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母親と僕はあのコンビニのカツサンドが好きだった。


2024年4月22日(月)

朝、いつものように近所の神社にお参りしたら、池の錦鯉が1匹死んでいた。
悲しい。
同じ池に暮らすミシシッピアカミミガメが4匹むらがり、鯉の亡骸にかぶりついていた。
小さい池だけども、ここにも確かにこの環境で生きる生き物たちの生態系、食物網がある。
僕は鯉に手を合わせて、心の中で「南無阿弥陀仏」と唱えた。
でも。神社で南無阿弥陀仏で良いんだろうかと疑問を覚えながら神社を後にした。
あのミシシッピアカミミガメが死んだら、鯉が食べるんだろうか。

昨日の話だけど、地元の友だちから実家の近所のコンビニが潰れたという連絡が来た。
急いで母親に連絡して確認したら、母親はまだ知らなかった。
仮にこれが、都会のコンビニが密集した地域の話だったら大した問題じゃないんだろうけども、それなりに田舎なので、近所のコンビニがなくなるというのは一大事だ。
コンビニがインフラになってる(例えば災害時の日用品や食料品の調達先として等)と聞くけど、いざなくなってみると、本当にインフラになってたんだなぁと思う。

まだ中学生だった開店日、開店時間に合わせて友達と行った。
僕が遅刻したせいで開店時間に間に合わず、「最初の客になる」という目標は達成出来なくて、「最初に店頭でたむろする」という目標に下方修正した。
おばあちゃんがアイスやデザートを散歩ついでによく買ってきてくれた。
おばあちゃん、ハーゲンダッツはコンビニで買うと高いよとよく思った。
でも嬉しかった。
母親が買ってきてくれた昼ご飯を何度も一緒に食べた。
新商品を美味しいなぁと言い合いながら食べるのが楽しかった。
特に、ちょっと高級なおにぎりと、カツサンドの味は今でもよく覚えている。

「コンビニ弁当」という言葉が、不健康で美味しくないことを暗示するように、コンビニはどうしても雑に扱われがちだと思う。
でも、振り返ってみると、自分にとっても、家族にとっても、地域にとっても、こんなに大きな存在になっていたのかと思う。
今週は、あのコンビニと共に過ごした時間を思い出しながら、あのおにぎりやサンドイッチを食べてみよう。
まだ売ってるかな。
売ってると良いな。

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