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ドン・コルレオーネ、どうしてこの本は面白いんでしょうか 1

「逆ソクラテス」。伊坂幸太郎作の短編集である。

私は伊坂幸太郎がそこそこ好きだ。有名作といえばどの作品なのか、がよくわからないとはいえ

伊坂幸太郎の作品を数多く読んできた中で

この本はトップ3を争うレベルで"読みやすい"作品だと思う。

逆に読みやすい作品であるがゆえに、作者の真意を読み取りたくなるのだ。




ひとまず全部の短編について触れるかは決めていないが、それぞれの物語の中身に触れていく。

1. 逆ソクラテス

題名にもなっているこの話。

自分の考えは正しいと信じてやまない、物事を決めつけて、それを周囲の人へも押し付ける。そんな人のお話だ。

あなたの周りにこういう人はいるだろうか。

完璧な人間などいるはずがないのに、自分は完璧だと思い込んでいる人。

自分は間違っていない、自分の考えや判断は正しい、と思っている人。


こういう人間が存在しちゃいけないとか、そんなことは言わないが

この物語に出てくるこういう人間は、1人の"教師"だ。

教師ともあろう人間が、自分の考えを信じてやまず、それを生徒に押しつけていく

というようなことは、あってはならない とは言いたい。


ソクラテスは言ったらしい。

自分は何も知らない、ってことを知ってるだけ、自分はマシだ。


どうせなら何でも知ってるって思い込むような人間ではなく

何も知らない、自分は完全ではないと考えられる人間でいたい。




2.スロウではない

あなたは許せるだろうか。

例えば自分の親友がクラスの誰かにいじめられていたとする。

いじめの加害者を、あなたは許せるだろうか。


例えば自分自身がクラスの誰かにいじめられていたとする。

いじめの加害者を、あなたは許せるだろうか。


あなたはとある学校のとあるクラスにいる生徒だとする。

そこに、転校生がやってきた。

転校生が、いじめの「被害者」であるがゆえに

学校を変えようと転校してきたらどうだろうか。

転校生がいじめられっ子だったら、何か変わるだろうか。


転校生が、いじめの「加害者」であるがゆえに

人生をやり直そうと転校してきたらどうだろうか。

転校生がいじめっ子だったら、何か変わるだろうか。



自分なりの答えを書いてみる。

いじめられっ子だったら、きっと何も変わらない。

その子自身を理解し、

受け入れてあげられれば良い。

いじめっ子だったら、きっと何か変わる。

その子の「人生をやり直したい」という気持ちを、理解してあげられる自信がない。

だってその子は、「加害者」だから。

その子のせいで傷ついた誰かが、

今でもその傷を背負って生きているんだから。


ドン・コルレオーネ、いじめっ子は許されるんでしょうか。




つづく。




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