ルールメイカーの熱意に感化された、ダメな大人のつぶやき〜カタリバでのボランティアを通して〜
NPO法人カタリバさんのボランティアをお手伝いしてきた。
ルールメイキングサミット。
身近な「校則」というものに疑いや違和感を感じて、行動してきた生徒たちに出会った。
このnoteを書いた時が、私とカタリバとの出会いだった。
大学生から大人になって、まさかボランティアとしてルールメイカーたちと出会えるなんて、本当に嬉しかった。
生徒たちの熱意に感化された私は、自分がダメな大人になってしまったような気さえしていた。
周りの環境に甘えて、違和感を無視して、上に反抗することもせず、明確な目標もなく、自分が変わろうとする前に 周りを変えようとする前に逃げようとする。
自分はもう、ルールを守るだけの大人になってしまったのかもしれない….と考えさせられた。
午前中は、100人100物語ピッチを聞いた。
生徒1人1人の熱意にただただ心を動かされたし、誰かを否定することなく問いを立て続け、そして対話することの難しさを知った。
生徒たちの葛藤とか、苦しみとか、身につけた能力とか。全部が特別なものに感じられたし、丁寧に言葉を紡いでいく生徒を見ていると、忘れてしまった物を思い出せるような気がした。
そして感じたのが、教師や地域の人など、大人の凝り固まった考えだった。
多くの大人の否定に合い、傷ついた生徒を見ていると
ルールを変えられた人たちもそうでなかった人たちも、周囲の人の意見を聞く中で 様々な葛藤があったのだろうなと思わされた。
何気なく抱いた違和感を無視せず、勇気を持って言葉にして、周りを巻き込んでアクションを起こしてきた。
きっと社会に出たらすごく必要な力ばかりだ。今のうちから身につけて損はない。
でもいつか心が折れてしまわないか、心配になりもした。
社会に揉まれて苦しまないか、余計なおせっかいをしそうになった。
これを読んでいる皆さんは、学校の校則に違和感はあったでしょうか。
私はかなりルールを真面目に守っていた人間だろう。ルールの存在と意義を疑いもしなかった。
時代が変わればルールも変わる。変わらなければルールは意味をなさなくなる。そんな当たり前のことに気づけないくらい、私は自分だけのことに精一杯だったのかもしれない。
私がやらなきゃ、他に誰がやるんだ…..くらいの気持ちを、忘れてはいけない気がした。
午後はアイデア分科会といって、ゲストの講演を聞いた後 生徒たちと1on1をした。自分の身の回りで当たり前に浸透しているルールというものに対して、これほど疑問を持ったことは私にはないだろう。
到底自分は何もアドバイスなんてできないような気がしたし、就活で生徒の心が折れてしまわないか、余計な心配までしそうになった。
企業の人というだけで、すごくキラキラした目で見てもらえる。
生徒たちの多くは、校則を変える際に「大人」の反対にあっているだろう。
それでもまだ私は大人として期待してもらえるんだ、この大人なら話を聞いてもらえるかもしれないと思ってもらえるんだということに、嫌な安心感さえ覚えてしまった。
「今の違和感を変えようとする」彼ら彼女らに次に会うときは、もっと恥ずかしくない大人になっていたい。
生徒たちが大人相手に交渉し、「校則は守らないとダメでしょ」「意味なんか考えてもしょうがないでしょ」というような一言を浴びせられる。
私もこんな状況をどうにかしていける、先生にならなければならないと感じられた。
これを読んでくれているすべての人に、生徒たちがあげている声を知ってほしい。
ブラック校則に反抗したいとか、とりあえず大人に反発したいとか、そんな単純な話ではないのだ。
彼らは大人の話を聞き、対話をしようとしている。
先生は敵ではない、最上位目標は同じだ、違和感を無視してはいけない、多くの人の意見を聞かなければいけない、みんなが納得できる答えってなんだろう、学校をよくしたい、と。
反対されても声をあげ続け、考えて誰かの前でプレゼンする活動を通して 成長できたと言う。
苦しい時もあったけれど、頑張った時間は無駄ではなかったと振り返る。
そんな生徒たちの声を知ってほしい。
「誰も取り残さない」校則を目指し、対話を繰り返す生徒たちのことを、知ってほしい。
私たちは大人として何ができるのか考え続けなければいけない気がした。