見出し画像

3月11日、あの日の記憶と後悔


2024年3月11日(月)

ランニングを再開した。
長らく中断していたんだけども、ようやく重い腰を上げた。
朝起きたら、とりあえず走りに行く。
出発する前は走るのが嫌過ぎて、家でゆっくりしてたい・・・って気分になるんだけども、帰ってきたらいつも、走って良かった・・・って気分になる。
余計なことを考えずに、何はともあれ、行くのが大事だ。

もう5年以上走っている。
中学生の頃、長距離はまぁまぁ得意って感じで、悪い記録ではなかったんだけども、そうして地道に走ってたら、中学生の記録を超えられたりして楽しい。
30代になって、「あの時の(輝いていた)オレ」に勝つ感覚。
他の誰かと競う訳ではなく、自分と競う。

とりあえず10~15分、軽く。
30分ぐらいまで伸ばしていって、朝以外も含めて週40キロぐらい走れるようにしたいなぁと思う。
ひたすら、さらに、磨いていきたい。

3月11日だ。
あの時僕はもう東大にいたんだけども、春休みで帰省していて、大阪の実家で過ごしていた。
だから直接の被害は何も受けていない。
でも、テレビや東京の友達とのやり取りを通して、忘れられない光景や感覚がいくつも残っている。

大阪でも感じた、それまで感じたことのないゆっくりとした、振幅の大きな揺れ。
その時読んでいた生物の教科書。
おばあちゃんと見た、押し寄せる津波の中継。
夜通しけたたましく鳴る緊急地震速報。
朝まで見続けたニコ生の報道。
その傍ら続けた東京の友達とのやり取り。

僕はちょうどあの日の1ヵ月程前に、福島から宮城の沿岸を旅していた。
あの日、僕が訪れた場所には津波が押し寄せた。
あの海岸や、あの駅、あのスーパー・・・どれもはっきり覚えているけど、僕の記憶の中にある光景はもう永遠に失われてしまった。

旅以来、僕はそのエリアを一度も訪れていない。
どうしてボランティアに行かなかったんだろう・・・と、後悔し続けている。
僕が行った所で何か特別なことが出来た訳でもないだろうから、それは本当に自分の自己満足、自分自身の問題なんだけども。
自分の中で納得がいっていない。

どうして僕は見ているだけで行動しなかったんだろう?
今から何か出来れば少しは納得出来るだろうか?
僕に何が出来るんだろう?
また災害が起きた時に、僕はどういう行動が出来るだろう?

この後悔は、いつまでも残り、自問自答は続くだろう。
抱え続け、問い続け、動きに繋げていくことに、何か意味があると信じるしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?