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彼女にしてくれなくていいから私の名前を呼んでください、という好き。


恋人がいる時もいない時も、ずっと好きな人がいる。と言うと、友達に驚かれる。

「その『好き』はどういう好き?」と。

その人とは5年前くらいから顔見知りだけど、これといった接点はなく、会話をしたことはほとんどない。半年に一回、偶然遭遇する程度だ。それでも同じ空間にその人がいると、すぐに気づく。外見がとてつもなくタイプだから。長い手足に流した前髪、バターのようにこっくりとした声。その人を直視することはむずかしくて、その人の傍にいると息の仕方を忘れる。

恋人がいない時にその人を見かけると、マッチングアプリを消してしまう。あれほどまでに外見がタイプの人が身のまわりにいると思うと、なんだかマッチングアプリをやっているのが馬鹿らしくなってしまうから。

恋人がいる時にその人を見かけると、「やっぱ、ぐぅかっこいいな」と思う。もちろん一番好きなのは恋人だけど、その人のこともやはり好きだと思う。

世の中には3種類の「好き」があると思っていた。

恋愛感情のある性的な「好き」(いわゆるLOVE)。
友達やペットに感じる愛着の「好き」(いわゆるLIKE)。
オタクが推しに抱く、盲目的かつ性的な見返りを求めない父性や母性のような「好き」(LOVEでもLIKEでもない)。

でも、私がその人に抱く「好き」はそのどれでもなかった。

アイドルオタクのように「この人が存在してくれているだけで尊い」、「生きていてくれること自体、ファンサービス」みたいな崇めたてまつる感情はない。正直、「あわよくば」というやましい気持ちはずっとある。機会があればお近づきになりたいとも思う。

でも、これが恋なのかと言われれば、それもちょっと違う気がする。恋するほどその人のことをよく知らないし、会えなくても別に焦がれたりはしない。会えなきゃ会えないで普通に生きていける。でも、たまに会えるとその日一日ご機嫌で過ごせる。

もし、ある日突然、「連絡先教えて?」って言われたら全然教えるけど、連絡先一生知らなくても平気。

もし、彼女がいるなら見てみたいけど、彼女がいても別にショックは受けない。私がその人の彼女になることはないだろうということもよく分かっている。

でも、その代わり、こう思う。


彼女にしてくれなくていいから、願わくば私の名前を呼んではくれませんか?

下の名前じゃなくて名字でいいので、あなたのそのバターのような声で呼んでみてはくれませんか?

それ以上でもそれ以下でもなく。


私のその人に対する「好き」はそういう好き。熱々のコーヒーでも、はじけるメロンソーダでもなくて、ぬるくなったカフェラテみたいな「好き」。

あなたにもこういう「好き」、経験ない?


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