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過去に飲み込まれない"未来"はありますか 2
昨日に引き続き湊かなえさんの「未来」を読んだ感想を書いていく。
私がこの本で注目した、というか印象に残ったのは主人公章子や亜里沙ではなく、担任だった篠宮真唯子先生の方だった。
286ページより
世の中には正論があふれているのに、イジメにしろ、貧困問題にしろ、何十年も前から続く問題が解決されないのは、本音を語らない人が多いからではないか。問題を解決しようという気は無く、自分の方に流れて来る波を堰き止めるために、都合のいい言葉で堤防を作る。もしくは、その他大勢の方に流れようとする。(中略)息苦しい世の中だと嘆いてみせる。生きづらいと不平をもらす。そうすることにより、本当に問題を抱えている人たちが埋もれてしまうことなど気づこうともしないで。
本当に問題を抱えている人たちが埋もれてしまう....という言葉に込められた深い意味は本を読んでもらわなければ理解してもらえないかもしれない。でもお金があるかと聞かれて、生活に困るほどではないけれど貧乏だと答える。幸せかと聞かれると大きな悩みがあるわけでもないのに不幸だと答える。そんな人に対してなんとなく疑問を抱いてしまうのも事実だ。もちろん人それぞれの辛さがあるんだ....っていうのはわかっているつもりだけれど。
この先生の好きなところは、先生に褒められるようなことをわかってやっている生徒をそのまま評価しないことだ。望まれる答えを書き、望まれる考えを示す。そういう態度でいる生徒ほど、本当は心の奥に深い深い闇があるのかもしれない。そうせざるを得ない環境で育ってきたという事実が、そこにあるのかもしれないと思っている。
292ページより
両親が揃っていない子、揃っていても虐待などの問題がある子。イジメられたり、本人の努力とは関係ないところで、世間一般に普通とされる環境にいない子は、短いものさしで自分を必死に守らなければ立っていられないことだってある。
のさし私(篠宮先生)が教師になれば、自分と同じような境遇にある子に、(他人の人生に自分のもを当てて口を出すことは恥ずかしい行為だということを)(略)を伝えられるのではないかと考えると、教師はまるで天職のように思うことができた。
それもまた、短いものさしで測ったことだと気付きもしないで。
この本の中で1番自分に刺さったとも言える言葉はこの部分だ。
自分のものさしで他人の人生を測ることや、勝手に人の幸せの度合いを測って「かわいそう」なんて言葉を使って同情する人間が私は本当に嫌いだけれど、自分も今までの人生で1度もその恥ずかしい行為をしたことがないか、と聞かれれば答えはNOだろう。本当に無意識に人は誰かのことを自分の価値観で評価してしまうのだから。だから人間は愚かなんだとさえ思ったこともある。
篠宮先生は良い先生だと思っていたけれど、上記のような意味で教師を「天職」と思っていたのなら、その考えは間違っているような気がする。
ただ少し思うのは「自分がいじめられた経験があり、それを助けてくれた先生がいたから私もそういう先生になりたいと思った」とか、「自分がいじめられていた時に誰も教師が助けてくれなかったら、私は教師になって自分と同じような境遇の子を助けたいと思った」とか、「自分と同じ思いで学校に行きづらいと感じている子供を助けたい」という理由で教師を志す人間というのはとても多いような気がする。自分で教師になりたい人に尋ねたわけではないけれど、匿名で自分のことを語れる場所では、「自分が教師になりたい理由が『いじめ』に関係していること」を明かしている人はなんとなく多いように感じるのだ。
そのことが教師になりたいきっかけだったり最初の理由だったりするのは良いけれど、1番の理由としてそれを掲げる教師の卵がいることが少し恐ろしく感じた。「自分なら救うことができる」と経験だけで過剰に自分を特別視していないだろうか?極端にいじめられている生徒に思い入れし、他の生徒のことがおざなりになったりしないだろうか?その人が生徒に差し伸べる救いの手は、本当に生徒自身のためだろうか?自分の心の傷を小さくするため....自分の正義で弱さを隠すため....では本当にないのだろうか?
まぁこれは私自身に問いかけるべきことでもあるのかもしれないが。
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過去に飲まれない未来を最後には真唯子にくれた人は、原田くんだった
体を売ってでも教師になった篠宮真唯子先生が、結局それがきっかけで辞めさせられてしまった。彼女は幸せだったろうか?––––– 原田くんがいたからこそ彼女は幸せになれたのだろう。
過去に飲み込まれない未来を私はあるとは思っていない。性的虐待にあった子。DVを経験した子。いじめられた子。自分の意思で選べないのに、いわゆる「普通」と呼ばれる環境で育てなかった子。
彼らが不幸かどうかを決めるのは私ではないが、心の傷とはそんなに簡単に消えるものだろうか。誰かに大切にされ、愛してもらえることで救われるのだろうか。傷が癒えることは、過去を忘れることは、本当にあるのだろうか。
過去に飲み込まれない未来なんて、本当にあるのだろうか?
ただその未来を手に入れようとした人には、心から幸せだと思える人生を送ってほしい。それだけは思っているのである。