最近の記事

井坂康志・多田治著『ドラッカー x 社会学』の講義から

昨晩は井坂さんの渋沢ドラッカー研究会の特別講義だった。 『ドラッカー X 社会学』(公人の友社、2021年5月)の刊行を記念して、共著者2名(井坂康志さんと多田治さん)が登壇された。社会学者の多田先生は大学の授業でもこの本をテキストにして、学生の質問やコメントから、著書のキーポイントをリストアップ、それを井坂さんが解説していく。 本著さながらに対談が進んでいく。 「強みを生かす」「フィードバックのために日記を書く」「否定語法を脇に置く」など、ドラッカーが繰り返し言っている本質

    • 井坂さんの「耳人間」の朗読会

      最近、渋ドラの井坂康志さんの朗読「耳人間」シリーズを楽しみにしている。19時開始なので家人の夕食を早めてのぞむのだが、昨日は10分ほど遅れてしまった。冒頭の挨拶も終わったのか、すでに朗読が始まっている。タイトルを聞き損ねたかも。 とりあえず、耳を澄ます。   「小僧に寿司をごちそうして・・・」 あ、この話知ってる・・・たしか『小僧の神様』というタイトル。 と同時に、高校時代の現代国語の先生の顔が頭に浮かんだ。中島先生、早稲田を出たばかりの若い女性の先生で、夏目漱石の専門家だっ

      • 2歳児は「ひとまねこざる」

        子育て中の友人が「最近、携帯やPCなど私がやっていることに割り込んできてイライラする」とこぼしていたので、コメントしようと思ったのだけど、わが子のことを思い出していたら長くなりそうなのでnoteにしました。 2歳児というと、絵本『ひとまねこざる』の主人公「おさるのジョージ」を思い出す。ジャングルから初めて人間社会にやってきて、見るもの聞くものすべてが新しくて、おもしろそうで、ぜんぶやってみたい。まねするんだけど、完璧にできるはずものないので失敗ばかり。人間から見るといたずら

        • 講談は声の文化の原点?

          昨晩、神田京子さんの講談会に行ってきました。 「任侠マンデー」清水の次郎長伝の生い立ち編。いやー、やっぱり生はいいですね。しかも昨晩は30人程度の狭い会場とあって、前から2列目、かぶりつきで見ました。 もう、うなずいたり、笑ったり、ずっこけたり、話芸だけでこんなに楽しいものかと、講談のよさを改めて感じています。 特に最後に京子さんがやってくれたのが「いざ鎌倉」の『鉢の木』、EMS落語部で京子さんが直接指導してくださった演目だけに、内容や言葉も頭に入っているから、もう嬉しくて

        井坂康志・多田治著『ドラッカー x 社会学』の講義から

          人生はらせん階段―beingでもdoingでもなくbecoming

          EMSの友人・要ちゃんがやっている哲学カフェに参加している高校生のnoteにインスパイアされた。「自己変容について彼は、ファンタジーでは何かをすることで変わったり(doing)、何かであることで変わる(being)のではなく。何かになることで変容が起こる(becoming)と教えてくれた。」 EMSでは最近よく「doingではなくbeingが大事」と聞く。doing、どれだけ儲けたとか、どんな規模の会社を作ったとか業績という外部評価だけに振り回されず、being、つまりどん

          人生はらせん階段―beingでもdoingでもなくbecoming

          わたしたちは波でできている。

          昨日の文体と身体性についてのコメントをたくさんいただいたので、文体のリズムについて、ナラティブ理論からもう少し書き足してみようと思う。 すべての物質は、波動でつながる。音や熱が伝わるのは、間にある空気の分子が振動するから。澄んだ池の水面に小石を落とすと、水面に波紋が広がっていく。地面に落としてもポトンと音がするだけ。伝えてくれる水がないから。 波は、タイミングをあわせると足し算されて大きくなるが、ずれると打ち消しあう。息のあったコーラスは豊かに音が膨らむが、ずれると不協和

          わたしたちは波でできている。

          しゃべるように書く人なんですね

          昨晩寝る前に友人からメールが届いた。仕事関係の連絡事項の後、後輩が私のnoteを読み、その量に驚き「しゃべるように書く人なんですね」と言ったと伝えてくれた。 たしかに私のnoteは長い。思い出していると、毎日いくらでも書けてしまう。そして、おしゃべりも同じ。90分の講演なんてあっという間だし、友人夫妻と1泊で東京から福井、岐阜を回ったときも、長いドライブの間中、ほとんど私がしゃべっていたと言われた。たぶん15時間くらい(笑) そう、聞いてくれる人がいると、いくらでもしゃべ

          しゃべるように書く人なんですね

          αーLCRが電気通信に家電メーカーを巻き込んだ

          noteを始めて間もないのに、かつての同僚が私の記事を千本氏に知らせてくれたようで早速連絡があり、昨晩夕食のお招きを受けた。相変わらずのせっかちである(笑)「わたしの第一印象は最悪だったらしいな」開口一番に言われ「すみません、筆がすべって」と言い訳すると「あの頃は私もとんがっていたからな、でももう喜寿だ」と笑って許され、懐かしい話に花が咲いた。近著をいただいたので早速開く。 第一章 なぜ私が起業し続けることができたのか、いきなりずばりの問いに、ページをめくったとたんに答え…

          αーLCRが電気通信に家電メーカーを巻き込んだ

          ゼロから1を生み出す天才技術者F氏の思い出

          私は自伝ではなく出会った人を書いている…… そう思って一番最初に頭に浮かんだのが、技術開発のF部長。DDIのビジネスベースを次々と生み出したクリエイター。写真を探したけど、手元にあったのは、恥ずかしながら私の結婚式の二次会の写真だけ。多忙で仕事中に写真撮る習慣などなかったからなあ。左から技術のF部長、営業のN部長、情報システムのS部長。三人は千本専務を支え、私にとってはすべて元上司となる(部署異動したから)。 異業種でも舞台裏はおもしろい、という感想も聞いたので、テクニカル

          ゼロから1を生み出す天才技術者F氏の思い出

          伝記は出会いの記録である

          「志を持った女を書く」なんて宣言しておきながら、なんか自分のことばかり書いているような気がする。いいのかなあ?  昨年受講した作家の田口ランディさんのEMSクリエイティブ・ライティング講座では、「オリジナリティは各自の記憶にしかない。作家はストリップ、脱ぎっぷりが大事」と習った。自分が体験したことしか書けないのは当然なのかもしれない。 小島先生は、伝記を書くときに大切にしているのは、人生で大切な3つの出会い、つまり人、書、そして人生のテーマとの出会いであると言っていた。人

          伝記は出会いの記録である

          カバン持ちから脱皮して技術チームに

          専務に同行して海外を飛び回るのに慣れてくると、またもや疑問がもたげてきた。面会する人がVIPすぎて、案件のスケールが大きいので、私が仕事に直接貢献できることはない。単なるメッセンジャー…… 入社の動機を思い出す。千本氏のように時代の先を見通せるようになりたい。しかし、これを続けていても、専務のようにはなれない。やっぱり、自分の現場を持たなくては。でも、自分の仕事を持つにはどうしたらよいだろう。 政経塾の米国研修、ワシントンDCで聞いた先輩の言葉を思い出した。女性政治家として

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          毎月の海外出張でハーバード大MBA講義まで

          Telecom91の後、千本氏の海外出張に同行することが多くなった。 専務の出張の第一目的は、最先端の情報収集。いきおい大手通信会社のVIP訪問が多くなる。フランステレコム、ドイチェテレコム、ブリティッシュテレコム、アメリカは長距離のAT&Tだけでなく地域のベル会社(サザンベルとかUSウエストとか) 民営化の状況、ISDNやパケット通信網、携帯電話の前身のCT2(発信専用)など次なる時代を切り拓く技術を実験している場所を見に行き、日本の新しいシステム構築の参考にした。 ベ

          毎月の海外出張でハーバード大MBA講義まで

          初めての海外出張は稲盛会長とのTelecom91

          念願かなって第二電電に入社して千本氏の下で仕事を始めたものの、扱いは一人の女子新入社員。短大卒の秘書頭の先輩から、事細かに指導を受けた。朝当番(全員の机を拭きポットを用意)、会議や3時には部署全員にお茶を入れる。インスタントコーヒーのブラック、ミルク入り、ミルク砂糖入り、日本茶など部署の人の好みとコップを覚える。個人のコップはあとで回収して洗う。人事や経理に伝票届けたり、木曜日の昼休みは総務に行って文房具などの払い出し。あとは電話を受けて、伝言メモを書く。隙間の時間は先輩から

          初めての海外出張は稲盛会長とのTelecom91

          怒ってくれる上司を選ぶ

          昨日のnoteに、小島先生の書生を断り、第二電電に入社したと書いた。物書きになりたいのにどうして? 理由は当時専務だった千本倖生氏。上の写真は、1990年6月1日の第二電電創業6周年の幕張プリンスホテルでのパーティ。なんと30年前! このとき私は入社1年2か月、仕事の中心はお茶くみと資料のワープロだった。ちなみに、写真中央が千本専務、右が最初の直属の係長。この二人が私の運命を変えることになる。 千本専務の第一印象はとてつもなく悪い。千本氏を松下政経塾の研修に引っ張り出してく

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          20年前の『致知』に残っていた恩師との約束

          お茶会で松永安左エ門のことを思い出し、恩師・小島直記先生の著作を引っ張りだした。そのときに一緒に出てきたのが、雑誌『致知』の1999年12月号、なんと20年前のもの。小島先生は晩年この雑誌に「人生時刻表」として日常雑記の連載を持っていた。講義を受けたり、お礼状を書くとそこに引用され、名前が入った号を送ってくださった。そのうちの1冊だ。 小島先生の書生を断り、創業間もない第二電電に入社した。自分にしか書けないテーマを探すために、まずは社会を見なくてはと思ったから。(詳細は前日

          20年前の『致知』に残っていた恩師との約束

          点がつながるー耳庵は松永安左ェ門

          昨日の初点式で私の前に置かれた茶碗は薄鼠色の薄手の刷毛目。すかさず点前座の先生が「三島は、刷毛目のようですが象嵌のように白を削り出します。箱書きは松永耳庵」 思わず「耳庵って松永安左ェ門ですね」と答える。 「そう、松永安左ェ門って茶人としては破天荒なんだけど、ものすごく面白い人だから好きなんだよね。去年の茶会でも、耳庵箱書きの道具出したんだよ」 この社中で初めて出させてもらった昨夏の茶会、会記を見て驚いたことを思い出す。蟹の蓋置の箱書きが、たしかに松永耳庵だった。なぜこ

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