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"生きづらい"と思ってしまうこと

自分で書いたnoteをたまに振り返ると、

昨日は本当にカスみたいなことしか書けてないな〜と反省することがよくある。

今度からもう少し推敲してから書こうかな、と思いつつ

時間が限られる中での最大限をかければ良いのかな、とも思う。


🔁


誰かのことを、「この人生きづらそう」と思ってしまうことがある。

特にSNSを見ている時なんかはそうだ。

ツイッターの中やnoteの中でそういうことをよく感じてしまう。

そんなのは自分の価値観というか尺度で他人の人生を

はかっただけなのに。

でも「生きづらそう」と思ってしまうのだ。

特に現実世界の人間関係が薄くて、というよりかは

いわゆる「マサツ回避世代」なんだろうなぁという人を見かけると

この人は所詮自分の身近にいる人間に自分の意見を直接言えないから

相手と意見が異なって争いになるのを避けたいから

相手の意見を直接否定しにくいから

こういうところでその声を言葉にしているんだろうなぁ、と思ってしまう。

生きづらくて現実世界からネットの世界に逃げているんだろうなぁ、と思ってしまう。


現代の若者は結構ネットの世界に友達など人間関係を求めている人が多い気がする。

出会い系アプリで誰かと出会うのも同じだ。

ネットを通して誰かと知り合うのも同じだ。

自分の過去を知らない誰かとの新しい関係を築きたくて....

そういう人は、多いと思う。

それがダメと言いたいんじゃなくて、ネットの世界と現実世界を両立させないとダメなのだ、きっと。

もちろんこれは私の価値観だが

ネットの世界を充実させているだけの人は生きづらそう、とも思ってしまう。

あまりにも現実の人間関係が希薄すぎて、生きづらそうと思ってしまう。

2つの世界を両立できる人は、ある意味孤独を感じている人なのではないだろうか。

孤独だからこそ両方を楽しめる。

それぞれの世界でそれなりにうまくやる自分をそれぞれ楽しめる。

そんな風に感じることがある。



マサツ回避世代の代表例となるような人が、絶対に生きづらい人、というわけではないにしろ

ネットの世界に踏み込んでいくことによって、

どんどん自分を生きづらくしているように感じてしまう。



自分の尺度で人の人生がどうであるかを決めてしまうことが良いことだとは思っていないが

それでもSNSとうまく付き合えない人は、"生きづらそう"と思ってしまうのだ。

ネットの世界に逃げたはずなのに、かえってネットの世界に苦しめられている。


そんな気がしてしまうのだ。


器用に生きる、ってどういうことなんだろうね。