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伝記は出会いの記録である

「志を持った女を書く」なんて宣言しておきながら、なんか自分のことばかり書いているような気がする。いいのかなあ? 

昨年受講した作家の田口ランディさんのEMSクリエイティブ・ライティング講座では、「オリジナリティは各自の記憶にしかない。作家はストリップ、脱ぎっぷりが大事」と習った。自分が体験したことしか書けないのは当然なのかもしれない。

小島先生は、伝記を書くときに大切にしているのは、人生で大切な3つの出会い、つまり人、書、そして人生のテーマとの出会いであると言っていた。人との出会いは『人間・出会いの研究』に、書との出会いは『読書尚友のすすめ』で解説しているし、テーマとの出会いは松永安左エ門や石橋湛山など先生の伝記文学の主軸になっている。たしかに、伝記を手に取るときは、その人物がどうしてこうなったのか、何がよかったのか知りたいと思うだろう。

しかし、私はまだ自伝を書くほどの年齢ではない。そもそも、他人が伝記を読みたいと思うような何事も成してない。そんな私の出会いを書いていく意味はあるのだろうか。

思い出したのが、河合隼雄先生の中空構造の講義。河合先生がプリンストン大学に1年滞在したときに時間の余裕があったので、源氏物語を英語でじっくり読んだ。そのときの考察をまとめたのが『紫マンダラ』(2000年、小学館)である。源氏物語の主人公は光源氏と言われているが、作者が描きたかったのは、光源氏を鏡として映し出された女たちの姿。光源氏を中心に置き、妻と妾、少女の初々しさと老女の凄みを対置させると、さながら曼荼羅のようになる。中心となる光源氏のこと自体はあまり書かない。日本人の思想には、こうした中空構造がある。

私が光源氏、というのは無理があるかもしれないが、幸い、私が出会った人たちは、伝記なるほどではなかったけど、凄い人たちだった。それがこのまま埋もれるのは惜しい。誰かに伝えたい。私は時代の証言者として記録していくことにも意味があるのだろう。石井桃子が早逝した友人のことを書きとめておきたいと『幻の朱い実』を書いたように。

昨晩、夕食後に長男とおしゃべりしていて、最近noteを始めたことを告げると、横で読み始めた。息子たちは一番厳しい読者なので、ドキドキしながら表情をうかがい、感想を聞く。

第二電電のとこはおもしろい。新しいことを始めるときってダイナミックだし、その場にいた人しから知らないことだから。そんな場面に出会える人って実は少ないから、リアルな話は興味ひかれる。今受けている大学の授業で一番おもしろい先生は、元水産庁の役人で長年捕鯨委員会の日本代表を務めていた人。交渉の舞台裏の話とか、わくわくする。その点、ジジのこととか身内の話は、だれでも書けるし、あっそうですかって感じかな。

へえー、第二電電のくだりは、テクニカルすぎて退屈する人多いかなと思って、飛ばして書こうと思ってたけど、意外と読者はこっちに興味があるのか。自分と全然関係ない業界のことって、その裏側を物語で見せてもらうと白いのかもしれない。たしかに『下町ロケット』は面白かったなあ。

業界裏側を描いた作品で、私が今も一番だと思っているのは、杉山隆男の『メディアの興亡』(文芸春秋、1986)である。第17回大宅壮一ノンフィクション賞。日本の新聞紙面が活字からコンピューター化していく裏側を、日経と朝日の攻防、富士通とIBMが技術を競い、日経が株の専門紙から総合情報企業に脱皮していく過程を丁寧に描いた大作。私が大学3年のときで、ジャーナリスト志望として、京都新聞でアルバイトをしていたときだけに夢中になって読んだ。いつかこんなノンフィクションを書いてみたい。

脱線するが、大好きな作品なので、私が一番好きな箇所を紹介しよう。新聞のコンピューター化での一番の問題点は漢字の処理。個人のワープロなら常用漢字だけなど制限できようが(当時は第二水準漢字ソフトもあった)、新聞社のホストコンピューターは、旧漢字や固有名詞用も含めてすべてをカバーしなくてはならない。アルファベット26文字しか扱ってこなかったSEにとって、何万字の漢字をどう割り当てるのか、頭を悩ませるのも無理もなり。朝日新聞は富士通に依頼した。偏(へん)と旁(つくり)に分けて、パターンを洗い出す。日経新聞が選んだIBMでも当初は同じようなアプローチをとった。しかし、分類すればするほど数は増えていき、例外処理になる。お手上げした極東チームに代わって、IBMではNASA担当のチームに仕事が振られた。IBMで最も優秀なメンバーだが、日本語はまったくわからない。しかし、天才たちは日本語のハンディを越えた。漢字を文字とはとらえず、ベクトルの概念を導入した。今では画面はピクトの集積であることは当然だと思っているだろうが、タイプライターを電子化する発想からは出てこない。ベクトルは、点と向きを座標で示し、その点の集まりをたどっていくと直線も曲線も自由に描ける。すべての文字を数字の組み合わせで表現することができる。このくだりを読んだときに、時代の変革の裏には本質を捉える天才がいる、とうなった。そして、それを丁寧な取材で描き出したノンフィクションライターに憧れた。

はからずも、若き日にお手本とした本の記憶が、似たアプローチをさせるのかもしれない。新しい技術が生まれた裏側を丁寧に書いていこう。


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