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『琥珀の夏』 辻村深月 作 #読書 #感想

あらすじ(Amazonより)

大人になる途中で、私たちが取りこぼし、忘れてしまったものは、どうなるんだろう――。封じられた時間のなかに取り残されたあの子は、どこへ行ってしまったんだろう。
かつてカルトと批判された〈ミライの学校〉の敷地から発見された子どもの白骨死体。弁護士の法子は、遺体が自分の知る少女のものではないかと胸騒ぎをおぼえる。小学生の頃に参加した〈ミライの学校〉の夏合宿。そこには自主性を育てるために親と離れて共同生活を送る子どもたちがいて、学校ではうまくやれない法子も、合宿では「ずっと友達」と言ってくれる少女に出会えたのだった。もし、あの子が死んでいたのだとしたら……。
30年前の記憶の扉が開き、幼い日の友情と罪があふれだす。
圧巻の最終章に涙が込み上げる、辻村深月の新たなる代表作。

ミステリー小説ではない。確かに弁護士さんは出てくるのだけれど。
そして明るいか暗いかで言ったらかなり暗い。ほぼずっと暗い。
どうしても「閉じ込められているともいえる子供たち」の状況から 約束のネバーランドを思い出してしまった。




簡単に登場人物の紹介

近藤法子(ノリコ):小学校の頃、合宿という名のイベントに参加し、〈ミライの学校〉の存在を知る。
ユイちゃん:ノリコを〈ミライの学校〉に誘う。母親が〈ミライの学校〉の考え方に染まりきっていた。
ミカちゃん(田中美夏):当時小学生のノリコにとって合宿の間だけ会える大切な友達。今では〈ミライの学校〉で重役を務める。同級生のヒサノを殺した罪に問われ、ノリコが弁護人となる。
ヒサノちゃん:いわゆる「クラス内でうまく立ち回れる女の子」だが、だんだん素行が悪くなる。白骨死体として見つかる。
シゲルくん:ミカちゃんの同級生であり、ミカちゃんの元旦那。ノリコの憧れ。ノリコにミカの弁護を依頼しにくる。
チサト:最後までミカの味方でいてくれた、ミカの親友。
水野先生:〈ミライの学校〉の校長。ミカが信頼していた先生。
けん先生(菊地賢):〈ミライの学校〉で教員を務めていたものの、〈ミライの学校〉の考え方が間違っていると気づき、脱退。〈ミライの学校〉の教育の限界に関して本を執筆する。



この小説では章ごとに語り手が変わる。ミカちゃんとノリコという "子供の頃に「友達になること」を誓った2人"が、大人になって再会するのだ。

〈ミライの学校〉は、大人と子供が一緒に暮らさない。大人の元で育つのではなく、社会の中で育つこと・対話を重ねること が重視されている。自分たちの頭で考えることを習慣にすることが重要視され、一種の新興宗教と呼ばれるようにまでなった。資金源は湧水。山の奥にある泉をとても神聖視していたのだ。

だからこそミカちゃんは「大好きな親と一緒に暮らせない」寂しさを抱えながらも、自分も"ちゃんとした"親になれる自信がなく、結局自分の子供にも同じ思いをさせることになる。そうしたかったわけではなく、そうせざるを得なかったのだ。

たくさんいろんなことについて議論することは〈問答〉と呼ばれ、平和や戦争という大きなテーマについて語られていた(レベルが高いとも言えた)し、必ずしも「楽しくない」場所ではなかったはずである。(ノリコ自身もそう言っている。)そこに目に見えない閉塞感があろうとも、漠然と「この子達はすごい」と思えるような子供と生活するのはどんな気持ちなのだろう。



307ページ以降、〈ミライの学校〉の限界が語られる。

〈ミライの学校〉がいくらきれいな言葉で大義を語ったとしても、中にいる子供たちの環境は、その子ではなく、親の意思で選んだものです。そこで育つことを彼らは選んでいない。
(略)
教育以上の学歴も、外の世界で基本となる常識もない状態で放り出されることになる。
(略)
団体に新しく入ってくるのは、裕福な家の専業主婦のような人が多かった」
(略)
金があること、暇があること、熱意があること。− そういう女性が、〈ミライの学校〉の存在を知ったとします。

〈ミライの学校〉では女性の存在が強かった、ということが語られている。子供のために何かしてあげたい、というその母親としての「真面目さ」が〈ミライの学校〉に染まる原因になる。良くも悪くも。

太字で強調した3つの「〇〇こと」が、嫌な感じに自分に刺さった。いわゆる世の中で「教育ママ、意識高い系」なんていうふうに呼ばれる人のことを少し想像してしまった。こういうのがバイアスの始まりなのだけれど。

子供のためを思ってしていることが、かえって子供の視野を狭めるきっかけになっていると思うと恐ろしいよね。〈ミライの学校〉もそうだけれど、〈ミライの学校〉の中での社会性が身につくだけで、結局「社会に出て様々な人と関わる」ことがこの学校では出来ていない気がする。
何を言っても一定ライン認めてくれる(否定してこない)貴重な大人の存在はあるけれど、その大人も意図してか意図せずにかはさておき、何らかの「教え」を まだ純粋な子供たちに乞うてるように感じた。



458ページより。ミカとシゲルの子供の名前は、遥(ハルカ)と彼方(カナタ)という。以下、ノリコの感想。

子どもたちの名前に、大きな世界を感じた。生まれた土地から離れて、遠くへ行ってほしいという、願いのようなものを。
「なりたいものになる」自由も、そこには含まれている気がした。

〈ミライの学校〉は、子どもの未来を守るために、その子が描きたい未来を描けるようにするために、建てられた〈学び舎〉だったはずである。でもそこにあった〈ミライ〉は、本当はすごくすごく小さくて狭くて、社会から断絶された未来だったのかもしれない。子どもたちはどこかで「おかしい」を抱えながら、生きていたのだろうか。

..........普通の「学校」に通っていたって「おかしい」だらけだものね。ちょっとした違和感を捨ててはいけない。大人という権力者の言うことが、いつも正解とは限らない。
私自身それに気づくのが、本当に遅くなってしまったなぁと思う。



496ページより

〈問答〉で何をどう結論づけるか。自発的に話し合うようにみせかけて、ひとつの「これが正しい」という流れに誘導していくこと。
世の中には正解がある、と信じ込ませること。
正解も、これが絶対という正しさも、この世の中には明確に存在しないかもしれないのに、それがあると思えることこそが、誰かに導かれた考え方だと美夏が悟ったのはいつのことだろう。〈ミライの学校〉では、いつもそれがあるように言われていた。思わされていた。

太字にした一文が痛いほどに刺さった。あぁ確かにそうだったのかもしれないな、自分もそう思わされていたなぁとも思うし、自分の正しさで 誰かの正しさを否定しようとしていないか、ちゃんと考えないといけないと思わされた。

「君が傷つかないように、大人が君を守る」という言葉の恐ろしさに、もっと早く気づかないといけなかった。大人が教えてくれる正しさに、もっと早く疑問を持てるようにならないといけなかった。

たとえそれが生きづらさにつながってしまうとしても。


この辺にしておこう。









〈ミライの学校〉と聞いて、現実世界のどんな教育が思い浮かんだだろうか?

531ページより

本当に悪かったのが誰か、「誰も悪くない」「誰のことも傷つけない」と言いながら、全部を美夏のせいにする。すべては、美夏を守るために。
なかったことにするために。




主文
原告の損害賠償請求を棄却する。





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