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人は自分と他者を比べて「しまう」

雨上がりの空を何気なく見上げたら大きな大きな虹が出ていた。

雨の日は偏頭痛がひどいし憂鬱な時もあるけれど、

セカオワの「umbrella」を聴きながら見上げた虹は今日をちょっとだけ良い日にしてくれた。


🔁


人は自分と他者を比べる。

「比べてしまう」と言ったほうが正しいだろうか。

比べるのがダメとは言わないけれど、

だいたい人は他者と自分を比べるとき、

自分を「卑下」するのだ。

あぁあの人はあんなに頑張っているのに

あぁあの人はあんなにすごいのに

あぁあの人はあんなに輝いているのに


なのに自分は、

だけど自分は、

自分という人間は.....

そう思いながら自分と誰かを比べるのだ。



そりゃあ流石にいつもいつも自分を卑下するわけではないだろうし、

他者と自分を比べることによって、

かえって自分も頑張ろうという気持ちになったり、

あの人には負けたくないなんていうプラスの気持ちが

生じたりすることもあるだろう。



でも自分と誰かを「比べて」プラスの気持ちが生じる時なんていうのは

「比べる対象が自分という存在によって変化し得るものであるとき」

そういう時だけだ。

例えば勉強の出来具合。

努力すればまだまだ自分は変わることができる。



でも意外と自分と誰かを比べてしまうときなんていうのは

「もう自分という存在によって変化させることができないもの」

が多いのだ。

例えば結婚や出産。

あの子はもう結婚して〜〜なのに、あなたは〜〜歳にもなってまだフラフラしているなんて

そんな言葉をこれから先言われることもあるかもしれない。

例えば容姿。

あの子はあんなに可愛くて足が細くて背が高いのに、

自分はブサイクで足も太くて顔も大きい。

なかなか自分では変えられないことほど

人は自分と誰かを比べてしまうのかもしれない。




自分と誰かを比べなくたっていい

人と比べて考えなくたっていい

結構小さい頃から言われていることだ。

でも人は、自分と誰かを比べてしまう。

どうしてなのだろうか。

この疑問に自分なりの答えはまだ出せていない。


人は何かと自分と誰かを比べる。

嫉妬や羨望の感情を持つ。

誰かと比べてはいけない!と言われても

人が自分と誰かを比べることをやめることはないだろう。



だって人は「比べる」んじゃなくて、

「比べてしまっている」から。

ひとまずこういう言葉で、

自分と誰かを比べることは良いことではないと

なんとなく指し示している。

人は自分と誰かを比べた瞬間に

ほんの少し絶望している。

変えることのできないものに抗うことは大変で

心が疲れてしまうから。




自分と誰かを比べなくたって良いよ!

そんなことやめちゃいなよ!

人は他者にはこれを言えるのに

自分自身には案外言うことができない。

一種の弱さなのだろうか。




綺麗事は響かないこともある。

むしろ響かないことの方が多いか。

そんなことを思いながら、

私は今日も自分と誰かを比べている。

"誰か"より優れた人間になるために。

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