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カバン持ちから脱皮して技術チームに

専務に同行して海外を飛び回るのに慣れてくると、またもや疑問がもたげてきた。面会する人がVIPすぎて、案件のスケールが大きいので、私が仕事に直接貢献できることはない。単なるメッセンジャー…… 入社の動機を思い出す。千本氏のように時代の先を見通せるようになりたい。しかし、これを続けていても、専務のようにはなれない。やっぱり、自分の現場を持たなくては。でも、自分の仕事を持つにはどうしたらよいだろう。

政経塾の米国研修、ワシントンDCで聞いた先輩の言葉を思い出した。女性政治家として初めて副大統領候補になった下院議員にあこがれて、あなたの下で働きたいとラブレターを書き渡米した。最初の仕事は電話番。慣れない英語に苦労しながら、耳をそばだてて、必死に案件を見つけ、資料をかき集め、自分なりのレポートを作って、議員の机に置いておいた。議員が見てくれているのかどうかもわからなかったが、自分の勉強だと思って続けた。そのうち、政策スタッフに空きが出ると声がかかり、議会からお給料の出るス議員スタッフになれたという。言われなくても努力を続ければ、必ず見てくれる人はいる。

経営企画部のF次長は天才。社内の新しい技術や企画は彼がいつも考え生み出してきた。いつも新しい種を探して、ぶつぶつ言っている。広いワンフロアに机を並べていたので、電話の声も、打ち合わせ机での会話も、次長席の前での報告や叱責まで聞こえた。そこからネタを拾って、自分なりに調べてレポートにして、F次長の机の上のトレイ(経理伝票など印が必要なものを入れておく)に投げ入れておいた。ワシントンで聞いた先輩を見習って。(とりあえず、いいこと聞いたら素直にまねしてみる)そのうち新しい案件があると「〇〇ってどう思う?」と声をかけてくれるようになった。

しかし、思い付きだけでは先に進めない。電話屋が電話のしくみをしらなくては絵を描いた餅、企画倒れに終わってしまう。人事の自己啓発プログラムにNTT学園の通信教育の斡旋があったので、「ネットワーク技術」「伝送交換」などの専門科目を申し込んでみた。しかし、電気のしくみなど物理基礎のようなことすら知らない(いや忘れてしまっていた?)ので、なかなかはかどらない。だれか助けてくれる人いないかな? 

いました、技術開発部。F次長が兼務していたので隣の島だったが、女性社員がいない。人事枠を開発メンバーに使いたいF次長の方針。お茶の時間にたまに自分の部署と一緒に入れてあげた。営業部には女子社員が多く、3時や定時にお茶入れてくれるのをうらやましく眺めていたらしく、喜ばれた。少し仲良くなったので、定時を狙って、技術開発のデバッグルームにもコーヒー淹れて運んだ。会議室をつぶしてつくった部屋にこもりっぱなしのメンバーたちは歓待してくれた。部外者立ち入り禁止だが、ビル清掃も入れない埃だらけの部屋に、来る人なんかいない。ものめずらしいだけでなく、一応そのときは20代の女の子だったしね。

DDIの営業戦略の柱であるアダプターはF次長の考案で京セラが製作したため、受け入れのテストもF次長の下で技術開発部が担当した。仕様(こう作れという指示書)通りで問題がないかテストをくりかえす。通信の場合は、電話回線の種別や、接続形態、接続端末の種類などによりイレギュラー処理が出るので、さまざまな環境でのテストをして、バグを出し切る。当たり前だが、デバックルームは機械だらけ。さまざまな回線種別の疑似回線のシュミレーターや、ファックスやコードレスなど多種多様な通信機器が所狭しと置いてある。

実はわたしは機械好き。大学時代のバイト代は出たてのワープロにつぎこんだ。その後もPCやカメラ、スマホ、新機種には目がない。そんな私にとって、デバックルームはワンダーランド。どうしてこれとこれをつなげているの? 無知な女の子の質問に丁寧に答えてくれる。このPCが交換機の役割で、RB(リングバックトーン、呼び出し音)の回数を変えてダウンロードを始める。BT(ビジートン、話中)の場合は、3分後にリトライ、リトライはN回まで繰り返す。通信教材のテキストだけではわからなかったが、実際にモノを見ながら説明してもらうとよくわかった。

あるとき、技術開発部員がため息をついていた。第一種主任技術者試験の結果が出たが、またもや法規が不合格だから、もうあきらめるという。法律の文章って、なんでこんなにわかりにくく書くんだ。法規の問題集をのぞき込む。どこがむずかしいの? 私は法学部出身。大学ではあまり勉強しなかったけど、六法全書など法律文読むのは慣れている。これならいけるかも。

ちょうどその頃、残業時間の関係から、情報処理など専門の資格を求められていた。事務社員の月間残業時間の上限は38時間、それを越えると労基局ら指導が入るので、人事が毎月の出勤簿をチェックしていた。千本専務の海外秘書と並行して、自分の企画の仕事を少しずつ増やしていた私は、ブラックリスト常連。でも、当時の上司のS次長はリベラルな人で、サービス残業を認めなかった。最初のうちは、残業時間を8で割った日数分、夏休みを延長したりしてしのいだが、そのうち仕事が忙しくなって休める状態ではなくなってきた。困ったS次長が情報システム部の先例を出してきた。SEの女性が情報処理試験に合格した時に、労基局に専門職として申請した。専門職は看護士などと同様に特別な職種なので、残業時間の制限が大幅にアップする。専門職であることを証明するために情報処理試験はどうかというのだ。

SEになるつもりはないので、情報処理の勉強するのはなあ…… と思っていたところだったので、代わりに第一種電気通信技術者の試験にトライすることにした。薬局には薬剤師の免許を持った人がいなくてはいけないように、第一種電気通信事業者のすべての事業拠点(NCネットワークセンター、RSリレーステーション)に責任者の名前を登録する必要があり、その責任者は第一種電気通信技術者の免許が必要。DDI社内では一番価値のある資格であり、社内でも取得が奨励されている。試験に合格すると、試験料と報奨金が出るし、NCなどで責任者として登録すると月次手当まで出る。だから、みんなトライする。

第一種電気通信技術者の試験は4科目。法規、システム全般、伝送交換、専門(データ通信、無線などから選択)。理系出身で技術部門の現場の人にとっては、法規以外の3科目はむずかしくないらしい。技術開発部でも同様で、法規の壁に泣き、だれも合格していない。たしかに、法規は、電気通信事業法、電波法、電気通信事業者規則をはじめとして端末機器や工事担当者に関する各種法律を整理しながら理解して覚えなければならない。法律を勉強したことない人にとっては、いきなりハードルが高いのだろう。法学部出身の私は逆に、4科目のうち法規だけが一発合格した。

一度合格した科目は、次回免除となり、2年間有効。半年に1回行われるので4回のチャンスがあるということだ。それを逆手にとって、わたしは半年で1科目づつ集中して勉強することにした。まず専門のデータ通信。これはコンピューター好きなので、本を読めば何とかなった。次の伝送交換はデバックルームで質問攻めにしながら実地で覚えていった。最後のシステム一般が一番大変だった。理系で大学受験した人には超簡単らしいが、フレミングの法則やオームの法則など何が出るかわからない。高校の、いや中学からの理科の教科書を総復習する覚悟で、理系テキストを色々あさった。

ともあれ、4回目ぎりぎりで合格。技術開発ではゼロ、情報システムでも数人しか持ってない貴重な資格。DDIの女子社員としてはもちろん初。S次長が人事に申請してくれて、わたしは心置きなく残業できることになった。多いときは200時間越えてたかもしれない。

今だったらブラック企業ということになるのだろうかが、当時の私は仕事がおもしろくたまらない。勝手に遅くまで残っていて、残業代たっぷりもらえるのだから、幸せな毎日だった。残業で遅くなってもデバックルームをのぞけば皆いて、焼き肉行ったり、その後は始発まで新宿3丁目に飲みにいくなど、若くて体力あったなあと思う。





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