声明を響かせる
2024年9月2日(月)
一昨日、森美術館でシアスターゲイツのライブを見たと書いたけど、その中で日本の声明の音源が流れていた。
一時期、声明カッコイイなぁと思って繰り返し聴いていたことがある。
東大寺の声明とかは録音されてCDになっているので、確かそれを図書館で借りて聴いていた。
やっぱカッコイイなぁと改めて思って、Spotifyで調べてみたらあったので、今日は声明で鼓膜を震わせていた。
やはり良い。
こんな風に声を出したい。
それにしても、スマホ✕サブスクで声明を聴く時代になったか。
ところで、声明とはデジタル大辞泉によると「仏教の経文を朗唱する声楽の総称。」とのことで、つまりは、僕たちが普段「お経」と呼んでるお坊さんのパフォーマンスは声明らしい。
お経はその歌詞みたいなもの、という理解。
おじいちゃんが亡くなった時、実家にいつも来てくれるお坊さんの声がイマイチで、家族の間では不評だった。
それで、僕は低くて良い声をしているからちょっとやってみろと母親に言われて、練習してみたことがある。
夏休み中に般若心経を覚えた。
結構評判が良かった気がする。
体が震えて心も震える気がしてとても気持ちが良い。
またやってみよっかな。
声明に興味を持つキッカケになったのかは覚えていないんだけども、高野山の奥の院でお坊さんがズラッと並んでお経を唱えている様を見た時の衝撃はずっと忘れ得ない。
今でも弘法大師のご飯を運ぶ様子、弘法大師の眠る地下の空間などと併せて、見てはいけないもの、あるいは、生半可な気持ちでは見てはいけないものを見てしまった気持ちになったことを覚えている。
比叡山もしかり、人里と隔てられた異界のような場所で連綿と続く仏教文化に触れると、その歴史、規模、深度に震える。
久しく高野山に行っていない。
また行ってみよう。
料理写真をSNSに上げるのはなんかイキってて嫌だったんだけども、上げたら上げたで意外と評判が良かったりもする。
それに喜んでしまうおめでたい頭。
これは煩悩だろうか。
悩ましい。
般若心経でも唱えるか。
料理は大好きなんですよ。
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