新卒3年目のわたしが難病「シェーグレン症候群」になるまでと、諦めてから生きやすくなったお話
難病というとどんなイメージを持つでしょうか? 日々の生活もままらないとか闘病生活だとか、ドラマで観た余命のあるヒロインのイメージでしょうか。しかし「シェーグレン症候群」という難病患者になった私はパッと見は病気に見えず、元気な人だと思われます。
しかし実際のところ諦めを抱えて、限られた中でより豊かに生きる工夫を強いられています。
このnoteでは、筆者が難病の診断がつくまでのお話や、心とカラダの向き合い方について書いています。自己紹介がてらにお読みいただけますと幸いです。
シェーグレン症候群ってなに?
シェーグレン症候群は膠原病のひとつで、自分の免疫機能がなぜか自分を攻撃してしまうという病気です。常に体が戦っており、体内で炎症反応があり倦怠感と特に目や肌、喉といった粘膜が渇きます。
紫外線を浴びると症状が悪化するのも特徴です。関節がこわばったり、指先にしもやけができたりとぱっと見ではわからない症状がたくさんある病気です。
ずっと続く微熱とドライアイ・喉の渇きや体重減少
どのような症状から病気に気付いたかというと、夜中何度も喉が渇いて水を飲むために起きる、そのため眠りが浅い。朝起きると目薬をささないと目が開けられないほどのドライアイ。そして37.1〜37.3℃の微熱が1ヶ月以上ずっと続いていました。
どのような経緯で医師に診断を受けたか
当時とにかく1番厄介な症状が微熱。微熱の状態で働くと頭も回らずだるく仕事にならない。内科に行っても不明熱と診断されるだけ。昼休みに内科に行って点滴を打ちながら昼寝して午後から働くという生活をしていました。
そんな時、デザイナー職の先輩が声をかけてくれたのです。ずっと微熱があることと体調がすぐれないことを伝えると
「めまいや体重が急に減ったとかある?」
「めまいやふらつきはあって、体重は確かに痩せた(当時163cmで45-48kg)」
「じつはわたしバセドウ病なんだよね。甲状腺の病気。薬飲んでなんとかやってるんだけど、甲状腺の数値調べた方がいいかも」
と。
甲状腺なんて初めて聞きました。すぐに専門医を調べて検査をすることに。ようやく病名がつくのかと思っていくと
「甲状腺には問題ありません。ただ症状を聞く感じ膠原病かもしれません。紹介状を書くので国立病院機構九州医療センターを受診してください。」
とのこと。
「こうげん病?」
初めて聞く名前にいよいよ不安になってきました。
紹介状を携えて国立病院機構九州医療センターへ。初めていく大きな病院に着いた時から心が折れ始めました。
待ち時間もありえないほど長く、診察も流れ作業。そこでわたしは診断がつきました。
「うん。抗体の数値が高いので、シェーグレン症候群で間違いないですね。特に治療法がないし、その程度の症状なら薬も出せないし。妊娠するときだけ気をつけて、普通の病院じゃ産めませんよ。子供に1〜5%の確率で心臓に障害が出るから。じゃ!」
と帰らされました。大きな病院特有の長い待ち時間と無機質な空間で心底疲れていたものあり、先生の話はそのくらいしか記憶に残っていません。
診断を受け入れられない葛藤
聞いたことない病名と、子どもに障害が出るかもしれないということで軽いパニックになりトイレで号泣しました。
聞いたこともない病名で治療法がない? 妊娠できないの? など突然人生が終わるような気持ちになりました。当時24歳でした。
トイレで泣きながら病名をgoogleで検索してみると「難病」の文字。涙で画面が滲んで何も考えられないし、その先生は全然親切じゃないと思ってしまいました。
それから後日、検査結果を持っていつもの内科で解熱剤を。眼科で目薬を。心療内科で睡眠薬と抗うつ剤をもらい、うつの診断書をもらって会社は休職しました。
発症のきっかけは過労
シェーグレン症候群はストレスがトリガーとなり発症してしまうことが多いそうです。わたしは過労がきっかけで発症してしまいました。
新卒で入社した会社はみんな優秀で、よく働く人が多い会社です。仕事はやりがいもあり楽しく好きでした。毎日遅くまで働き、酒を飲み、よく遊びよく働く。
そしてある時クライアントの担当者変更で来た新任の方と折り合いが合わず、とんでもなくストレスを抱えていました。
もっとはやくポジションチェンジをしていたら、転職していたら、病気にならず普通にサラリーマンできたのかなぁとも思います。
たらればですが、たまにそういうifも頭をよぎります。
診断を受けた後、病気を受け止めることができたか、といえばそう簡単ではありませんでした。朝まで飲んで自暴自棄になったり、旅行に行っては疲れたり。
これから先の人生を謳歌できないことの悔しさを感じ、無理に元気に振る舞おうとしていました。
自分の病気への理解もなく、紫外線にあたると症状が悪化することも知らず、どんどん症状は悪化していくばかりでした。
余命があるわけでもなく、一生治らず一生病気と付き合っていくのは地獄だと思っていました。
5年ほど付き合った彼氏にもインドのタージマハルでフラれ、本当に悪いことだらけでした。仕事もなく彼氏もなくこの先どうしていいかわからない全くのどん底でした。
身体と心のバランスを取り戻すまで
気持ちや考え方の変化が訪れたのは「諦め」がついたからです。諦めがついたのは知識を得たからです。とにかくインプットをしたのです。
病気の基礎知識を勉強し、体験談を読みほかの患者さんの生き方を学びました。紫外線に当たらない暮らしを徹底するだけでも、身体の負担はグッと減りました。
治療は大学病院など大きなところは診断確定時のトラウマがあり嫌だったので、東京の東側にある小さな病院で専門医を見つけ主治医になってもらいました。
この先生がとても親身になってくれて、たとえば「喉が炎症してしまうから市販薬のペラックを飲んだら良くなった」と伝えると処方箋でその薬を出してくれたり。
本当にしんどい時はステロイド剤も試した時期もありました。ただし副作用が辛くなるべく早々にやめました。
現在ではビタミン剤のトランサミン・去痰薬で調子を保てています。妊娠出産に関する不安も、合併症が出ないか血液検査に項目を追加してくれたり、こんな病院があるよと教えてくれたりとても親切です。
生活面での課題は、紫外線にあたると症状が悪化し微熱と倦怠感で動けなくなること。そのため紫外線対策には詳しくなりました。
ビタミンを飲み、日焼け止めを塗り、『サンバリア』の日傘と出会ったり。
出かける時間はUV指数を必ずみて、出かける出かけないの判断をしたり、工夫を凝らしています。
紫外線に当たらないことにより、肌はとても綺麗になったと感じています。いいおまけです。あとは筋トレをしてポジティブになったり、栄養にこだわったりして、人並みに生活できるようになったかもしれません。
周囲のサポートを得るまで
病気と共に生きる上での工夫や気付きは、限られた中で豊かに過ごそうと心持ちが変わったことでしょうか。とても優しくなったと思います。わたしが「やさしいくらし」をモットーに仕事を行っているのも病気のおかげです。
病気になったことは悲しいけれど、病気のおかげで今のわたしがあってそれを好きだと言ってくれる友人が周りにいることが幸せです。
家族や周囲の理解やサポートの有無も闘病生活には重要です。
パッと見で病気に見えないので仕方ないのですが、話しても病気を理解してくれない人とは疎遠になりましたし、病気を理解してくれる人はとても大切にするようになりました。
ご紹介した「しあわせは食べて寝て待て」という漫画は、同じ膠原病を持つ漫画家さんによるもので、読むと難病のあるくらしがどんな感じなのか追体験できます。病気のことを知ってもらうために、この漫画をおすすめする機会も増えました。
クライアントに言うか言わないか
お仕事では、持病があることを理解して依頼量をセーブしてくれたり、病気があっても雇ってくれたクライアントもいます。外に出る時は日陰で一緒に待ってくれたりします。そういう小さな気遣いはとても嬉しいものです。
その分成果でお返ししたいので、頑張ってお仕事をしています。
新規のクライアントには基本的に、持病のことは言っていません。病気のせいで仕事任されないと困るので。なのでとても健康に気を遣っている人という印象を持たれるようで、これがまた仕事につながっています。
成果を出して長期的なお付き合いができるようになったら、ちょこっとお話しする場合もあります。
夏は紫外線指数が高いので、外で打ち合わせの場合は時間を夕方にしてもらったり、撮影も5月から8月まではロケ撮影は辞退したりしています。
病気だから仕事が遅れる、仕事ができないということはないよう、あらかじめ業務時間は短く設定し無理ができない仕組みに。納期は余裕を持って進行しています。
これらの工夫により、フリーランスの働き方には自信があります。逆にサラリーマンとしての働き方には、体力的な不安があり、なかなか踏み出せずにいます。
諦めてから生きやすくなった
突然の難病や課題など。生きているといろいろなことがあるものです。自暴自棄になるやもしれません。でもそんな時には栄養のあるものを食べてゆっくり寝て、あまり紫外線に当たらないようにしてください。普通の人でも、健康的な生活を送ると人生が好転するかもしれません。
諦めることはネガティブに思えますが、諦めたところから工夫がはじまることもあります。
そしてやはりこればっかりは昨日今日ではなく、自分と向き合い、時間をかけて諦めたり、納得したりするもの。病気とともに生きていくには時間という薬も必要かもしれません。
周りで身近な人が病気になったとき、また自分自身が病気になった時。どうか時間をかけてあげてください。知識を得ることから始めてみてください。ゆっくり少しずつ関係性を深めて寄り添って。「諦めてもいいんだよ」って。
「諦めたらそこで試合終了ですよ」というスラムダンク・安西先生の名言がありますが、人生は長いですから。諦めてみるとまた違う道もあるのかもしれません。
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