わたしたちは波でできている。

昨日の文体と身体性についてのコメントをたくさんいただいたので、文体のリズムについて、ナラティブ理論からもう少し書き足してみようと思う。

すべての物質は、波動でつながる。音や熱が伝わるのは、間にある空気の分子が振動するから。澄んだ池の水面に小石を落とすと、水面に波紋が広がっていく。地面に落としてもポトンと音がするだけ。伝えてくれる水がないから。

波は、タイミングをあわせると足し算されて大きくなるが、ずれると打ち消しあう。息のあったコーラスは豊かに音が膨らむが、ずれると不協和音になってしまう。無線も同じ。基地局と端末が周波数で同期を合わせるからコミュニケーションが成立する。ラジオの周波数のチューニングのイメージだ。

実は、人間も同じだったりする。講演してて、話しやすいのは、聴衆がうなずいてくれるとき。だから、真剣に聞いている一人に集中して、その人がうなずいてくれるのを確認しながら、間合いを取る。一人のうなずきは、周りに波及する。波紋のように。聞いているときも、同感!と思うほどに、無意識にうなずいていたりする。

しゃべりだけでなく、文章にもリズムがある。リズムにあわせられる=同期できる文体には、身体が心地よく共振し感動する。これは私だけの思い付きじゃない。

『ゲド戦記』の原作者アーシュラ・K・ル=グウィンは、 エッセイ集「the wave in mind」で、J.R.R.トールキンやヴァージニア・ウルフのリズミカルな名文を引用したり、子どもに『指輪物語』を音読したときの心地よさを書いている。(このエッセイ集の邦訳もあるのだが、抄訳版のため、あいにくこの章は翻訳されていない。)

村上春樹も、翻訳家・柴田元幸との共著『翻訳夜話』で、翻訳しやすい文章は、ビートとうねりが効いていると指摘している。ル=グウィンや村上春樹が揃って言うんだから、いい文章にはリズムがあるんだと思う。

考えてみたら、わたしたちの身体は波だらけだ。心電図も脳波も脈拍も、みんな波を図っている。生きているから、細胞が振動する。波が発生する。わたしたちは、波で出来ている。

いい文章には、リズムがある。リズムがあるのは、生きている証拠。読者は読みながら、作者のリズムに同期する。同期できると、心が共振して感動する。大繩跳びに入るとき、タイミングをはかるよね。ずれたまま入ると、つまづいてしまう。

私は、文章を書き上げて読み返すとき、うなずきながら、リズムを取っているかもしれない。その波が、読者のあなたにも伝わりますように。

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