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息をするように、書く。私には「書く」しか他になかったから、この道を選んだ

 昔から、「変わった子だね」と言われる子だった。

 自分では、何がおかしいのかわからない。真面目に話しても、なぜかクスクスと笑いが起きてしまう。

 何がおかしいのと尋ねる。いや……、だっておかしいんだもんと言われる。ずっとこの繰り返しで、私はおかしな性格のまま大人になった。

 母親は、私のことをずっと心配していたらしい。この子は、本当に変わっていると。

 将来、仕事につけるのか。結婚できるのかと。そもそも、この子は頭も悪いし、悪い人に騙されるんじゃないだろうか。ずっと心配そうだった。門限も決まっていて、少しでも遅れると玄関の前で仁王立ちする母。頭にはツノが生えているようにみえて、とても怖かった。

 私が「変わっている人」だとより認識できたのは、小学校2〜3年生くらいの時におきたある出来事だ。

 何の本かは忘れたが、私は宿題で読書感想文を書くことになった。

 その感想文を読むなり、母は腹を抱えてゲラゲラと爆笑する。真面目に書いたのに。一体、何がおかしいのか。やっぱり、私は変わっているのか。泣きそうになった。

「蛍は一匹じゃないと綺麗じゃないけど、たくさんいると綺麗です。そんな当たり前なこと、感想文に書くんじゃないの。それは、ただの説明じゃないの。感想文は、あなたの感想を書くのよ」

 母にそう言われて、心がずしんとした。そうなんだ。感想文って、感想を書くんだ。でも、学校ではそんなこと誰も教えてくれなかった。本当に、母の言っていることは正しいのか。

 その数日後、母は私に日記帳を渡した。真っ青な日記帳には、可愛らしい子どもたちのイラストが描かれている。可愛いイラストとは裏腹に、母からの課題は、実に辛辣なものだった。

「今日から、毎日ここに日記を書いて。お母さんに渡しなさい」

 その日から、私には日記を書く習慣ができた。日記を書いて、母に渡す日々。母に渡すたびに、あの人は険しい顔でチェックする。

 問題がなければ、無言で渡される。問題があれば、これは変よねと指摘を受けた。ずっと、この繰り返し。書くって、怖いなと思った。

 やがてその習慣は、自然消滅する。母も、面倒くさくなったんだと思う。中学〜高校になる頃には、「母さんね、あなたのこと諦めたの」と言われ、母の期待は優秀な2人の弟に託された。

それでも、母は私に対し、口を酸っぱくしながらこういい続けた。

「オシャレしなさい」
「化粧しなさい」
「身だしなみを整えなさい」

 ああは言うけど。まだ、私のことを諦めていなかったと思う。勉強も、仕事もできないかもしれないけれど。女として、幸せになって欲しかったんだと思う。

 私は、その頃ちょうど反抗期だった。だから、母の意見を無視して真面目に勉強した。格好は地味だし、化粧もしない。そもそも、今高校生だし。学校の校則では禁止だから、化粧したら私が先生に叱られる。

 皮肉なことに、私は真面目な女子高生となった。

 母からの宿題はもうなくなったけれども、日記を書く習慣は消えなかったように思う。私は毎日、短大生活を終えるまで自主的に日記を書き続けた。

 書く習慣が生まれると、息をするように書けるようになる。というか、書かないと死ぬ。

 書ける人は、人からよく「文章を書くことに自信がある」と思われがちだ。私の場合は、違う。それしか他に道がなかった。

 何もできないし、期待もされない。母が唯一くれたプレゼントが、書く習慣だった。ただそれだけ。

 母の日記フィードバック習慣により、書くことに多少自信がつくようになった。でも、自信はない。

 それに、この世界には上がいる。それを痛切に感じた事件が、中学の時に起きた。

 あれは、私の読書感想文が学校で選ばれた時のことだ。友人から「感想文、読んだよ。すごい良かった」と褒められた。

 どうやら友人の話によると、彼女も選ばれたらしい。文集には、友人と私の作品だけが載っているらしいのだ。

 あの子の文章、読んでないや。そんなに興味もないし。自分の作品だけで、すっかり満足してしまった。でもせっかくだから、読んでみよう。

読んだ途端、全身の震えが止まらなかった。鳥肌がブワーッと立つ感覚。今でも、素晴らしい文章と出会うと身震いする。

 それでも、あの時の衝撃は今でも忘れられない。彼女は、本物の天才だったのだ。

 あれから数年後。私は、その答え合わせを知る。彼女はある有名なコンテストで大賞を取り、作家デビューした。

 本は売れて、地元ではちょっとした騒ぎになった。今でも、雑誌をパラパラめくると彼女が登場することがある。

 今は「ああ、やっぱり天才だったんだ」と思うけど。あの時は彼女の作品が、私の全てだった。他の子の感想文なんて、そもそも読む機会ないし。

 自分なんか、全然ダメじゃないか。私はどんなに努力しても、こんな凄いの書けない。書くこともなくなったら、私には何にも残らないじゃないか。絶望した。

 落ち込んだけど、それも全部日記に綴った。誰も読まない、私だけの日記。そうして何でも、全部書くようにした。

 あれから何年かの歳月が経ち、私はOLになった。OLは17年続き、その後ライターとして独立。当初はお金のために始めたけど、気づけば何年か続いている。

 もしかしたら、やっぱり私は書くことが向いているのかもしれない。

 ライター始めてから、ふと思うことがある。別に、上ばかりみなくてもいいんじゃないかって。

 人と比べるんじゃない。出来ないなら出来ないなりに、隣の人と助け合い、支え合えばいいのだ。3人よれば文殊の知恵と、昔からよく言うじゃない。仕事は、そうやって少しずつ大きく育っていくのだから。

 天才な友達は、今でも作家として活躍し続けている。作家はデビューしてから、続くのが大変と聞く。20年ほど続いているので、彼女はやはり天才なんだと思う。

 私は凡人で、あの子は天才だ。でも、凡人にもできることはある。それは、世の多くの天才たちをサポートする仕事だ。

 ライターの仕事をしていると、業界の第一線で活躍する方にインタビューする機会がある。いつかライターとして、あの子にインタビューできる日は来るだろうか。

 そんな夢を胸に抱き続けながらもなお、私は今も文章を書き続けている。

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