ帝国。1453年,オスマン帝国に滅ぼされた。首都コンスタンティノープルが壮麗に陥落した)にも,船を多数持っていた大きなフェニキア商人地区があって栄えていた。
その200年前の1258年に世界征服を目指したモンゴル軍(イル・ハン国を創る)が,当時の中東を支配していたアッバース朝(セルジュク朝トルコを家来にしていた)のカリフが,バグダッドの城門を開いて上から目線で迎え入れ折伏しようとしたため,モンゴル(チンギス・ハーン)は「何だコイツ,威張りやがって」と,そのまま馬で蹴り殺した。
そしてバグダッドで80万人を虐殺して征服した。
当時は文明度の高さで西洋さえも見下していたイスラム帝国(サラセン帝国)といっても,こういう目に遭っているのだ。
でも,この後モンゴル軍はダマスカスまで攻め落とす事が出来ずに引き返した。
時代が飛ぶが,コレと751年のタラス河の戦いが重要だ。
今のキルギスのイシククル湖から流れ出ているタラス河で隆盛していたイスラム軍と,大唐帝国(中国の王朝)の唐の遠征軍が衝突した。
そして唐が負けた。
この時以来,漢人(中国人)は,それよりも西へは二度と侵攻できなかった。
この事は人類史の上で凄く重要な事実だ。
だから紀元前2世紀にはフェニキアとギリシアが同盟を組んでいたのだ。
イスラエル(パレスチナ)は,その支配下にあった。
そして全地中海にギリシアの植民都市が多数あった。
だからカルタゴだけでなくギリシアをもローマ軍が攻撃して崩壊させたのだ。
以後ギリシアは立ち直れなかった。
スペインやシシリア島のギリシアの植民地は,ローマ式に作り替えられていった。
ココにアルキメデスやピタゴラス教団が居たのだ。
実はギリシア語がローマ帝国の高級語(官僚語)で,公式言語だった。
Linga Franka(リンガ・フランカ。普遍言語)と言って,ローマ帝国の貴族や僧侶や官僚たちは皆ギリシア語で文書を書いていた。
この事の凄さを知るべきだ。
400年代ぐらいまで,ずっとギリシア語が公用語だった。
もっと本当の事を書くと,15世紀のイタリア・ルネサンスは,ギリシア語の文献を読む事から始まった。
ギリシア語がラテン語よりも,ずっと格が高かったのだ。
新約聖書,すなわちイエス・キリストの物語,弟子たちによる言行録は,ギリシア語で書かれている。
イエスたちが話していたのは現地語のアラム語だ。
アラム語は今のシリア人たちがアラビア語とは別に使っている言語である。

アテネの陥落(168年)の後,ローマ人によってギリシアの知識人たちはローマへ連行され,奴隷身分としてローマの貴族たちの屋敷で子供たちの教育に当たった。
それで文学なるモノが生まれたという重要な文学理論がある。
自身らの国を失った誇り高いギリシア知識人たちが,脳の中に妄想の自由の国を創った。
コレが文学なるモノの誕生だ。
イスラエルはアテネ(ギリシア)陥落(紀元前168年)の4年後の紀元前164年にギリシアの軛から脱出している。
ギリシアの地中海覇権がローマによって崩壊させられ,奪い取られたからだ。
この時イスラエルは大幅な自治権を獲得した。
しかし,この直ぐ後にローマ軍が来た。
この時よりも320年前に,あのペルシア戦争がある。
このペルシア戦争という言葉が変なのであって,ペルシア帝国によるギリシア侵略(侵攻)戦争としなければいけない。
コレは直近で言えば,2003年からのアメリカによるイラク(侵略)戦争と同じだ。
イラク戦争ではなく,アメリカによるイラク侵略戦争である。
このように教えないから日本人は訳が分からなくなる。
紀元前490年にバビロン(イラクのバグダッド)を治めて強大になったペルシア(アケメネス王朝)が,ギリシアに攻め込んで来た。
ギリシアは,このアケメネス朝ペルシア帝国と戦い負けなかった。
10年後の紀元前480年にも再度,攻めてきた。
前述したユダ王国を支配して新バビロニア帝国を滅ぼした,アケメネス朝ペルシアがイスラエル(パレスチナ)を制圧して支配した。
その後ギリシアにまで攻め込んだのだ。
コレがペルシア・ギリシア戦争である。
かろうじてギリシアは負けなかった。
その後この事に対する激しい反動として,150年後の紀元前333年に,アレキサンダー大王が逆襲してペルシア帝国に攻め込み圧勝した。
そして,この後ペルシア高原(今のイラン)を占領し,ペルシア帝国の領土を10年かけてアレキサンダーはウロウロして回った。
アレキサンダー大王は神がかりの人物だったようだ。
自身を不死身の神だと本当に信じた。
戦争になると自身が真っ先に突っ込んでいき斬り合いをヤッた。
彼はギリシア人の一種だが,ギリシアの北のマケドニアの王だ。
マケドニアに征服されギリシア人たちは相当に不愉快だったようだ。
それでもアレキサンダーは一緒に育った将軍(幕僚)たちによって紀元前323年に毒殺された。
その将軍の1人のプトレマイオスが「俺は帰らないよ」と,エジプトへ行きプトレマイオス王朝を創った。
そして今のエジプトのアレキサンドリアに首都を創った。
その18代目の国王が,あのクレオパトラだ。
だからクレオパトラは自身をギリシア人だと思い,ギリシア語を話していた。
そうでなければカエサル(シーザー)がコロっとクレオパトラに参らない。
ギリシア語で話している者にローマ人は劣等感が激しい。
今のアメリカの支配階級層がイギリスの貴族たちが話すオックス・ブリッジ英語に劣等感を感じて複雑な気持ちになるのと同じである。

7ヶ国語を話した絶世の美女クレオパトラは,紀元前48年にローマ帝国皇帝のカエサル(シーザー)と愛し合った。
そのシーザーが殺された紀元前44年の後に,シーザーの幕僚(弟子)のアントニウス(アントニー)がローマの権力を握るが,このアントニウスともクレオパトラは愛し合った。
2人は12年間,愛し合った。
その後2人で紀元前30年に自殺した。
同年のオクタビアヌスとの戦いに負けたからだ。
オクタビアヌスという悪賢い男が出てきて,彼はアウグストゥス,更にプリンケピアという称号をローマ議会から貰った。
紀元前27年,この男が初代ローマ皇帝となった。
だから,この年がローマ帝国の元年だ。
その前は共和制(王様が居てはいけない政治体制。日本は天皇が居るから共和制にはなれない)である。
紀元前30年,初代ローマ皇帝のオクタビアヌスが自身の家来のピラトをイスラエル(パレスチナ)に派遣し,ユダヤ王のヘロデを上手く操ってイスラエルを属州にして大繁栄させた。
その次がヘロデの息子,ヘロデ・アンティパス王とイエスの時代だ。
イエス・キリストがエルサレムで刑死したのは紀元後30年だ。
この時のローマ皇帝は,もう2代皇帝のティベリウスだ。
それから紀元後37年から3代皇帝は残虐で知られたカリギュラだ。
そして54年から,これも残虐な5代皇帝ネロだ。
イスラエルのヘロデ王と殆ど同じ時代にローマに初代皇帝アウグストゥス(オクタビアヌス)がいる。
そして,その次の時代(60年後)にイエスが殺された。
カエサル(シーザー)を初代ローマ皇帝だと思い込んでいる者が多い。
しかし皇帝のインペラトーレとは「王の階段=階(きざはし)にいる私たち臣下,兵士たちが,陛下=まさしくコレが王の階(きざはし)から,その上に居る貴方さまに申し上げます」という意味から生まれた言葉で,中国語でも陛下=皇帝という言葉が,こうして産まれたのだ。
カエサル(シーザー)は,そうなる前にローマ議会(Seneta=元老院=げんろういん)の議場で殺された。
その跡継ぎだったがオクタビアヌスに敗れたアントニウスは,差し詰め0.5代皇帝だろう。
2代ローマ皇帝ティベリウス(紀元後14年から)の時代に,ローマからイスラエル(パレスチナ)に派遣されてきた軍事総督がピラトだ。
その時の傀儡の王様がへロデ・アンティパス(ヘロデ王の息子,後継ぎ。紀元前4年〜紀元後40年)だ。
ローマ帝国はイスラエルを一応,国として認めていた。
だから直轄地や植民地ではなく属国である。
当時の言葉で言えば属州だ。
本当はローマ帝国自身が大金を掛けてエルサレムに綺麗な神殿(至聖所。ソロモン神殿)を再興してくれたのだ。
その時,紀元前40年ぐらいで,ヘロデ王というイスラエルの王が居た。
ヘロデ王は大王と言っていいぐらい優れたイスラエルの王だった。
彼はローマ帝国のアウグストゥスと凄く仲が良く,ヘコヘコしながら,言う事を聞きながら,上手く取り入り国土開発を行い国の大繁栄を実現した。
コレをイエスは凄く嫌った。
自分,峯岸が,アメリカの命令に何でも首を縦に振る岸田文雄が大嫌いな事と同じかもしれない。

イスラエル全土に土木事業,すなわち灌漑や水を引く水道橋を建設したり要塞を造った。
このヘロデ王の立派な業績の跡が今も多く残っている。
コレらはイスラエルを本当に研究したい人たちのディープな観光名所だ。
ローマの属州(属国)に甘んじながら,国の中心に立派な神殿を創った。
だから当時の世界中の王宮,宮殿を,市場や劇場も併せてバジリカと言う。
バジリカという言葉は世界史を勉強する上で重要なのだ。
中国の歴代王朝からしたら,自身らを取り巻くチベットやモンゴルやベトナムや満州や朝鮮や日本の王たちに,自身らの進んだ技術と文物で作ってあげた属国の首都は,それぞれがバジリカなのだ。
紀元前4年にヘロデ王は死去し,この後からユダヤ国は混乱していく。
ココで注意しておきます。
このヘロデ王の時代(紀元ゼロ年)と,その1000年前(紀元前1000年ごろ)のダビデ,ソロモン王の時代を,ゴッチャにしないで下さい。
それから2000年が経った紀元後1000年(西暦1000年)ごろの,十字軍のアラブ・イスラム世界への西洋白人たちの侵略戦争(国際義勇軍運動)とも混同しないで下さい。
その更に1000年後が,今の我々が生きる紀元後2000年ちょっとの世界だ。
この3つの1000年をジックリと自身の脳の中で大きく区別をつけるようにして下さい。
そうすれば貴方は世界史(人類史)が分かります。
大切な事は,いつも自分,峯岸が言う,物事は全て上から大きく見渡す事である。
日本は世界の中の小国と理解し,その中で帝国(今ならアメリカ)に動かされている属国と認識しなくてはいけない。
コレがWorld Values(世界普遍価値=世界基準)である。
この事が日本人は出来ないから世界情勢が読めない(理解できない)のだ。

ヘロデ王の息子のヘロデ・アンティパスが,まさしくイエスが居た時の王だ。
日本の殆どの知識人階級層でも,このヘロデ・アンティパス王を彼の父親のヘロデ王と区別がついていない。
大学の文学部を出て,聖書やら聖書小説を読むのが好きという者も,この事を考えないため理解できない。
因みにヘロデ1世と2世は,この後の王で別人である。
文学部出の者たちは,政治問題である権力者や支配者たちがヤル,血みどろの権力闘争,殺し合いの事が分からない。
手弱女(たおやめぶり)と言って,文学(小説)好きな者は男と女の愛の世界が大好きだ。
文学というのは,男と女のチマチマした細かい世界である。
だからソレ以上の大きな話しとしての,権力,体制,支配,王朝交代史(政治闘争,権力闘争)の事が分からない。
一言で言えば大きな知能=思考力=知恵の足りなさだ。
自身も父親(ヘロデ王)と同じくローマ帝国の言いなりだったヘロデ・アンティパス王は,イエスを殺したくなかったと言われている。
イエスは勝手に「私こそユダヤの王だ」と言ったとされている。
コレを「I.N.R.I.」と言う。
世界中のイエスの十字架の絵の上に,柱の上の方に「I.N.R.I.」と描かれている。
イエスは「私こそユダヤの王だ。ハスモン家なんかに握られている今の王権は贋せ物だ。ローマの子分だ」と言った。
「ヘロデ,オマエなんかローマの言いなりの傀儡じゃないか」と。
「ローマで育てられ連れて帰ってこられて王にされた,ユダヤ民族の裏切り者だ」と。
イエスは民族解放闘争をした政治活動家だった。
だからローマ兵に殺されたのだ。

「I.N.R.I.」とは「Iesus Nazarenus Rex Iudaeorum」(イエズス・ナザレヌス・レックス・インダエオルム」の略称で「ナザレのイエス,ユダヤの王」という称号だ。
エルサレム旧市街の北側(キリスト教徒地区)にヴィア・ドロローサ(哀しみの道)と言う観光名所がある。
イエス自身が重い十字架を背負わされ,躓いてバタっと倒れ込んだりしながら歩かされたとされる道である。
その道が観光スポットになっている。
自分,峯岸は,イエスが自身で十字架を背負って歩かされたというのは有り得ないと見ている。
当時そんな事をするのは不可能だ。
イエスの逮捕,処刑の命令を出したのは総督のピラトだろうが,彼はヤッフォかカイザリヤという軍港の,ローマ軍の司令部に居た筈だ。
このヴィア・ドロローサ(哀しみの道)の出発点になっている神殿の丘の北側に,壁にベタっとローマ軍の前線司令部の建物があったとして,ソコから何の為にイエスを引き立てたのか。
イエスが処刑されたのが今の聖墳墓教会で,ソコからイエスは復活したという事になっている。
この復活の事はキリスト教にドップリ浸かった人しか知らない。
この教会の中心にイエスの死骸を入れた棺桶と土を掘って入れた墓があり,ソコから10mぐらいのゴルゴダの丘で十字架に架けられたのだ。
イエスの両方の脇腹の横隔膜の下から槍でグッと突き上げ心臓を突き刺す。
コレは江戸時代までの日本の刑場での処刑と全く同じだ。

「復活」という言葉に関して日本人は何も知らない。
高校や大学でも誰からも教えてもらっていない。
トルストイの復活という,シベリア流刑囚になった政治活動家たちを描いた小説だけは名前だけ知っているだろう。
それだけだ。
何が復活なのか誰も分からない。
一体イエスの復活とは何なのか?
ローマ兵の中でも賤民というか,穢多・非人(えた・ひにん)の処刑人と死体片付け係の,ローマ兵の中でも最下層の,日本にも隠亡と呼ばれた者に相当する者たちにカネを払い,イエスの死体を十字架から降ろしてもらった。
コレがイエスの母と妹,そして本当のイエスの妻であるマクダラのマリア(マッダレーナ・マリア)だ。
処刑された場所の直ぐ傍に穴を掘り,粗末な棺にイエスを入れた。
コレをイエスの墓としたのだ。
だからココが聖墳墓教会の祭壇の場所である。
本当の史実(歴史の真実)は,ヨハネという当時のエルサレムの有力者でイエスの支持者だった男が,総督ピラトに掛け合いイエスの死体を貰い受け墓を作ったのだ。
そして処刑から4日目にマクダラのマリアが独りで見に来た。
すると棺の中の死体が消えていた。
コレがキリストのresurrection(レザーレクション=復活)だ。
イエスの霊魂は復活して,どうしたかというと,この後40日間,自身の知っている人たちや弟子たちのところへ現れた。
30歳の頃ガリラヤ湖の辺りで布教していた信者たちのところへも現れたとされる。
コレがイエスの復活だ。
死んで4日目に死体が消え,魂が復活した。
イエスは霊魂となって辺りを彷徨い,アチコチの友人や知人のところへ出没し,それから40日目に,ようやく天に昇天した。
イエスが昇天したとされる昇天教会という小さな遺跡も,エルサレムの旧市街の東にある。

ココで自分,峯岸は一つ言っておく。
キリストが死んで復活し,そして本当に昇天した。
日本は仏教の国と言うが,日本の仏式の葬式の「初七日」と「四十九日」の死者への弔い方は,まさしく,このイエスの死に方から来ている。
自分,峯岸は,そう見抜いた。
この発見を誰にも邪魔させない。
主に弟子たちのところに現れたという,この事を理解する事だ。
コレをキリスト教と言う。
遠く日本にまで,その制度と感覚が伝わっている。
それぐらい世界中に広がったのだ。
そしてイエスが死んだ後にキリスト教が産まれた。
この後の原始キリスト教団を率いたのはヤコブと言う男だ。
ヤコブも殉教している。
ローマ教会を創った創業者のペテロとパウロは,決してイエス・キリストの12人の使徒ではない。
ペテロが使徒とされるが別人だ。
計算すると,時間と時代が合わない。
それなのにペテロがローマへ向かって布教の旅に出たとされている。
ということはローマ教会(ヴァチカン)は大嘘つきの集団だということだ。

紀元前538年,ユダヤ人の指導者たちはバビロン捕囚から帰還し,壊された神殿を再び造り直した。
そこから500年後ぐらいにイエスの時代が来た。
イエスも殺されて(紀元後30年),その36年後の紀元後66年にユダヤ戦争が起きた。
コレは激しい戦争でユダヤ人がローマ軍に対して立ち向かった民族解放戦争で,もの凄く激しかった。
イスラエル(パレスチナ)の東部に死海と言う塩分が強い大きな湖がある。
傍に映画にもなった「マサダの砦」(紀元後74年)の戦いがあった。
そのマサダの砦の戦いでユダヤ人970人が最後の抵抗をして全滅した。
このユダヤ独立戦争で捕虜になった一人のインテリのユダヤ人が降参し,この優れたユダヤ人のフラウィウス・ヨセフスという者が『ユダヤ戦記』を書いた。
ローマに呼ばれてラテン語,ギリシア語で書いた。
コレが今も残っており,超一級の歴史資料だ。
神殿の丘(至聖所,ソロモン神殿)は陥落して丸焼けになり,ローマ軍によって徹底的に破壊された。
ところが紀元後132年に,もう一回ユダヤ人たちは第2次ユダヤ戦争を起こした。
第1次の戦いに敗れ,紀元後70年にユダヤ人たちはローマ軍(皇帝ハドリアヌス)に神殿を完全に破壊されてから,再び蜂起したのだ。
指導者の名から「バル・コクバの反乱」とも呼ばれる。
ココには当時のユダヤ人たちから深く尊敬されていたラビのアキバの一族も加わっており,彼らは紀元後135年までに全員,戦死した。
紀元後70年,もしくは135年からを大離散と言う。
この時から世界中にユダヤ人が流れ出ていったのが歴史の事実だ。
ローマ軍からの攻撃を避ける為,殆どのユダヤ人はエルサレム周辺から消えた。
パレスチナ,その中心のエルサレムからユダヤ人が消えた。
それでも隠れて留まっていたユダヤ人は多数いた。
人間は,どんな困難な中でも生き延びようとする。
ソレがエルサレムに残ったユダヤ人たちだ。
その後そこにパレスチナ人が住みついた。
ずっとパレスチナ人が原住民で居たのだ。
彼らはアラブ人の一種だ。
前述した大離散より1100年前の紀元前1250年(冒頭で触れたとおり,この年号が重要なので覚えて下さい)に,モーセがエジプトからカナーンの地である約束の地,ヤハウェ=エホバの神に約束してもらった豊かな恵みの緑あふれる土地へ,今から私たちは行くんだと言って出発して着いた地が今のパレスチナだ。
ところがココには原住民が元々いた。
紀元前2200年ぐらいからの住民であるアッカド人たちも来ていた。
アッカド人は世界の中心であるバビロンの都にいたバビロニア人で,彼らが植民者として来ていた。
このアッカド人(バビロニア人)たちを北へ追い払い,それでもパレスチナ人は土着の民として,ずっとココに原住民として住み,百姓(農業)をしている。
コレが今のパレスチナ人だ。
このパレスチナ人が旧約聖書に出てくるペリシテ人で,新約聖書の中に出てくるパリサイ人も同じである。
だから“パレスチナ人=ペリシテ人=パリサイ人なのだ”
この大きくて簡単な真実を知ってしまえば,今のイスラエルとパレスチナ問題は何なのか,歴史の厚みを伴って分かるのだ。

この他に新約聖書には,もう一つ神官の一族というかサドカイ人という人たちが出てくる。
このサドカイ人とパリサイ人(ペリシテ人)がイエスに石を投げ,コイツを処刑しろと騒いだという事に聖書ではなっている。
重要な事だから再度,書く。
”このペリシテ人とは今のパレスチナ人だ“
ペリシテ人=パリサイ人=パレスチナ人だ。
この学説はテルアビブ大学のイスラエル人の歴史学者であるシュロモー・サンドが2008年に発表して世界を驚かせた。
この学者が勇気を持って当たり前の簡潔な真実を満天下に晒した。

パレスチナ人はモーセの子分たちがカナーンの地(今のイスラエル=本来のパレスチナ)に到着する前から,この地の原住民として,ずっとココに居た。
だからココをパレスチナと言うのだ。
そしてパレスチナ人は700年代からイスラム教徒化した。
622年にイスラム教が成立した。
創立者のムハンマドが今のサウジアラビアのヒジャーズ地方に出てきた。
彼は強かったわけではないが,預言者(神の言葉を人々に繋ぐ人)として,徐々に認められた。
まずアラビア人たちの間で,このムハンマドの教えが大爆発現象として,もの凄い勢いで一帯に広がった。
ムハンマドがメッカからメジナ(メディナ)へ逃げた時が聖遷=ヒジュラ元年と言い,この西暦622年にイスラム教が成立した。
それでムハンマドは,その10年後の632年に死去した。
そしてイスラム教は,それから100年も経たないうちに,もの凄い勢いで中東どころか中央アジア一帯,北アフリカ,そして東南アジアにまで広がっていった。
このイスラム教の大爆発現象は今も続いている。
他の世界的な宗教は人気が失くなり衰退しているのに,イスラム教は増殖,拡大を続けている。
自分,峯岸は,ローマ・カトリック教会の思想で,325年のニケーア信条=宗教会議で,三位一体という愚劣な教義を作った時からの,イエスを,ただの男だとしたアリウス派を追放した時からの,ローマ教会の1700年の支配で,すっかり脳=思考力を汚染された欧米白人たちに頼らない。
欧米白人のイスラム研究学者たちは,意図的に訳の分からない事を言って大きな真実を言わない。
出版物に書かない。
大きな真実を隠蔽している。
だから自分,峯岸は,直接アラブ世界へ行き,アラブ人たちからイスラム思想を学んでいるのだ。
だから自分,峯岸には,欧米の体制派が隠す真実に代替された大本営発表は通用しない。
この世の全ての欺瞞,瞞着,虚偽を満天下に晒して暴きまくる。
欧米の最高支配層たちでも自分,峯岸祐一郎を欺く事は出来ない。

ムハンマド(570年〜632年)はヘジュラ元年から10年後の632年に死去している。
何処で昇天して天に上がったかというと,岩のドームからという事になっている。
だけどムハンマドはエルサレムに来て死んだのかというと,そんな事はない。
だがイスラム教徒(ムスリム)の当時の親分たち(ムハンマドの後継者をカリフと言う)が,ココからムハンマドは昇天したから,この地(エルサレム)がメッカ,メジナに次ぐ3番目の私たちの聖地だと決めた。
コレじゃユダヤ人たちが怒る筈だ。
「私たちの神聖なる至聖所の上にアイツらは勝手な理屈でモスクを建てやがって」となる。
イスラム教はキリスト教のフォロワーである。
イエスよりも600年後に出来たのだから当然だ。
同時にユダヤ教は,もっと古くからある。
ユダヤ教の最大の聖地がエルサレムの至聖所,すなわちKing Solomon's Templeだと分かっていた。
だからソコを自身らの聖地にもしようとして,ムハンマドの娘婿のカリフとアリー(スンニ派に対抗するシーア派の創業者)が,692年にイスラム教の寺院を創ったのが今の岩のドームだ。
イスラム教徒にも言い分はある。
パレスチナ人が,ずっと居た地に,エジプトから来て土地を取り上げ,自身らの国を創り,それから3200年も経った。
それからの3200年の間には神殿の丘(至聖所とソロモン王の宮殿がある)も何度か壊され,何も残らないぐらい破壊され,その後,数百年も荒れ果てて誰も寄り付かず放置されていた時代もある。
それを何で今ごろになってオマエらユダヤ人に渡さなければいけないんだという争いだ。

更に時代が下がり,歴史上の大事件がある。
10世紀の中東アラブ世界はイスラム教が凄く強くなっていたのだが,なんと,それよりも西洋白人たちの方が元気になった時代が来た。
元気な方が攻め込んでいくのは歴史の法則である。
コレが1096年から始まった十字軍運動だ。
西欧諸国の王子たちの中の暴れ者で元気な奴らが「我こそは英雄にならん」と猛り狂うような騎士道精神で,私たちはキリスト教の聖地であるエルサレムをイスラム教徒から奪還するぞと動き出した。
コレは今で言う国際的な軍事活動だ。
北朝鮮の核保有を「危ないじゃないか,許さん」と言い,世界各国が協調し,北朝鮮に軍事行動の強制執行の行動を取るという動きと似ている。
十字軍は西欧から中東アラブ世界への侵略戦争でもあった。
西欧人の王様や息子たちが何千人も兵隊を引き連れ,船でエルサレムに向かい上陸して進撃した。
そして3年後の1099年にエルサレムを制圧して占拠した。
西欧白人たちのエルサレム王国をエルサレムに創った。
ところが,このエルサレム王国は,それから88年後の1187年に全イスラム軍を率いた,凄まじく統率力のある英雄サラディーンに敗北し,エルサレムは陥落した。
この後,西洋白人は2度と軍事力でエルサレムには戻ってこなかった。
十字軍は海岸線の港にまで撤退した。
強固な要塞を多数,築いた。
その跡が観光地になっている。
それから100年後の1291年に,十字軍はアッコン港の陥落で惨めにアラブ世界から撤退していった。
十字軍運動とは,300年間に亘る西洋白人によるアラブ世界への干渉戦争である。
十字軍が強かったエルサレム王国の時代に,エルサレムはイエス・キリストが死んだ聖なる場所だから,イエスが産まれた聖墳墓教会を中心に創った。
そして,その隣りにあるダビデの砦を,西洋白人たちは自身らの宮殿にした。
エルサレムの周りには敵意に満ちたイスラム教徒が多数いた。
1200年代からは遠征軍で来ている西洋軍がボロ負けで,ローマ教皇の命令と,お墨付きで動いているだけだから,自身らがヤッている事に正義感が無い。
略奪戦争でもあったため,西洋のキリスト教の国王たちが負けた。
そして直ぐにテンプル騎士団が出来た。
彼らは第1次十字軍の時から従軍し,1119年にソロモン王の神殿(今のアル=アクサー・モスク)でテンプル騎士団を結成し,自身らの兵舎にした。
彼らが神殿の丘とエルサレムの都市を守る義務を負った。
だが,このテンプル騎士団は第4回十字軍戦争,1291年のアッコンの陥落でイスラム軍に大敗する。
そして欧州へ帰っていった。
テンプル騎士団の「騎士」というのは従者の階級で,貴族や高級軍人ではない。
ずっと下の従者階級だ。
日本で言えば侍階級だ。
このテンプル騎士団だけでなくマルタ騎士団や聖ヨハネ騎士団も荷物運びや病院船など,巡礼者たちを保護する事でローマ法王から特別に許されていた。
しかし本当は,その為の軍資金を確保する事から始まり,カネ貸し業や為替業をヤッて海運業で自身らの船も多く持っていた。
コレが中世の欧州の資金ネットワークを創った。
コレが後のフリーメイソン(石工組合)の秘密組織の雛形になった。
テンプル騎士団は欧州中の王様たちにカネを貸し,商人活動,両替商(初期の銀行業),武器弾薬の輸送,販売までした。
この後1307年,フランス国王フィリップ4世が自身の借金の多さに耐えかね怒り心頭に発し,テンプル騎士団の幹部たちを突如,全員,逮捕して拷問に掛け火炙りの刑にした。
コレが13日の金曜日だ。
ココから地下に潜ったテンプル騎士団の残党が作ったのが秘密結社という考え方になって産まれた。

1240年ぐらいに第5次十字軍を「行け行け!」と教皇に,せっつかれて実行した,神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世(この王は500年後の1770年ぐらいに隆盛するプロイセン国の国王のフリードリヒ大王とは別人)は,もの凄く優秀な人物で彼は,なんとイスラム教徒と仲良くし,平和的にエルサレムに入城している。
殺し合いの戦争はしていない。
このフリードリヒ2世は素晴らしい王で,彼の事を思想家のニーチェが褒めている。
彼はローマ・カトリック教会の腐敗と堕落を,よく知り,イスラム教の優れた点に深い理解があった。
1300年ぐらいから,イスラム教徒の世界ではトルコのオスマン家が強大になる。
実はモンゴル帝国が,世界史上の唯一の世界帝国だった。
このモンゴル帝国の力が衰えだした後だ。
そして1453年に東ローマ帝国(ビザンツイン帝国)の首都コンスタンティノープルを陥落させた。
この頃からイスラム世界の全部をオスマン・トルコ帝国(その皇帝はスルタンを名乗る。カリフはムハンマド家の血筋の者が名乗る)が支配した。
この時パレスチナ(イスラエル)は紀元後300年代からが西ローマ軍に替わって東ローマ(ビザンティン帝国)の軍隊が来て,その後ウマイヤ朝とアッバース朝のイスラム帝国の支配下にあった。
ソレが1516年ぐらいからオスマン・トルコ帝国に支配されるようになった。
だから,この後ずっと話しに出てきている例の岩のドームが,1522年にオスマン・トルコのスレイマン大帝(スルタン)によって壁が美しいトルコ式の青いタイル張りになり,金ピカの丸屋根になった。
そして現在に至る。
だから丁度この400年間は今のまま神殿の丘は,イスラム勢力の支配下で続いてきてる。
だからコレをユダヤ人たちが「俺たちに返せ」と言っても受け入れない。
コレがアラブ人たちとイスラム教国が「アメリカ(トランプ)のエルサレム首都承認は許せない!」と抗議していた事である。
欧米グローバリストは,この燻り続ける火種を利用して今回のイスラエルvsパレスチナ(ハマス)の開戦に展開させた。

しかし前述した1898年からの(本当は,もっと早く1800年ぐらいから始まっていた)欧州の「エルサレムに還ろう。我らがイスラエル国を建国しよう」運動が盛んになり,このシオニズム運動によってエルサレムもユダヤ教徒によって奪還されるという趨勢が続いている。
だがイスラム教徒18億人の力も負けない。
この闘いはガップリ四つだ。
オスマン・トルコは紀元後1000年ぐらいから出てきた一族だが,1918年までの1000年間,アラブ・イスラム教世界を,ずっと支配してきた。
日本人はオスマン・トルコ帝国の話しを殆ど知らない。
形上はエジプトであっても,この1000年間ずっとオスマン・トルコ帝国の属国だ。

しかしイギリスが大英帝国になってから,1750年ぐらいからジワジワとエジプトを自身の属国にしていった。
イギリスとフランスがオスマン・トルコをロシアの攻撃から守ってあげよう,支援しようという感じで,19世紀(1800年代)には徐々に屈服させた。
オスマン・トルコ帝国は全盛時には東欧まで攻め込み,1530年と1683年の2回,欧州の本当の中心で欧州全体の帝国である神聖ローマ帝国の首都であったウィーンを包囲する事までした。
オスマン・トルコがウィーンを陥落寸前まで追い詰めた。
だけど勝てなかった。
だが,この後ハンガリーやポーランドやルーマニアの東欧は,ずっとオスマン・トルコに300年ぐらい支配されている。
ハンガリーの南の地方にドラキュラ伯爵という強烈な将軍(ワラキア公国。小さな国王)が居た。
彼はオスマン・トルコの家来だった将軍で「俺はキリスト教徒だ」と言い出し,欧州人側に付いてイスラム教徒と戦った。
イスラム軍の將兵の死体を串刺しにして,城の周りにズラっと並べたりして残酷な戦争をした男だ。
この男がドラキュラ伯爵になった。
トランシルヴァニアというハンガリーの南側で今のルーマニアだ。
この辺の人種は南スラブ人と言って,旧ユーゴスラビアのセルビア,ボスニア,スロバキア,クロアチア,スロベニア,この辺は南スラブ人である。
対してポーランドとバルト3国のエストニア,リトアニア,ラトビアが北スラブ人だ。
しかし北スラブはドイツ人の血も混じっている。

1522年から今の岩のドームが綺麗に造られて500年が経った。
コレはイスラム教徒のモスクである。
ソレをユダヤ人が「3000年前の至聖所に戻してやる」と言い,神殿の丘を取り戻すという運動を今ヤッている。
前述した強硬なユダヤ人たちによる密かなる第3神殿建設運動だ。
第1神殿時代はダビデ王が建てた紀元前1006年からバビロン捕囚の時に起きた神殿崩壊の紀元前586年までだ。
第2神殿時代は,このバビロン捕囚の紀元前586年からユダヤ戦争でローマ軍と戦い神殿が完全に破壊された紀元後131年までだ。
だから今,強硬派のユダヤ人(イスラエルのネタニヤフ)たちは第3神殿建設運動を始めているのだ。
イスラエル人とパレスチナ人の両者それぞれ言い分がある。
歴史に学べば,この事が分かる。
この複雑骨折を起こしている,複雑な過去の大きな流れを理解いただけたであろうか。
ココまで説明した事を,漠然とでも大きく理解するのは大変な事だと分かる。
それぞれの人の知能に合わせて分かってもらうしかない。
ただし分かったフリ,知ったかぶりは無しですよ。
分かりづらい箇所があったら遠慮なく自分,峯岸まで連絡ください。
連絡くれた方には必ず再度の解説を返信します。
大きな歴史の理解が無いから,日本に優れた知識人層が成立しない。
「分からない,区別がつかない,歴史年表や地図帳を開くのは,この歳になったら面倒だ」と言ってしまえば,ソレで終わってしまう。
自分,峯岸は,こういう事を自力で,ずっと独りで,外国の歴史資料と本を読み漁り,ソレらを頭の中で大きく整理し,コツコツまとめてきた。
その際は己の持って生まれた洞察力と判断力で「コレは嘘だ。コレを書いている奴は大きな勢力に操られている。日本国民を洗脳する虚偽の情報を故意に流す者だ」と,ハッキリと見抜く。
そして更に大きな真実を抉り出す。
だから自分,峯岸祐一郎が,国家戦略家として今の日本に出現した理由がソコにある。
自分,峯岸の読者なら知っているとおり,自分は世界という大きな全体像で最上から物事を見ている。
日本を中心に情勢を見ていない。
最初の視点に日本は一切,入っていない。
まず,この点が他の全ての日本人と違うところだ。
日本は世界の中の一つの小国=劣等国(衰退国)で,その中で帝国の意思で動かされる属国という位置で日本を見ている。
だから世界の動きを大きな全体像で捉えて理解する事が出来る。
日本人は履き違えているので改めて述べておく。
日本は先進国ではない。
韓国や台湾やフィリピンと同じ,東アジアの一つの小国に過ぎない。
今やマレーシアやインドネシアやタイの東南アジアより下の最下層の貧困国に成り下がった。
自分,峯岸が15年前に予言したとおりの世界になったではないか。
これから日本人は世界中へ出稼ぎに出ていく時代となる。
日本は内需だけで国家経営できない。
いい加減この現実に気づきなさい。
いつまで甘い夢を見ているのだ。
夢と希望と願望に縋って生きる,その愚かな生き方,思考を,今すぐヤメなくてはいけない。
くだらないバラエティ番組と,嘘ばかりの報道番組ばかり観ているから(観させられているから),大きな真実を理解する為の脳の機能を破壊されているのだ。
戦後78年に亘る洗脳というのはココまで恐ろしい事である。

冒頭から述べたとおり,大統領時代のドナルド・トランプが「アメリカはエルサレムをイスラエルの首都と認める」と宣言した。
だが「アメリカ大使館を西エルサレムに移す」と言ったぐらいで,どうにもならない。
実情はイスラエル全土(すなわちパレスチナ)に居るパレスチナ人たちを消し去る事は出来ない。
それこそナチス・ドイツがヤッた事を,自身らユダヤ人がヤル事になる。
ただしナチス・ドイツが強制収容所で餓死させたのは合計15万人だ。
他の欧州諸国の分を合わせて20万人ぐらいだ。
このうちユダヤ人は半分の7万人だ。
この数字には文献の証拠がハッキリとある。
「ナチスの収容所で600万人が虐殺された」と,イスラエルがドンドン数を増やしている。
こういう事は教育機関(小中高大)で教えられる嘘の歴史ではなく,本物の本当の世界史=人類史の学問と思想を学んだ者には通用しない。
戦前の西欧に,そんなにユダヤ人が居る訳がない。
自分,峯岸は,日本人に対し大きな嘘を吐いて歴史の真実を覆い隠す者たちとの闘いを死ぬまで続けていくと決めている。
この創業以来の理念は揺るがない。

繰り返すが“今のイスラエルの地=パレスチナ”,この事も殆どの日本人は理解していない。
その区別もつかない。
アラブ人とキリスト教徒(パレスチナ人でキリスト教徒だという人たちもいる。商人に多い)とユダヤ人が混ざりまくって住んでいる。
3200年も混在して生きている。
だから,どちらも同じ人種のセム族だ。
これからも,ずっと,このままだ。
やがて人種や宗教が,どうでもよくなった時,この問題は解決というか消える。
だから前述したワン・ステート・ポリシー(パレスチナを国家として認めない)は出来ない。
イスラエルがパレスチナ人の主権を認めず,このままパレスチナ自治政府も認めず,併合して消滅させてしまう事は出来ない。
だから今の神殿の丘はアルハラム・アルシャリフと言い,今はココに2つモスクがあると前述したとおりだ。
コレを壊す事は出来ない。
だから第3神殿建設運動は上手くいかない。
今も,この神殿の城壁の嘆きの壁で,ユダヤ人たちは祈りながら呻吟している。
ユダヤ人たちの最大の主力勢力はアメリカに居る。
今のイスラエルの首相のネタニヤフは,岸田文雄と同じでアメリカが育てた傀儡である。
イスラエルに居るユダヤ人たちはネタニヤフが嫌いだ。
このネタニヤフが体制派のスポークスマン代表である。
イスラエル議会(議員定数120)には「ユダヤの家」や「イスラエル我が家」と言う,5人10人ぐらいずつで強硬派の小さな政党がある。
ところが彼らにしても,全てを自身らのものにする事は出来ないと分かっている。
なぜなら,ずっとパレスチナ人と共存して生きてきたからだ。
ドナルド・トランプのパトロンであるシェルドン・アデルソンらニューヨークの大富豪ユダヤ人たちがトランプを突き上げていたから「しょうがねえな」と言いながらトランプはヤッていた。
ポーズでフリをするだけだ。
トランプが「アメリカはイスラエルの首都をエルサレムと認める」と承認した,あの時,面白い現象が起きた。
トランプが「エルサレムを首都と認める」という声明を出した途端に,世界中のイスラム国家が旗を立て,皆で激しい抗議行動を起こした。
だが整然とした抗議行動だ。
注目はニューヨークのユダヤ人の若い男女の態度だ。
あの時,彼らは全く音無しの構えだった。
いつもは我先にと反トランプで前線に出る者たちなのにだ。
ハーバード大学とニューヨークが反トランプの牙城である。
「Jap」と言う日本人への蔑称の言葉がある。
だがコレ以外に「Jap」には「Jewish American Princess」(ジューイッシュ・アメリカン・プリンセス)と言う別の略称があり,この「ジューイッシュ・アメリカン・プリンセス」とは,ニューヨークのカネ持ちの綺麗な金髪ユダヤ人の女の子という意味である。
コイツらが,いつも反トランプのデモをヤッてトランプ・タワーの前でワーワー騒いでいたが,このニューヨークのカネ持ち階級のユダヤ人たちだ。
だが,この反トランプのJewish American Princessたちが,トランプのイスラエルの首都エルサレム宣言の時は全く動かなかった。
反トランプ・デモをトランプ・タワーの前でヤラなかった。
なぜだか分かりますか?
この強硬な反トランプの,インテリでカネ持ちの綺麗なニューヨーカーを代表する,いつもアメリカの田舎者たちにマウントを取って威張っている彼らが,なぜ反トランプの抗議声明を出さなかったのか。
彼らJewish American Princessがニューヨークのユダヤ人だからだ。
自身の爺さん婆さん,叔父さん叔母さんに怒鳴られて叱られるからだ。
「オマエがリベラル派で民主党でトランプが大嫌いというのは構わない。けれど,いいか,オマエにはユダヤ人の血が流れているんだぞ,その事を自覚しなさい!」と叱られる。
だからトランプが出した「イスラエルのアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移す」という決定に最も感激したのは,皮肉にも彼らJewish American Princessたちなのだ。
あれだけトランプを批判していた反トランプのニューヨークのユダヤ人たちが,この件でシュンとなって黙りこくった。
コレが面白くて自分,峯岸は独りで大笑いした。
重要なのはココなのだ。
前述したとおりトランプは,パレスチナ自治政府のアッバース議長に「アッバースよ,ちょっと今回は我慢してくれ」と電話した。
だからアッバースたちは動かなかった。
表面上は抗議声明を出したが,激しい抗議行動に出ていない。
ココまで分かって初めてイスラエル・パレスチナ問題が理解できる事になる。

パレスチナ人が全部で1200万人ぐらい居て,4〜500万人は世界中に散らばっている。
アラブ諸国などに800万人ぐらい散らばっている。
パレスチナ人は知能の高い技術者やSE(システム・エンジニア)みたいな人が多数いるので団結している。
この70年間で様々な小さな戦争があった。
だから現地に居る者たちは皆もう何でも分かっている。
1967年の第3次中東戦争の後,1973年に第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)があり,エルサレムを更に制圧し,シリアからゴラン高原を奪い取り,ヨルダンのヨルダン川西岸の支配を更に強固にした。
ソコには多数のパレスチナ人が住んでいる。
今のヨルダンにはヨルダン人よりパレスチナ人の方が多い。
日本人はGoogleが大好きなんだから,世界地図を見て,こういう事を勉強しなさい。
自身の脳で分かりなさい。
嘘ばかりの報道で自国民を煽動する日本のバカTV,バカ新聞,バカ雑誌を観たり読んだりして,それでハイ終わりという人生が,どれほど恐ろしい事かを考えなさい。
テレビや新聞の報道を頭に入れるのではなく,分からなくても自身の頭で考える事だ。
そうしたら貴方も世界が,どうなっているかが,少なくとも現時点よりは分かるようになる。
これまでの3200年間が分かるようになる。

では最後に最新の世界情勢を述べておく。
以下に転載するアメリカのエネルギー省の統計を見ると,9月22日の時点でアメリカの戦略原油備蓄が極わずか(17日分)しか残っていない事が分かる。

コレはアメリカが売却して現金化できる数少ない実物資源が枯渇した事を意味する。
ココで,よく考えてほしいのだが,9月22日から17日は10月9日で,イスラエルとパレスチナ(ハマス)の開戦が10月7日である。
開戦後にWTI原油先物が1バレル86ドルに急騰した。
だが昨年2月のウクライナでの代理戦争が開戦(2月24日)した時は,10日後に1バレル130ドルまで急騰したので,その事を考えれば余波は小さい。
第4次中東戦争が開戦した1973年10月6日から50年目の,イスラエルが開戦を宣言した今回のvsパレスチナ(ハマス)との戦争は,イスラエルの背後にいるアメリカによって事前に準備されて計画的に起こした,イスラエルvs中東アラブ世界の上の,欧米G7vs BRICSのG8による代理戦争である。
日本はG7に属し,ハマスの後ろ盾の中東アラブ諸国の後ろに中国とロシアを筆頭とする,BRICSが構えている。
日本のYouTubeやX界隈では,今回のイスラエルとパレスチナの件で,ハマスを支援しているのがイランだからイスラエルvsイランの戦争だと発信している者たちが散見される。
そんな小さな括りではない。
イランとサウジアラビアとUAE(アラブ首長国連邦)がBRICSに正式加盟し,3月10日にサウジアラビアとイランが積年の対立を越えて和解した。
サウジアラビアはイスラエルとも関係が好転したため,イランとイスラエルの宿敵関係も軟化へ向かっていた。
このように中東アラブ世界の連帯によってイスラエルは外堀を埋められた。
コレは言い方を変えればイスラエルが孤立したと言える。
この状況に苦虫を噛み潰しているのがアメリカである。
だから欧米グローバリストらはウクライナの敗北が決まったため,起死回生で中東の火薬庫に点火したのだ。

イスラエルvsパレスチナ(ハマス)の開戦だが,中国とロシアの当局筋は「イスラエル人を攻撃しているのはハマスではなくイスラエルの首相ベンヤミン・ネタニヤフと欧米のグローバリストだ」と伝えている。
ネタニヤフは逃げ場を確保するため,2025年までにユダヤ人をイスラエルから追い払い,ウクライナ(かつてのハザール王国)に移住させようとしている。
つまり今イスラエルで起きているのは本物のユダヤ人(今のパレスチナに追いやられている人々)vsイスラエルに居るユダヤ教に改宗したカルト狂信派の抗争である。
欧米グローバリストらは,この計画をコロナ・パンデミックと同時に温めており,アメリカ帝国の瓦解,世界情勢の変化,コロナ・ワクチン被害に対する追及などにより窮地に追い込まれたため,この計画を前倒しで実行した。
この事を自分,峯岸は,コロナ・ワクチンの接種が始まって直ぐに解説した。
だから日本と同様にイスラエルは世界で突出してコロナ・ワクチンを打たされているのだ。
彼ら欧米グローバリストらは旧約聖書に書かれているとおりに実行している。
因みに旧約聖書が書かれたのは新約聖書の後である。

ではココでユダヤ人についての大きな真実を解説して〆とする。
1976年にアーサー・ケストラーが『The Thirteenth Tribe』(第13支族)をリリースした。
この著作は現代世界史を塗り替えた大著である。
1990年に和訳されて『ユダヤ人とは誰か』(三交社)がリリースされた。
この『The Thirteenth Tribe』に,欧州の各王家の始まりの大きな真実が書かれている。
ハザール王国が西暦500年代から今のウクライナと黒海沿岸に興り,500年間あった事が書かれている。
ハザール王国は740年に計画的にユダヤ教(ただしモーセ5書のみ)を国教として採用した。
ハザール王国は東ローマ(ビザンツ)帝国の弟分のような存在で仲が良く,共にイスラム帝国(アッバース朝)と戦った。
そしてポーランドとハンガリーとブルガリアの東欧を朝貢国(属国)にしていた。
ハザール王国の首都イティルはカスピ海に注ぐ地にあり,ココが滅んで200年後にモンゴル帝国の西征の拠点となった。
この頃,南から攻め上がって来るイスラム軍(サラセン軍)と交戦した。
前述したとおり,この時のイスラム帝国はアッバース朝である。
バグダッドのカリフ(預言者ムハンマドの血筋で教主)は東ローマ帝国と戦い続けたため,弟分のハザール王国とも戦ったのだ。
ところがハザール王国を滅ぼしたのはアッバース朝ではなく,北方から攻めて来たノルマン人(ヴァイキング)だった。
だから,この後ノルマン人はモスクワ公国(今のロシア)とキエフ公国(今のウクライナ)を創ったのだ。
それぞれモスクワ・ルーシ,キエフ・ルーシとなった。
ルーシがロシアとなった。
だから白ロシアと言われるベラルーシは,まさしく白(ベラ)ルーシである。
モスクワ・ルーシは1238年から攻めて来たモンゴルにヘコヘコと取り入って卑屈に従属した。
対してキエフ・ルーシはモンゴルに対しての朝貢金(献上金)を嫌がって抵抗した。
だからレーニンや今のプーチンの顔を見ると分かるとおり,明らかにモンゴルの血が入っている。
ロシア人はモンゴル人(トルコ系のチュルク人)との混血である。
ロシアは北方からのノルマン人と東からのチュルク人の混交によって創られた国である。
この事がアーサー・ケストラーの『The Thirteenth Tribe』に書かれている。

イスラエルの歴史学界の大御所のアブラハム・ポーリアックが「ユダヤ人はハザール人が起源である」と説いており,アーサー・ケストラーは,このアブラハム・ポーリアックの理論を用いている。
だが,この世界史学の成果が日本では全く評価されていない。
ソレは日本の学者の学びの足りなさ,知能の低さ所以である。
アーサー・ケストラーの『The Thirteenth Tribe』(日本語版は『ユダヤ人とは誰か』)と,ベネディクト・アンダーソンの『Imagined Communities』(日本語版は『想像の共同体』)と,シュロモー・サンドの『The Invention of the Jewish People』(日本語版は『ユダヤ人の起源』),この3作を読まないで世界史(人類史)理解に達する事は出来ない。
自分,峯岸は,このように断言する。

ハザール王国のハザール人はユダヤ教(モーセ5書)を信仰しながら,800年代から200年ぐらいかけて東欧だけでなくイスラエルやアメリカまで移動していった。
彼らを”アシュケナージ・ユダヤ人“と言う。
このアシュケナージ・ユダヤ人は古代パレスチナに居たユダヤ人とは異なる。
アブラハムに繋がるユダヤ12支族に属さない。
だからアーサー・ケストラーは『The Thirteenth Tribe』で“「13番目のユダヤ人支族」”と述べているのだ。
今のイスラエルに居るイスラエル人の9割は,このアシュケナージ・ユダヤ人である。
では「3200年前のモーセの時代からのユダヤ人は,ずっとイスラエルに居るのか?」と問うたら,答えは,どうなるか。
この答えをシュロモー・サンドが『The Invention of the Jewish People』で主張した。
古代ユダヤ人(本当のユダヤ人)の子孫はペリシテ人,つまり今のパレスチナ人なのだ”。
自分,峯岸は,この事実(真実)を2008年に知り衝撃を受けた。
この事が分かると今のイスラエルとパレスチナの抗争の真相が見えてくる。
更に衝撃だったのが,今のパレスチナ人(ガザ地区とヨルダン川西岸地区に押し込まれている)とイスラエル人(アシュケナージ・ユダヤ人)は,互いに口語(話し言葉)が通じる。
パレスチナ人はアラビア語を話し,アシュケナージ・ユダヤ人はヘブライ語を話しているのに,話し言葉は通じるのだ。
紀元前2000年からのアラム語=古シリア語を今でも話しているのだ。
自分,峯岸は,この事を2019年にイスラエルとパレスチナを視察し,ガザ地区で話しを聞いたパレスチナ人の青年と話した時に知り驚愕した。
少し震えたのを覚えている。
このパレスチナ人の青年が「僕はココから出て外の世界を見たいんだ。日本てテクノロジーが発展した世界一の国なんでしょ? いつか行ってみたいな」と,綺麗な目を輝かせながら言った言葉が凄く印象に残っている。

日本は2023年の今でも,相も変わらずバカ芸能人どもが結婚しただの離婚しただの出産しただの,何の生産性も無い,どうでもいい,くだらない事がトップ記事になり,国民共有の財産である公共の電波を使い発信されている。
日本国内は日本国民にとって不要な情報で溢れ,本当に必要な情報が入らない,流れない。
日本は世界の枠組から弾かれ,国民は目と耳と口を塞がれ制空権を握られた哀れな羊の群れとなっている。
”だから日本は極東のガザ地区になっているのだ“
この自覚が日本人に無い。
昨年のウクライナでの代理戦争から今回のイスラエルとパレスチナで起きている,今,貴方がインターネットを通して見ている世界は,自分,峯岸が予言したとおりの世界である。
そして来年(2024年),再来年(2025年)も,自分,峯岸が予言したとおりの事が起きる。
だから目をカッ!と見開いて,世界の動きを凝視する事だ。
貴方がホームとして居住している日本は,貴方が考えているような世界の中心ではない。
日本は世界の中の小さな,ほんの小さな駒でしかない。
日本は世界に対して何の影響力も無い。
G7という,かつて繁栄していた国家群の中で互いに傷を舐め合っているだけの衰退国である。
もう国家としての成長は無い。
G7国家は,これ以上の成長はないのだ。
この事は経済法則から明らかになっている。
この事を次回,解説する。
だから呑み込まれる前に活路を切り拓いていかなければいけない。
身の振り方を考えなくてはいけないのだ。
この事を真剣に考えて下さい。

峯岸祐一郎 拝


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