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『雨の降る日は学校に行かない』 (相沢沙呼 作) 2 #読書 #感想

昨日の続き。

死にたいノート

これはノートに毎日死にたい、死にたいと遺書を書いている女の子の話。死にたい理由を毎日妄想して、毎日言い様のない寂しさを抱えながら生きている。

彼女は「死にたい」から苦しくて悲しんでいるのではなく、「わざわざ死を選ぶような理由を持ち合わせていない自分」に苦しんでいる。自分に「死ぬこと」を選択させられるだけの 納得できる理由が、彼女にはないのだ。

そんなある日、彼女はこの手帳を何処かに落としてしまう。そんな時、手帳を拾ったとある女の子が彼女の前に現れ、言うのだ。「この手帳の持ち主を一緒に探してくれないかな?」と。

112ページより

死にたい。死にたい。
生きたい。そんな言葉は一つも書かれていなくて、それなのに、手帳に刻まれた自分の文字を見つめ返すたびに、どうしてか涙が溢れる。
死にたい。死にたい。
そう思った数だけ、わたしはきっと、生きていたい。
そう思った数だけ、わたしはきっと、しあわせになりたい。

このお話はあまり自分には合わなかったのでサラッと書き終えておく。



プリーツ・カースト

スカートの長さが、教室での地位をあらわしている....という話。この話はとてもリアルなため、私はかなり好きである。スクールカーストに対するこんな"葛藤"が多くの人にあったのではないだろうか。ただそれを、口に出すことができなかっただけで.....。

130ページより

クラスのランクって大事だ。あたしたちは似たもの同士で集まって、同じ性質を持っているから仲良くなれる。ランクの違うことは仲良くなれないし、無理して一緒になる必要もない。優れた種は優れた種同士で結びつく。(略)
人間は、どうせ違う種類の人間とは仲良くなれない。

スクールカーストを経験したことがないという人が、この世にどのくらいいるのだろうか。その人が感じなかったとしても、確かに目に見えずそこに存在していたのかもしれないし、それが暗黙の了解だったのかもしれないし.....。
学校という閉鎖的な空間の中でスクールカーストが確立されすぎてしまうと生徒たちに与える悪影響は大きくなりすぎるように思う。
その時点で自分は"弱者"の側の人間なんだ....なんていう風に劣等感を感じてしまったら、それは一生付きまとうものになってしまうかもしれないのだから。

このお話ではとある女の子(スクールカースト上位)の葛藤が描かれている。本当に醜いのは スクールカースト下位の人間ではなく、"大した理由もなく誰かを虐げたりしている自分たち"の方なのかもしれない....と、彼女は感じているのだ。

どうして彼女らは派閥が違うというだけで、グループが違うというだけで、こんなにも違ってしまったのだろうか。
そこには確かな人間関係の壁が立ちはだかっていて、この壁は1人ではなかなか乗り越えられない。どうしてもクラスの雰囲気の"波"に乗らずにはいられない状況に、遭遇してしまうことがあるのだ。

146ページより

どうして、あたしたちは、スカートの丈が違うだけで、こんなにも違うのだろう。こんなにも、違う生き方をしているのだろう。それとも違うように見えるのはスカートの丈だけで、ほんとうは同じところがあるのかもしれない。



放課後のピント合わせ

このお話は、自分の体の写真を撮りネットにあげ、承認欲求を満たそうとしている女の子の話。どこかでクラスの人間に感じている劣等感や居心地の悪さ。でもネットの世界では自分は注目してもらえる、トップに立てる。

そんな彼女を変えたのは、1台のカメラとの出会いだった。レンズ越しに見えた景色.....友達と2人で見た景色.....

彼女たちは、どこに"ピント"を合わせて世界を見ているのだろうか。
2人の"ピント"が合った時、同じ世界を見ることができているのかもしれない。

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